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飲食と販売とパートしながら細々と暮らす40代おばちゃん

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それでも行きたくなる場所。

気づいたらフジロックまで1ヶ月を切っていた。 私にとって今年で16年目15回目のフジロック。 16年も経つと、体力的にも、あの空間を受け止める精神力にも、ご予算的にも、いよいよキャパオーバーになりつつある。 そして、毎年思う、「今年で最後かな」と。 しかし、「今年で最後かな。」がここ数年、結局更新され続けている。 諸々のキャパオーバーを迎えつつも、それでも、なんとかして行きたくなる場所。 それがフジロック。

    • 他人事の人生

      自分のことなのに、自分のこととして捉えていない人が、ある一定数いる。 自分の人生なのに、自分の意思で生きていない人が、ある一定数いる。 そして、そう人は、なぜか頑固。 無駄に頑固。 人のことは、他人事だし、自分のことも他人事。 他人事の人生でも生きてこれた時代が、いま、終わろうとしていて、他人事でもみんなと一緒であればなんとなく楽しく生きてこれた時代も終わろうとしていて、 「あなたはどうしたいの?」 という問いに、答えられない人が、ある一定数いる。 これからは、他人

      • 我慢しない人生

        この10数年を振り返って、「あー、私、我慢してたんだな」ということに気がついた。 とはいえ、「我慢」の中にも「するべくしてする我慢」とか「好きでしている我慢」とか、「それくらい必要でしょ。」的な「我慢」もあると、思っていた。 が。 どんなことでも「我慢」は結局のところ「我慢」でしかなかったのだ。 「我慢」とは、辛いことを耐え忍ぶこと、である。 必要であろうがなんであろうが、辛いことを耐え忍ぶということを長年やっていたら、そりゃぁ、「なんか、もう、無理」ってなるわけで。

        • いつか分かり合えるかもしれないし、いつまでも分かり合えないかもしれないけれど。

          そもそも、分かり合うことが必要なのか、ということ。 歳を取れば取るほど、「分かり合うこと」より「認め合うこと」とか「否定しないこと」の方が大切になってきたように思う。私のことを全部分かっているのは私だけだし、他人には決してなれないのだから、「分かる」なんてことはむしろできないのではないか、と。 それは「分かってほしい」というよりは「認めてほしい」「否定しないでほしい」ということでもある。分かってほしいとは思わない、けれど、歩み寄って欲しい、それはそれで「そうなんだ」と面白

        それでも行きたくなる場所。

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        • しいたけさん
          1本

        記事

          私の味

          私の作り出す味が好きだと言ってくれる人がいる。 私の作り出す味を私の味だと認識してくれる人がいる。 そこが、私の居場所。

          私の味

          働きたくない

          私の周りで「働きたくない」と言い切る人が何人かいる。みな、能力のある人たちばかりだ。 能力のある人たちが、既成の枠組みから抜け出そうとするエネルギーが渦巻いている。 そもそも、いまある仕事で得られる対価でどうにかなる世の中ではなくなるであろう、その前夜的な今、どうやってサバイブしていくかを感覚的に捉え始めているのであろう。 能力があるかは別として、私も「働きたくない」。

          働きたくない

          案外、大丈夫だった

          打ち上げと称して、地元のスナック的なところで呑んで帰宅した、いま、深夜2時。 たぶん、今までだったら500パーセント断っていたお誘いを、断らずに参加したことが奇跡だし、行ってみて案外大丈夫だった自分にビックリした。 かと言って、これから頻繁にってことにはならないけど、でも、絶対無理ってことでもないとわかったことは収穫かも。 そして、モテる男は、自然なんだな、全てが、と思った。おそろしー、こわいわー、あれって、無意識なん???(笑) おやすみなさい。

          案外、大丈夫だった

          それでも行ってよかったと思う。

          あれから1ヶ月が過ぎて、なんだかもっともっと前の出来事のように感じている。 行ってよかったと思っている。でも、何かこう、心に引っかかるものは何なのかと、ずっと考えている。 それはもう、これからも行き続けることで、いつかわかることなのかもしれない。 あの優しい空間は、今の時代だからこそ、広まればいいのにと思う。尊重や、助け合いや、自由や、責任や、適応や、思いやりが、自然とある空間。 生きていくということは、自分で決断するということだ。 自分のために。誰かのために。

          それでも行ってよかったと思う。

          夜が長くなる。

          秋分の日。これから夜が長くなっていく。ドヨーンと淀んだここ数週間から、ちょっと秋の美味しい空気。 何か漠然と、おもしろいこと、やりたい。 バカ笑い、したい。 旅に出たい。 夜が長くなる。濃い時間の、訪れ。

          夜が長くなる。

          価値観とは言わないまでも。

          昨日帰る予定だったが、居心地良すぎて帰らないという選択。 いさせてくれて、ありがとう。 さてそんな昨晩。くるみ割り器を探しに近くのホームセンターに行ったのだけど、どこにあるのか場所がわからなかった。 「こういうとき、聞けないんですよねー、店員に。自分で探したい。」 と言った連れの人に、わかるわーと思った、私も、聞かない派。 速攻聞く人(聞ける人)、いらっしゃるじゃないですか。あれがどうもね、苦手というか、なんというか。 こういうね、価値観という大袈裟なものではないか

          価値観とは言わないまでも。

          違う場所に身を置く。

          人見知りとはいえ、他店舗で働く機会が嫌ではない。 慣れからの脱却。 慣れこそ退屈の始まりなのだ。 刺激がないと成長しない。 この年で成長が必要かどうかは人それぞれだろうが、私には刺激が必要で、成長も必要なのだ。 同じ空間で同じメンバーと働き続けるには、この刺激かあるかどうかが私には重要で、刺激がない場合は、やはり定期的にどこかで刺激を受けなくては、本当に退屈になり、そして、退屈な人間になってしまう。 そのことへの恐れが、私を違う場所へ身を置くことへ駆り立てるのだ。

          違う場所に身を置く。

          飽きている。

          本日、新月。 数日前から眠気との戦い。昨日は夕方帰宅して波のように襲ってきた眠気にそのまま泥のように布団に沈み込み、おやすみ3秒。 本当にやりたいことができていない今。やりたくないことではないけど、決して面白くはないことを主軸に置いている現状に、とうとう飽きてきている、今。 そう、飽きている。飽きている秋。 どうしたものかしら。

          飽きている。

          明らかにギアチェンジした。

          スピードがあがったとかではないけれど、確実にギアチェンジした。 それは、ギアチェンジしていない人を見て気づいたことだ。その人を見て、明らかに進めていない、むしろ後退していると感じたのは、もしかしたら、自分がギアチェンジしたからなのではないかと思ったのだ。 私が変わったのだ。

          明らかにギアチェンジした。

          話したい欲

          今、私は、誰かと話したい欲がすごい。 特に話したいことがあるわけではないが、多分それは、共感だったり、共有だったり、そういうことをしたいんだと思う。 昔はひとりが楽チンだと思っていたけれど、まぁ、今もでそう思っているけれど、それでも、誰かと話す時間は前より欲しているなぁと、実感する今日このごろ。 明後日からフジロック。 こんなにも微妙な空気の中で行くフジロックは、後にも先にもこれっきりにして欲しいものだが、行ってらっしゃいって言ってくれる人がいることに感謝しながら、久

          話したい欲

          少しずつ、自分のために

          あー、オリンピックがやっと終わった。しんどかった。 そして、新月の今日。デトックスなのか何なのか、無性に泣きたい。こんな日は早く寝よう。 明日から、少しずつ、自分のために、生きるんだ。

          少しずつ、自分のために

          好きではないが、できてしまう、ので、やる。

          昼の仕事は、特に好きな仕事ではく、なんなら、いわゆる「お金のため」なので、やらなくて済むならやりたくはない。 しかし、好きでなくても、できてしまう、という状況がある。 気づいてしまうし、できてしまう。 そして、それを見過ごせない、ベストは尽くしたい性分。 結果を求め、結果が出ると、「あれ、好きかも?」と錯覚を起こし、錯覚が重なると「実は好きなんだ」と思い込みがちになる。 しかし、たまにふと我に返る。 別に好きではないんだ、できるってだけなんだ、と。 ここ、私にと

          好きではないが、できてしまう、ので、やる。