見出し画像

「殺人者のパラドックス」 - シュール、ポップ、テンポ、ひとつまみの残酷

★★★★+

観終えて、「随分遠いところまで来たな」と感じる作品でした。序盤と終盤でまったく世界の風景が違うような印象です。物語の端緒はとても斬新で、予告映像はやや不思議ちゃん。事前にキャストが出ている動画をちらっと観たのですが、「ポップ」志向というのは分かったもののあらすじだけを言葉で聞いたときは正直ピンと来ませんでした。それが観てみるとなるほど面白い。意欲作だというのがよく伝わります。それでいてアバンギャルドになりすぎることはなく、人間の情緒にも配慮が行き届いた今どき韓国ドラマらしさもあって、一気観でありながら噛みしめる余裕もある、そんな一本でした。

主人公のイ・タン(チェ・ウシク)は除隊して半年経つものの、真面目に勉強するでも就職するでもなく、ふと思い立ってトレーニングマシンを衝動買いしたりしても長続きせず、今はぼんやりカナダにワーキングホリデーに行きたいなんて思っているダメ男子です。

ある日、そんなタンのバイト先に二人組の男性がやってきます。酔っ払って迷惑客になっているおじさんに悪絡みされるタンですが、おじさんをなだめるもうひとりの男に謝られます。ふたりが出ていったあと、アパートの壁に絵をかけるために店のハンマーを借りて帰るタン。

すると帰り道でタンは先程の迷惑なおじさんが道端に倒れているのを発見します。近くになだめていたほうの男がいるのを見つけたタンは、呼び止めておじさんが倒れていると言いますが、男は急に怒り出してタンに暴行を加え始めます。必死で抵抗するタンは、不意に持っていたハンマーで男を殴り殺してしまうのです。

そこへ通りかかった謎の女性。サングラスをして盲導犬を連れている彼女は現場の様子が見えていないようで、タンはそのままやり過ごします。気が動転しているタンは凶器のハンマーすら置き忘れて家に帰り、翌日、ゆうべの男とおじさんのふたりともが遺体で発見されたとニュースになります。

コンビニに聞き込みにやってくる刑事のチャン・ナンガム(ソン・ソック)にタンは気が気でないのですが、警察はどうやらふたりが喧嘩の末相打ちになって共に死亡したと読んでいる様子。

しかもその後、タンが殺してしまった男・ミョンジンが実は過去に連続殺人を犯して逃亡中のヨ・ブイルだと判明するのです。殺害してしまった相手が凶悪な犯罪者ということに少し安堵するタン。ところが次にまた彼を脅かす存在が現れ…。

そんなつもりではなかったのに次々と人を殺めてしまう凡庸な青年・タン。そしてなぜか彼が殺害してしまう相手は軒並み殺されても文句も言えないような犯罪者ばかりなのです。さらに不思議なことに彼の犯罪の証拠はいつも偶然が重なって警察の捜査に引っ掛からない。特殊な運命に操られるように義賊状態になってしまうタンの姿は数多あるドラマの中でもなかなか珍しい新感覚の主人公だと思います。

なんとなく彼を追うことになるナンガムは野生の勘が鋭いいかにもドラマの中の刑事という面相(浅野忠信っぽい)。噛み合っているようでどうも巡り合わないふたりの追いかけっこがドラマの前半を形作っていきます。シュールとポップとテンポの良さと、多少の残酷。「ク・ギョンイ」あたりが似た感じの雰囲気でしょうか。最近ひとつの流派を築きつつある世界観のような気がします。

中盤からもうふたりほど重要なキャラクターが登場し、それぞれの中にある複雑な背景が絡まりあうことで人間ドラマの様相も覗いてくるのですが、一貫して問うているのは「正義とは」といったあたりでしょうか。ポイントとなるのは、タンにはもともと「世を正したい」みたいな想いは皆無だということ。結果的に世直しみたいになってはいるものの、人を殺めてしまったことに真っ当に苦しんで逃避したくて、そんなものは正義ではないと心中では感じているごく当たり前の青年なのです。ですが運命はどこまでも彼をヒーローに仕立てあげてしまい、そんな彼に希望を抱く存在も出てくる。果たしてどんなエンディングに落ち着くのか想像もつかないまま話は進んでいきました。

何周もして、相変わらず運命に翻弄されてはいるのですが、タンの中に意志みたいなものがちらっと生まれてくるのが面白かったし良かったです。観ている側も振り回される不思議設定なのに、人物の成長が分かる味わい深さ。最後の最後は始まりの空気感に立ち戻る感じもまた好きでした。とにもかくにもアイディアで勝っているオススメしたい作品。



▼その他、ドラマの観賞録まとめはこちら。

喜怒哀楽ドラマ沼暮らし

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?