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「正しさ」とどう付き合う

「正しさ」とどう付き合ってますか?
と質問されました。

だいぶ漠然とした質問ですが、「正しさ」について
思うところ書いておきます。

学校教育の先生が良く出てきます。
その先生からは「正しい行いをしなさい」と教えられました。

「正しい」が「正しい」んだと素直に思っていました
「正しい」の対義語はいろいろあるのですが

「誤り」「間違い」「不正」「邪ま(よこしま)」
全部「正しくない」という意味。

つまり
自分が「正しい」場合、自分以外を「正しくない」と
判断する、対義語ということです。

「正しいか正しくないか」
を判断するためにはその”基準”や”価値観”があります。
立場や役割もあるかもしれません。

だから
「正しさ」は人それぞれです。

人それぞれの「正しさ」があるのに
自分の「正しさ」に反するものを

「正しくない」
とするのは、ただただおかしな思考です。

僕はずっと

「正しさ」を掲げて、自分と他人を裁いてきました。
自分が「正しい」。お前は「間違っている」。

「正しい」を掲げると自分は「正義」を手に入れます。

「正義」があれば相手を叩いていいのです。
「正義の味方」は「悪」を叩くものなのです。

でも僕が「正しさ」を掲げた結果
どうなったかというと人は離れていきました。

自分の周りにはイエスマンしかいなくなりました。

そのうち、自分の中でも「正しい」は暴れだしました。
自分が自分を「正しさ」でさばき始めるのです。

「お前、これは本当に正しいんか?」
「正しいこと言っているんか?」
「そんなの正しくないやろ!」

そうやって自分を縛ってがんじがらめにして
身動きとれなくなります。

自分で自分をバシバシ叩いて
やり続けてきたのですね。
疲れてやんできます

「正しさ」は諸刃の剣だったのです。

でもなんでそんなことを他人にも自分にも
してきたのか、というと
クソ真面目で素直だったというのもあるのですが

僕は
いろいろあって子どもの頃から人が怖かったのです。
世界を恐れていたのです。

だから「自分を守るため」に「正しさ」を掲げた
誰にも負けないように
戦う武器として護る盾として

「正しさ」を使ってしまったのです。
数学や科学の世界でもない限り、

一般世界に「正しさ」なんてない。
答えは一つではない。

「正しさ」を掲げている時は
そこに
あそび、余白、別意見を受け入れる認める余裕もない状態。

「正しさ」が戦争を生む。
「正しさ」にこだわっている時は

「私は人に理解してもらえない」と思っていて、
相手も「理解してくれない人、理解できない人」と
双方を信頼できてない状態。

最初の質問に戻る。

『「正しい」とどう付き合っていますか』
 だから、
今僕は「正しい」からは距離をとっています。

「正しさ」にこだわっている自分がいたり
「正しい」と言ってくる人がいたら、
「正しい」がネガティブになる時がしんどい

とりあえずこれは違うので、その思考や人から離れるか、

「正しい」より「楽しい」
にできないかを考えてみます。

私は私の価値観の中で「正しい」のだろう。
相手は相手の価値観の中で「正しい」のだろう。

私も「正しい」あなたも「正しい」

その上で
私もあなたも「楽しい」方法ってきっとある。

それを探すこと それを考えることが

「正しい」で固まったを頭をほぐし
新しい世界へとステージアップする方法。

「正しい」と思っている時は
「世界を恐れている」時。

世界は優しいから
「正しい」を手放してみよう。

まだまだ怖いけどね

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