人口減少について考える
・犬派?猫派?
日本で犬と猫がどちらが好きか?というアンケートをとると、犬好きのほうが多いようだ。
下記の2つのアンケートではどちらも同じような結果が出ており、
犬派は約5割、猫派は約3割となっている。
しかし犬と猫の飼育数を比較すると猫のほうが多い。
下のグラフは犬と猫の飼育数のグラフだが、それをを見ると犬の飼育数は右肩下がりに減っており、2016年に猫に逆転されている。
nippon.comの記事によると、犬が減った理由は散歩が大変だからだそうだ。
20代、30代で犬を飼っている人で毎日散歩していると回答した人の割合は20%未満となっている。犬を毎日散歩しない人が8割以上いるということは衝撃的である。
小型犬が流行っているが、チワワとかトイプードルとかは毎日散歩しなくてもいいのだろうか。
・野球とサッカー
現代の20代、30代は犬の散歩がままならないほど忙しいらしい。
子供の野球離れも進んでいる。
野球のほうがサッカーより親の負担が大きいため、部活で野球をやる子供が減っているそうだ。
実際に中学生の部活の競技人口の推移を見てみると、長い間、野球のほうがサッカーよりも競技人口が多かったが、2012年に逆転している。
・共働き夫婦と専業主婦
専業主婦というのは今では差別用語だろうか。
下記のグラフを見ていただきたい。
1997年に”男性雇用者と無業の妻からなる世帯”と”共働き世帯”の数が逆転している。
そして年々、共働き世帯は増える一方である。
・人口減少について考える
犬猫、野球サッカー逆転現象や専業主婦の絶滅現象はつまるところ人口減少の影響によるものだろう。
このような事象はちらほら顕在化していた。そしてそれは大きな変化が始まっていたサインだったのだが、クリティカルな問題では無いのでなんとなく見過ごされてきた。(なんとなく、クリティカルと呼ぶことにしよう)
人口減少の影響と書いたが、正確にいうと生産年齢人口(15歳以上65歳未満の人口)の減少の影響である。
全体の人口の減少よりも生産年齢人口の減少の方がペースが早いため、人口に対して働き手の割合が少なくなり、結果、一人当たりの仕事量が増えるということになる。
総人口の減少スピードが生産年齢人口の減少ペースに追いつけばこの問題は解決に向かうのだろうが、それがいつになるのかは誰か計算してほしい。
下記のグラフのように、日本では2004年に人口はピークを迎え、人口減少に転じている。
グラフの説明文にはこのように書かれている。
日本ではこの長期的な人口減少トレンドというのは経験したことがない初めての現象なのだ。
これは本当に衝撃的で空前絶後の超絶怒涛のかなり大きな転換点である。
100年後のことは分からないが、少なくとも向こう30年は人口減少のトレンドは変わることはない。
どれほど少子化対策を頑張っても、移民を受け入れたとしても、対して効果はないと思う。
少子化対策の成功例と言われるフランスでさえ、2023年の合計特殊出生率は1.68である。
日本の合計特殊出生率をみてみると2023年で1.26、おそらくこの先1.3前後を維持していくだろうが、出生率は維持できても若年層の人口減少に伴い、出生数は減っていく。
(人口の維持には合計特殊出生率2.07を保つ必要があるとされる)
人口増加、減少というのはつまるところ、その土地に生きる人間のバイオリズムのようなもので、国とかが人為的にどうこうできる問題ではないのだ。
・経済の発展は終わる
人口の増加と経済の発展には相関関係も因果関係もある。
日本では1990年以降のバブル崩壊後の経済低迷やそれを引き起こした政治や経済の失策を指して失われた30年とか40年とか言われているが、それはちょうどその時期に人口増加率が鈍化し、人口減少へ転じたタイミングと重なっていただけだ。誰が何をやってもたいして変わらなかった(うまくいかなかった)だろう。
唯一有効だったかもしれない策は内需主導から外需主導の切り替えだが、その辺のことは詳しく知らない。(日本のGDPに占める外需の割合は世界的にみても極めて低い)
戦後の著しい経済発展、高度経済成長というのは、さまざまな要因、きっかけもあったはあったのだろうが、結局のところ人口の増加、それも明治時代から続く爆発的な人口増加の延長線上に成り立つものだった。
20世紀以降の世界的な人口爆発というのはハーバー・ボッシュ法によって、アンモニアの工業製造が可能になり、化学肥料が広まったため、食料生産量が急増したことによるものだ。
ハーバー・ボッシュ法というのはハーバーさんとボッシュさんがドイツで開発したアンモニアの合成方法で、その影響を考えれば世紀の大発明であり、当然、特許もあったのだろうが、第一次世界大戦でドイツが負けたことにより、接収、技術公開され、世界に広まった。
(Wikipediaを参照)
ちなみに世界最大の自動車部品メーカーのロバートボッシュ社の創業者、ロバート・ボッシュさんはハーバー・ボッシュ法を開発したカール・ボッシュさんの叔父にあたる。
人口増加のトレンド中は資本主義のもと、誰が何をやっても経済は勝手に成長しただろう。
資本主義の原理は分かりやすく言うとねずみ講(無限連鎖講)と同じである。
裾野の拡大、つまり人口の増加なくして全体の拡大はない。
人口が減少してくと、経済も縮小していくということだ。
・ポスト資本主義なのか
資本主義が優れているわけでは無い。
同様に共産主義が優れているわけでもない。
ネオリベラリズムやリバタリアニズムとは何者か。
このようなものに優劣をつけるという考え方がそもそも間違いである。
こういうのは単なるツールなのだ。
プラスネジを締めるのにはプラスドライバーを使い、マイナスドライバーでプラスネジを回すとねじ山が潰れる。そしてマイナスドライバーでマイナスネジを回すとねじ山は潰れるのだ。
マイナスドライバーでネジを回す機会は多くない。
話を戻すと資本主義とかは単なるツールで、人口が増加する環境に資本主義はフィットしたというだけだ。
明治以降の爆上げ的な人口増加トレンドによる経済発展に日本は支えられてきた。
そして日本の社会システムは人口増加を支えることを前提に組み上げられてきたのだ。
現在もまだそのフォーマットで日本の社会は運営されている部分は多い。
しかし人口減少に転じた状況ではそのフォーマットは維持できず、必ず崩壊する。
マイナスドライバーでネジを回すようなものだ、と書くと分かりにくくなってしまうので、プラスドライバーでマイナスネジを回すようなものだ、としておこう。
猫が増えたり、野球をやらなくなったりというのはまあいいが、これは単なる予兆であり、これから本当にクリティカルな問題が頻出してくるだろう。
人口減少というものは日本の歴史的にみても、影響の大きさを考えても明治維新やアメリカとの戦争よりも間違いなくインパクトが大きい。
人口推移のグラフを見ると今は大転換期の真っ只中、現在進行中である。
しかし明治維新や戦争のようなドラスティックな変化はないし、当然実感もわかない。それがこの問題の恐ろしいところだ。
<参考文献>
・新装版 なんとなく、クリスタル 田中 康夫 (著)
人口減少の問題にいち早く気づき、センセーショナルな形で社会に警鐘を鳴らしたのは田中康夫だろう。
この小説のテーマは人口減少による日本の衰退である。
しかし、この小説が発表された当時、そんなことに気づく人はいなかった。
どうせ衰退するのだから、考えてもしょうがないし、今のうちに最後のおいしいケーキを食べ尽くしてしまおう、という内容の小説だからだ。
こういう書き方をするところに田中康夫という小説家の察しの良さと人間的なヤバさみたいなものが表れている。
この小説とかアニメの美味しんぼとかに漂うバブル然とした時代の徒花感というか牧歌的な空気が漂う感じはうらやましくもある。
経済的な要因も大きいのだろうが、スマホとSNSがなかった時代ということもそうした雰囲気を形成するのに大きく影響していると思う。
・すべての経済はバブルに通じる 小幡 績 (著)
[資本主義 ねずみ講] で検索したら出てきたので購入。
冒頭3ページで資本主義=ねずみ講ということが書いてある。話が早い。
前書き部分を少し引用してみよう。
この本は2008年出版で、リーマンショックをきっかけに書かれた本のようだ。
バブルはなぜ起こるのか、という部分が面白かった。
バブルというのは投資のプロたちがプロとしてプロであるがために引き起こしているのだそうだ。
投資のプロたちはバブルに乗っかるしかない。
なぜならバブルは利益を上げる絶好の機会だからだ。
もし、バブルに乗らなければ他の投資家たちがバブルに乗り莫大な利益を上げている中で取り残されてしまう。
プロの投資家が利益を上げられないとどうなるか。顧客を他社に奪われ資金を引き上げられてしまうのである。
バブルのタイミングでリスクをとっていかに多くの資金を投入できるかがプロの投資家の腕の見せ所なのだ。
バブルのきっかけは何でも良い。
一旦バブルが始まると上記に理由から自動的に加熱し、膨張する。そしてなんだかよくわからないが崩壊する。崩壊するからバブルなのだ。
傍から見たらまったく何をやっているのかという話であるが、何でもそういうものなんだろう。
バブルに象徴される行き過ぎた金融資本主義はやがて維持不可能になり、資源や穀物などを反映した本来の実体経済に戻るのではないか、という結論でこの本は終わる。
・未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 河合 雅司 (著)
まえがき部分から引用
著者の河合 雅司さんは信用できる人である。
上記の女子中学生の言葉にはいろいろと考えさせられる。
しかし、隠していることを隠していないということは、それは隠していないということだ。
人口減少社会も増毛でポジティブに生よう!
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