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自分で自分を間違って値踏みしないために書く

しばらく前に、将来は起業することを目指している学生さんたちに会う機会があった。

そのうちのひとりにこんなことを聞かれた。

「将来、ボクもコンサルティングとかファシリテーションの分野で独立したいと思っているんですけど、どんな準備をすればいいですか?」

ここで、「まずは、コンサルティング会社への就職を目指したら?」とか「ファシリテーションの講座に出てみたら?」とか「経営関連の本を読んでみたら?」という辺りのアドバイスをするのが一般的だろう。

ただ、そんなアドバイスは他の人にもしてもらってるだろうなと思うし、自分としては、そういうアドバイスが本当に役に立つ実感が持てなかったので、「ブログを書くといいよ」と伝えた。

しかも、ブランディングとか集客のために書くのではなく、自分のために書くことをお薦めした。

そうお薦めした理由のひとつは、書くことをとおして、自分で自分のことをよく知るためだ。

・自分が何十本もの記事を書けるほど興味を持っているテーマは何か?
・自分はなぜそのテーマに関心を持っているのか?
・自分はそのテーマに取り組むことで何を成し遂げたいのか?

ということを考えながらブログを立ち上げ、書き続けていく。

こういうことを考えて、いざ書こうと思っても、そこまで書くネタが浮かばなかったりすると「本当に自分はそれに興味があるのか?」と考えることができる。

そういうテーマがあったとしても、自分の頭の中で勝手に盛り上がっているだけではなく、ほかのだれかに読んでもらうために言語化をしようとすると、その盛り上がっている想いも、最初のうちはテキトーなもので、なかなか言葉にできなかったりする。それをきっかけに、これまでより一段深く、自分の関心を掘り下げることができる。

こういう経験を積んでおけば、営業スキルとかプレゼンテーションスキルとかの勉強をしなくても、自分の事業を相手に伝えることができる。

それも、よくある「良いこと言ってるんだけど、中身が伴っていない」言葉ではなく、自分の言葉として伝えることができる。(また機会を改めて書くけど、このことは自分が来てほしい客に来てもらうために必須のことだ)

こういうお薦めをしたふたつめの理由は、自分のことを間違って値踏みしないために必要なことだと考えているから。

仕事をしていても、プライベートでも、よく起きてしまうのが、自分のことを自分で勝手に、しかも間違って値踏みしてしまうこと。

よくある間違った値踏みの例としては、

・「こんなもの、自分だけじゃなく、誰でも知ってる/できるだろ…」
・「自分/自分がやっていることは、スゴい!イケてる!」

という感じで、過小、あるいは過大に評価してしまうことだ。

過小評価は、自分がその分野の専門家であればあるほど、自分にとって「当たり前のこと」なので、その価値を低く見積もってしまう。

過大評価は、何か新しい分野に出会ったり、その分野の有名人などの話しを聞いたあとに起きることが多い。

このどちらにもおちいらないようにするために有効なのが、ほかの人の評価をあおぐことだ。

特に、その分野を自分の商品にしようと思うならなおさらだ。

なぜなら、たとえ自分で過小評価しようとも過大評価しようとも、その商品を選ぶのはあなたではない。ほかの人だ。

だから、それが本当に必要とされているものなのかどうかは、他の人に評価してもらうことでしか知ることができない。

たとえ、あなたが過小評価していてもだれかに評価してもらえれば、それは商品になり得るし、過大評価していても(夜中のラブレターのように)盛り上がっているのがあなただけなら、それは商品にはなり得ない。

こう書いてしまうと当たり前のことなんだけど、当たり前すぎるからか、実践にまでたどり着く人は、自分の周りで見る限り、あまり多くはない。

すぐに起業しようと思っていなくても、どこかの会社に勤め続けることを決めていたとしても、自分自身を間違って値踏みせず、自分の軸を見極めるために書いてみるということをやってみてもいいんじゃないかと思うんですが、どうですか?

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Photo by Fabian Blank on Unsplash

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