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「君たちはどう生きるか」を見て(ネタバレあり)

大変ご無沙汰しております。Ottoです。
お陰様で元気に生きております。
最近は、長らく余儀なくされた療養生活から再就職に向けて慌ただしくしており、なかなかブログを更新できずにいました。

今回は表題の通り、先月に鑑賞した今話題のスタジオジブリの新作「君たちはどう生きるか」の感想と考察について、ネタバレ込みで綴ります。
私の管理する他のSNSでも既に語った感想と基本的に変わりませんが、他の方々の感想も拝見して、改めて感想を整理しようと思った次第です。
ネタバレが嫌な方々は、この先は読まないことを推奨します。

※2023年8月26日 更新
8月18日、スタジオジブリが「君たちはどう生きるか」の一部の場面写真を「常識の範囲でご自由にお使いください。」と公式ホームページで公開、提供を始めました。
これは非常に太っ腹ですね。
なので私も使わせていただきます。


1.スタジオジブリの新作「君たちはどう生きるか」とは

「君たちはどう生きるか」の内容自体は至ってシンプルなものだった。
時は第二次世界大戦中の日本。
火事で実母を亡くし、また疎開を余儀なくされた主人公・眞人の重苦しい成長物語。
それ以上でも以下でもない。
「火垂るの墓」と比べれば、まだ救いはある方だろう。
ちなみに同名の書籍もあるが、タイトルだけが同じというだけで、その内容は全く別物である。

上映当日までの間、詳細は一切皆無なままで世間をザワつかせ話題になったが、最近ようやくリリースされたパンフレットでさえ詳細は全く記載されていないという。
スタジオジブリ側の徹底されたネタバレ厳禁の意思の強さが伺える。
「気になるなら自分の目で作品を見て、分からないことは戦争に関する関連書籍を読み漁りなさい。必要ならば、広島なり長崎なり自分の足で訪れなさい。」ということであろう。
安易にインターネットで知りたい情報を得て知ったかぶる、戦争を体験したことのない私達の世代に対するメッセージとも言えるかもしれない。

今回はジブリファンにとって「(おそらく)宮崎駿の関わる最後の作品」としても期待値は高かったかもしれないが、きっと多くの人達が肩透かしを食らったか、期待外れだったのではなかろうか。
内容が内容のため無邪気に取り扱ってはならないものでもあるし、特に戦争のことを学んだことのない子供にとっては、物語の背景まで想像が及ばなかったに違いない。
しかしながら、これはこれで後々「当時はあの内容をよく理解していなかったけれど、大人になってから理解できた。」という人達も増えるかもしれない。
ちなみに私はというと、特に可もなく不可もなく淡々と素直に受け止めたが、上映後に思わず深いため息をついて「キツかった………」と独り言を吐露してしまった。
とても今までの作品の感想でありがちな「キラキラ綺麗で楽しいファンタジーで良かった~♪」というハートウォーミングな気持ちになど全然なれなかった。ハートフルボッコ状態だった。
むしろ、このような薄っぺらい感想を垂れ流している脳内お花畑さんは、想像力の浅はかさを疑うレベルであり、もしタイムマシンがあるのなら戦時中の日本に送りたいくらいである。
学校でキチンと歴史を正しく学び、物事に対して柔軟な想像力もあり、ある程度の社会人としての人生経験もあれば、しょうもない感想はまず出てこないだろう。
それがネタバレを配慮した一言であったとしても、安易に「可愛かった!」や「面白かった!」という言葉だけで片付けられるようなものではなく、まだ見たことのない人達にも誤解を与えかねず、慎重に言葉を選ぶべき内容なのである。
そんな簡単な一言で形容できるポジティブな要素もなど何処にもない大真面目な重い物語であり、今後ぬいぐるみ等グッズを販売してエンタメ化されることもないであろう、それだけセンシティブな内容だった。

つい最近、某イジメ相談サイトのサポートスタッフの占い師兼絵本作家という人が、某短文ブログで上記のように無邪気に感想を垂れ流していたのを見てしまった時は白目を剥いた。
「新学期を前に憂鬱になっている子供達の目に留まりやすいようにパフォーマンスしてるだけの、慈善活動している自分に酔った、ヤバい人やろ!?」と嫌悪感すら感じた。
もし私が学生だったら、こんな気持ち悪い大人には絶対に相談したくない。
主人公・眞人なら暴れるレベルである。
今回この記事を綴ろうと思った発端はまさに、その人に対し「作家とは想像力があってナンボなのに、ましてや慈善活動をなさっている立場の人が、虐げられた子供に対する言葉選びもできないのでしょうか?」と直接言いたい気持ちを堪えて、記事化する原動力に置き換えたことによる。(その人は他にも頓珍漢な言動が少なくないので「そういう人」なのだろうと判断しスルーした。)

思うに、宮崎駿はシンプルに「自分はこんな風に生きてきたのだけれど、君たちは今後どう生きたい?」と問いたかっただけではなかろうか。
藤本タツキの短編漫画「フツーに聞いてくれ」のように、厄介オタクにありがちな勝手な推測をしたり、妄信的に過剰な高評価をしたり、色眼鏡で見ることを止めて、素直に受け止めて考えて欲しかったのではなかろうか。
そのためなら、今回のような上映後もなお詳細を何一つ開示しないスタジオジブリ側のパフォーマンスは理解できるだろう。

※ジブリ作品に詳しい人によると、今回の「君たちはどう生きるか」については宮崎駿の少年時代の実体験も織り交ぜられているとのことで、それに関しては各自で後で調べてもらいたい。

2.主人公・牧眞人について

主人公・牧眞人

彼はただただ「これからも強く生きて欲しい」と切に願わずにはいられない、悲壮な少年だった。
(空襲ではなく)火事により実母ヒサコを亡くす場面から始まり、それから間もなく未だそのトラウマを抱えたままの状態にも関わらず、実父・勝一からは事前の説明も何一つなく唐突に「この人が今日から一緒に暮らす新しいお母さんだよ。」、「お腹の中に弟か妹がいるよ。」、「ここが今日から私達の住む新しい家よ。」などと情報過多な新生活を強いられるのだから。
勝一には黙って従う他になく、急に紹介された初対面の継母・夏子にも素直に向き合えず、疎開先であるヒサコの実家の使用人達にも「(飯が)不味い」と冷たく言い放ち、挙げ句の果てには父親の非常識な立ち振る舞いにより転校先にも馴染めず、どこにも居場所がなく孤立してしまう始末。
特に夏子が自ら臨月の腹部に眞人の手を添えて「ここにあなたの新しい弟か妹かがいるのよ。」と優しく話した場面や、仕事から帰宅した勝一が出迎えてくれた夏子にイチャつき始めた場面は、大人である私でさえ鳥肌が立ったのだから、眞人の子供心はそれ以上にドン退きであったろう。
現代で例えると、おそらく小学校高学年か中学生くらいの多感な年齢であろうに、この状況は生き地獄だろう。
そんな眞人だが、最終的には新しい家族、新しい生活、新たな戦後の時代へ一歩踏み出していくのだから、彼なりに折り合いをつけたのだと思いたい。
ただ今回はエンドクレジットの最後に「おしまい」や「おわり」という言葉での締めくくりがなかった点から、眞人の人生はまだまだ今後も続くことが示唆されるように見受けられた。

3.眞人の父親・牧勝一について

眞人の父・牧勝一

まさに絵に描いたような「The 昭和の非常識な成金」である。それ以外に形容しようがない。
時代を読み、戦闘機の製造業をしていることが作中から伺えるので、決して頭は悪くないのだろう。
(スタジオジブリの過去の作品である「風立ちぬ」を見ていない人は、この機会に見てみるのもいいかもしれない。)
転校先で馴染めない眞人を心配したり(ただし自分に原因があるとは微塵も思っておらず、登校拒否する眞人の学校への対応も高額な寄付金でモノを言わせるという…)、姿をくらましてしまうナツコのことも気にかけたり、また使用人との会話も偉そうでなく、家族を大事にする気持ち自体は確かにあるので、根っからの悪人ではないのかもしれない。
時代の荒波を乗り切る上で「この状況下において家族や使用人を養うためには、こうでなくてはならない。そのためには非常になることも厭わない。」という潜在的な意識があったのではないだろうか。
異世界に全く干渉できなかったあたりからも「この動乱の時代を何が何でも生き抜く。絶対に死んでたまるか。」という確固たる生きる意志が強かったと見受けられる。
(勝一が異世界に干渉できなかった、もう一点の理由については後で詳しく述べる。)
声優が木村拓哉であること以外は何一つ評価できない。

4.眞人の継母・夏子について

眞人の継母・夏子

夏子は眞人の実母ヒサコの妹であり、眞人の叔母にあたる。
そう、勝一は前妻ヒサコを亡くして間もなく、義妹である夏子との間に子供を妊娠させてしまったのである。
現代の価値観だと、いくら容姿が前妻に似ていても、義妹とすぐ関係をもち再婚してしまうことなど狂気の沙汰とも思えるだろう。
夏子自身は、義兄でもあり夫でもある勝一に対して実際のところどう思っていたのかは作中に触れられていなかったので不明であるものの、男尊女卑が当たり前だった時代において夏子は「姉ヒサコの代わり」の他に選択の余地などなかったのではないだろうか。
夏子もまた、ヒサコを亡くした悲しみを乗り越えないまま早々に勝一の後妻となり、ヒサコに代わる「良き妻、良き母親」になろうと必死で相当なストレスを抱えていたことは、体調を崩して床に伏せてしまったり、常世のような異世界に迷い込んでしまった点からも想像に難くない。
異世界で紙垂に囲われた不気味な空間で眠っていた彼女は「いっそのこと死んでしまった方が楽なのではないか」と考え、まさに生死の境目を彷徨っていたのだろう。
眞人に言い放った「あなたなんか大嫌いッ!」という言葉がまさに夏子の本音をストレートに物語っており、眞人の夏子に対する向き合い方や選択次第では、もしかしたら取り返しのつかない事態に陥っていたのではないだろうか。
(そもそも勝一が、夏子との関わり方や、眞人にも事前に丁寧に説明していれば、こうはならなかった気もする。)

5.アオサギについて

アオサギ

この作品を象徴する存在であり、眞人を異世界へ誘う。
映画館という大きな画面と音響効果も相まって、インパクトが非常に強く怖かった。
次第に慣れてきて憎めないキャラとして印象が変化していく様は、さすがスタジオジブリのキャラクターらしい。
むしろ私は作品を見るまで、このアオサギが主人公なのかと思っていたが、実際は全然違い過ぎて面食らった。
あくまで「イマジナリーな存在」にも関わらず「中に人がいるのッ!?」と思わせる造形は強烈だった。
もう京都市の鴨川や高瀬川によくいるアオサギを見たら恐怖がフラッシュバックするかもしれない。
全然可愛くないし、小さなお子様が見たら泣いてトラウマになってしまうかもしれない。

6.異世界の創造主・大おじさんについて

創造主・大おじさん

この大おじさんは物語のキーパーソンであり、その正体は眞人の母方の親戚に当たる。
ヒサコや夏子にとっての、大伯父さん?大叔父さん?となるらしい。
彼は昔、空から降ってきた謎の隕石(異世界の根源たるもの)の解明に夢中になり、最終的に異世界に閉じこもってしまい、現実世界では消息不明ということになっていた。
この大おじさんが作り上げた異世界は「悲しく辛いことの多い現実世界から逃避するため居場所で、絶対に侵してはならない聖域」だという。
つまり、この大おじさんもまた生きることに耐えられない尋常でないストレスを抱えていたのではないだろうか。
その「現実世界における悲しく辛いこと」とは、当時のことから推察すると「戦争」に他ならないだろう。
眞人の疎開先であるヒサコの実家は広大な敷地の中に豪邸が構えられており、使用人も多く抱えていることから、大富豪であったことは誰が見ても分かるだろう。
しかし当時それを後世に遺せるくらい維持するためには、相当な努力や労力があったはずである。
大おじさんは、勝一のように非常にはなりきれない、とても繊細な心をもつ人だったのだろう。

おそらく勝一は、前妻ヒサコの家系を引き継ぐために婿養子となったのではないだろうか。
ヒサコの実家には使用人を除き、父親も、祖父も、男兄弟も登場していない。
それならば前妻ヒサコを亡くしてから早々に義妹の夏子を後妻とする流れも自然と言える。
しかし勝一は、大おじさんとは性格や価値観も相容れない人間性であったから、異世界にも干渉できなかったとも考えられる。
同じ血の繋がりがあり心の優しいヒサコ、夏子、そして眞人は異世界(大おじさん)に受け入れられ、眞人は選択次第でその後継者となれたのかもしれない。

7.異世界の崩壊を決定的にしたインコ大王(追記)

インコ大王

大おじさんが築き上げた、聖域であるはずの異世界が崩れ始めたのは何故か。
これは単純に創造主である大おじさんの寿命(築き上げてきた積み木のバランスの崩れ)とも考えられるが、その均衡が崩れるキッカケとして、眞人達が異世界に入ったことが影響しているのではないだろうか。
彼らを受け入れたことにより、彼らが現実世界で受けたトラウマの数々が、大おじさんの繊細な精神世界にはダメージが大きかったのかもしれない。

そして異世界の崩壊を決定的にしてしまったのが、眞人達を尾行していたインコ大王だった。
「今まで狂信的に崇拝していた偶像の実際が解釈違いで、受け入れられずブチ切れた厄介オタクのそれ」に近しいものがある。
ではインコ大王は結局のところ何者なのであったのか。

インコ大王は異世界を守護する存在でなく、現実世界における軍国主義の象徴だろう。
「自分の正義は絶対である」と信じて疑わない狂気により生まれた概念。
その存在が眞人達の介入により、更なる狂気となったのではないだろうか。
眞人も自身の負の感情を自覚しており、それゆえに大おじさんの後継の座を辞退したが、その場に乱入してきたインコ大王はまさに狂気の権化そのものであった。

また、このインコ大王という存在は「眞人と夏子のイメージする勝一の概念」も含まれているのではないだろうか。
勝一自体は異世界に干渉できなかったが、インコ大王という存在が「どうして鳥だったのか」については「戦闘機のメタファー」である可能性を私は支持したい。
勝一はそれを製造して莫大な利益を得ているわけだが、戦車や銃などといった他の物でなく、戦闘機であることを作中に明確化されていた意図を考えれば、点と点との繋がりを見つけたような納得感がある。
眞人も勝一の製造した戦闘機の部品を実際に目の当たりにして「美しい」と言っており(本心だったのかは定かでないものの)、「戦闘機→美しい鳥→インコ」とイメージを膨らませていたのではないだろうか。

8.私たちはどう生きるか

繰り返しになるが、先述の通り、宮崎駿は今回の作品を通し、シンプルに「自分はこんな風に生きてきたのだけれど、君たちは今後どう生きたい?」と伝えたいのではないだろうか。
正直これまでの宮崎駿の生き様についてよく知らなくても、それはさほど問題でない。
肝心なのは「作中の人物それぞれの生き様」を見て、感じて、私たちは今後どう考えて生きるかが問われている。
平成以降の話を挙げるならば、阪神淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件東日本大震災、東日本大震災に伴う原発の問題、その他に毎年のように何処かで必ず発生する天災や人災、最近に至ってはロシアとウクライナの戦争も場合により第三次世界大戦に発展する可能性もあるわけで、決して他人事ではない。
「私たちはどう生きるか」よく考えながら今後も必死に足掻きながら生きたい。

今回の日記は以上です。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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