僕だけのモラトリアム vol.2

※この話は『僕だけのモラトリアム vol.1』の続きです。

第三章 三回生の部


「新歓公演で挫折する」

今年も、新歓公演に向けた準備に取りかかる時期が来た。

今回の題目は『来てけつかるべき新世界』。
コテコテの大阪弁を喋るおっさん達がたくさん出てきて、ひょんなことから世界を救うために奮闘したりする物語だ。

僕はこの公演に二度目の制作チーフとして参加した。
今回はSSもなし。本当の意味でチーフとしての力量が問われるタイミングと言える。

僕は意気込んでいた。
と言うのも、この新歓公演は年五回の公演の中で最も観客動員数が多い傾向のある公演だからだ。ジゲキの歴史で最も観客動員数が多いのは四年前の新歓公演で、その時の制作部署は1200人という動員数を達成した。
僕はその記録を越えたかった。だから「歴史を塗り替える」という派手なスローガンを打ち立てて、制作の作業に取りかかることにした。

普通のやり方では到底超えられないと思ったから、今までにないような施作をいくつも考案した。
地元の有名ラーメン店や31アイスクリームとコラボして、ジゲキの公演を見ればそれぞれの店で割引が受けられるようにしたり、
ラジオに広告を流すことを検討してみたり、
大学のインフルエンサーに宣伝してもらったり、
一万枚以上のチラシを配ったりもした。

日を重ねるごとに僕の鼻息は荒くなっていって、次第に制作は他の部署から孤立するようになった。
制作部員の中にも、僕の熱量に追いつけないと言う部員達が出てきていたが、「甘ったれたやつにかまっている暇などない」と言うばかりで、ついてくる部員ばかりを大事にした。
周りから陰口を言われるようになっていたが、そんな奴らは結果で見返してやると気にも留めなかった。

しかし、公演一週間前になって予約数が想定より全く伸びていない事実に直面する。
焦った僕は周りに協力を仰ぐが、この頃には孤立した僕に協力してくれる部員などほとんどいなかった。
最後まで必死に足掻き続けたけど、予約数は伸びなかった。


結果から言えば、僕がこの公演で動員できたのは654人だった。(1300人という目標を立てていたから、ちょうど半分の動員数ということになる。)
あれだけ大口を叩いてのこの結果だから、部員からは猛バッシングを受けた。
公演後の反省会では、「最初から無理だと思ってた」「お前にそんなことできるわけないやん」「どうやって責任取るんですか」などと心ない罵声の言葉を沢山浴びた。
しかし、結果で見返せなかった僕には反論する余地がなかった。
(制作という部署は、活動の成果が観客動員数という分かりやすい数字で出る。役者や照明、音響等の他の部署にはない特徴だと言える。いい結果の時には功績として残り続けるが、僕の場合は汚点として語り継がれることになった。また、新歓公演の動員数はその年の新入部員の数に直結する。他の公演の時以上に、部員から非難の目を向けられても仕方なかった。)

この結果は、僕にとってこれまでにない程の大きな挫折となった。
僕には昔から、自分ならなんでもできると思い込んでいる節があった。勉強もスポーツも人並みかそれ以上にできたし、大学に入るまでは大きな苦労を経験しなかったから、本気になれば自分にできないことなんて何もないと真剣に思っていた。
そうして挑んだ結果がこのザマである。

不可能なこともある。
僕はそれを痛いほど思い知った。



しばらくしてから振り返ると、反省点は幾つか出てきた。
まず言えるのは、斬新な自分のアイディアに酔って従来の集客方法を疎かにしてしまったことだ。(後から分かったことだが、新歓公演では毎年行われている効果的な宣伝方法がいくつかあった。きちんと先輩に頼って、その方法を教授してもらっていれば遥かにマシな結果になっていたのは間違いない。)
また、部内で孤立したのも良くなかった。集客が仕事とはいえ、制作も公演を作る部署の一つに過ぎない。周りとの連携なしで大きなことを成し遂げるのは不可能だった。
他にも細かい反省点はいくつもある。歴代最高の観客動員数を意識しすぎたあまり、視野が狭くなって色んなことを見落としていた。



いよいよジゲキでの活動に嫌気がさしてきていた。
部内に居場所をなくしていじけていたのもある。
しかし、僕達は新三回生。幹部学年にはジゲキの中核を担う責務がある。
僕の胸中は複雑だったが、息つく間も無く次の公演に向けた準備が始まろうとしていた。









「準主役として舞台に立つ。実力不足を知る。」

今までよりは若干消極的な気持ちで、七月公演『空飛ぶ遊園地』の役者オーディションに挑んだ。三日間の選考の結果、準主役の”ゴールデンバット”という役を任されることになった。

演劇に対するモチベーションは低下しかけていたものの、主役級の役をもらえたのは素直に嬉しく、吹っ切れてやってみるかという気持ちになっていた。

そうして始まった練習の日々。
しかし、このゴールデンバットという役は演じるのが非常に難しかった。
年齢は不明。それどころか人間ですらない。人の形をした吸血鬼で、本人すら分からない程の長い年月を生きている。サーカスの主催をしていたりするが、何を考えているか分かりづらく、どこか浮世離れしている不思議なキャラクターである。
作中でも独特の存在感を放つ、極めて重要な役どころだと言える。

これまで演じてきたアウグストゥスや弥次郎に比べて、ゴールデンバットへのアプローチは難しかった。
掴みどころのない人物故に、キャラクターの深堀りもしづらい。自分との共通項を探そうとしたけど、共通する部分があるのかすらも分からなかった。

それでも何とか役作りを進める。基本に立ち返って、台本のセリフやト書きの裏にどんな意図が隠れているのか。どうしてゴールデンバットはこの行動をしたのか、何を思ってこの発言をしたのか、一つ一つ考えてみる所から始めた。

しかし、ここでまた別の課題が立ち塞がる。それが、これまでとは比にならない程の圧倒的なセリフ量である。
長台詞の一人語りのシーンがあったりもするため、覚えるだけでも相当な時間を要した。また、このセリフ量の増加は、これまで何とか誤魔化してきた滑舌の悪さを露呈させることにもなった。ゴールデンバットのセリフの中には、物語を理解するために欠かせない要素がいくつもある。一言一句を正確に発音しなければ、演劇を成立させられない。
どうすればゴールデンバットらしさを出しながら正確にセリフを届けられるのか、趣向を凝らしながら日々練習に励んだ。
また、今回公演を打つのは普段のシアター300ではなく、二階席まである大きなホールであるため、これまで以上に大きな動きと発声が求められる。
つまり、誤魔化しの効かない高いレベルの役者の基礎能力が要求されていた。
練習が進むに連れて、僕の役者としての能力の低さが露呈していくことになった。



さらに悪いことに、この公演の練習の雰囲気は過去最悪だったと言える。
そもそも脚本が暗く、アングラな部分に光る美しさを描いたものであるため、演じていても楽しい雰囲気にはなりづらい。
演出陣にも問題があった。演出は僕の同期で、彼なりに奮闘していたが雰囲気作りに長けたタイプではない。何より問題となったのが、演出補佐に彼の恋人がいたことだった。
あくまで噂ではあるが、元々この台本を作りたかったのは彼女の方だったのではないかと言われていた。交際している間に、この脚本の話をしたのだろう。演出になった彼も、当然気に入ったからこそ演出を務めたのだろうが、彼女に唆されて台本選考会にこの脚本を持ち込むことになったのではないかと推測する部員も少なくなかった。
そこまではまだ良かった。
彼女の方もあくまで演出補佐として、彼を補助するつもりだったのだろう。
しかし、日を重ねるごとに我慢がきかなくなったのか、彼女の発言は自分が演出であるかのようなものが増えていった。演出と意見が対立することもあったが、彼女は引かない。交際関係も絡んでくるため、演出も強くは反発できないようだった。
なんとなく伝わっているかもしれないが、この時の彼女は”かかっていた”。新歓公演で制作チーフをしていた時の僕以上に重症だったかもしれない。
ある日、僕がステージ上を駆け回りながらサーカスの紹介をする場面を練習していた時、彼女が「やる気ある?」と言った。僕としても思うところはあったから口論になる。挙句彼女は「死ねよ」と言った。頭に血が上っていたのだろう。
しかし、役者に対するダメ出しの延長として言っていい言葉ではなかった。
この日を境に、演出陣と役者陣の溝は決定的なものになった。
練習にはきちんと参加して、ダメ出しは真摯に受け止めようとはする。しかし、相変わらず口調は厳しく、演出と演出補佐で食い違うダメ出しをされる事も多かったため、受け取ったダメ出しをうまく消化することは難しかった。(「言い方ってもんがあるだろ」「どっちやねん!!」と役者たちは不満を募らせていく。)
昼休憩で昼食を食べる時も、役者と演出陣は別々のテーブルに座った。練習以外で口をきく事もほとんどなくなっていった。


この関係の悪さは日に日にエスカレートしていったが、双方歩み寄ることはできず、そのまま本番の日を迎えてしまった。
(そうでなくても役者と演出の関係というものは難しい。日々の練習では、役者が演技をして演出がそれにダメを出すことが繰り返される。一方向の会話の連続は、双方にとって心地の良いものではない。また、役者にもこういう風に演じたいという解釈がある訳だが、この解釈が演出と食い違った時には何らかの形での衝突は必然になる。このような前提があるため、互いにリスペクトを持って会話することが求められるが、今回の公演ではそれが決定的に欠如していた。)

正直に白状するが、僕は半ば義務感のみで舞台に立った。
腹の底では、なんであいつらの言うことに従って、なんであいつらのコマになって演じなければならないんだとすら思っていた。
(厳しいダメ出しは本番が始まっても続いた。本番が始まってなお、変更を加えてより良いものを目指し続けるのかは意見が分かれる所だが、それでも演出からの労いの言葉から始まるのが通例だった。(ステージが変わっても、観客に同じクオリティーの演劇を披露し続けることを美学とする場合もある。)今回は役者に対する労いの言葉はなく、頭ごなしのダメ出しが繰り返されるばかりだった。)


結果は言うまでもないだろう。
僕個人の評価としては、準主役として、ここ最近のジゲキの役者の中で最低の出来だった。
何より、演じた本人が「こうやって演じる」と心から決めることなく舞台に立てなかったのがよくなかった。たとえ演技が下手でも、芯が一本通った気持ちのいい表現をすることが役者としての最低限の仕事だろう。
僕はそれすらできなかった。選出陣との確執など言い訳にできない。役者失格である。

それでも、案外この公演に対する評判は悪いものばかりではなかった。役者陣の不満が、この公演が持つアングラな雰囲気にうまくマッチしたのかもしれない。実際今までで一番良かったと言う常連客さえいた。
(振り返ると、練習の雰囲気作りはともかくとして、演出陣が目指した表現自体はレベルの高いものだったように感じる。)


少し歳を取った今なら、、、と思うことはある。
当時の僕はゴールデンバットを演じるには若すぎた。
演出陣も同様だろう。
タイミングが悪かったということに関しては、当時の僕達としても珍しく意見が合致する所ではないだろうか。









「短編映画に出演する」

ここまで、大学生活の振り返りと称しながらほとんどジゲキでの日々ばかりを描いてきたわけだが、ここでようやくジゲキの活動から少し離れることになる。

公演中にかかった食中毒から始まった癌との闘病、骨折、制作チーフとしての失敗、準主役としての実力不足。
いい加減僕も疲れていた。
心の平穏を取り戻すために、ジゲキから距離を置こうと思った。


そんな折に、某私立大学の映像学部の学生からメールが届く。
確認してみると、製作予定だという短編映画への出演オファーだった。
大学もちょうど夏休みに入る。いい機会だと思って快諾することにした。

詳細を確認すると、製作する映画は映像学部のゼミの卒業制作とのことだった。
尺は四十分。『歩く花』というタイトルで、夢を諦めたサラリーマンの葛藤を描く普遍的な作品だ。会場を貸し切っていくつかの作品と共に上映もされるらしい。
オファーされたのは、主役の同級生であり親友として、悩める主人公にそっと道を照らし出すような役柄だった。

映画を観るのは昔から好きだったから、形はどうあれ映画に出演できるという事実に胸が躍った。

学生が作る短編映画と言えばちゃちなものに聞こえるかもしれない。
しかし、この映画の製作はこれ以上ないほど本格的だったと言える。
全員学生ではあるが、脚本家兼監督から始まり、プロデューサーに、アシスタント、カメラマンや衣装担当まで、総勢十五名ほどのスタッフが参加していた。
撮影は三週間に渡って行われ、ロケ地は中学校の教室、ラーメン屋に、夜景が見える展望台、京都の河川敷や、実際に使われているオフィス、撮影のためだけに家賃を払ってひとり暮らしの家を再現した部屋もあった。
参加してみて分かった事だが、少なくない金額と人手が注ぎ込まれているのは明らかだった。

映画の世界や芸能界では当たり前なのかもしれないが、キャストの扱いは驚くほど丁重だった。飲み物や衣装は勝手に用意されていたし、移動や食事の面倒も見てくれる。撮影の準備や後片付けをスタッフがしている間は、キャストのみに休憩場所も与えられた。
これには驚いた。自分も同じ学生の身分だし、こんな扱いを受けるほどの実績もない。気を遣って準備を手伝ったりもしたけど、「キャストさんにそんなことさせるなよ」と偉そうな先輩が怒り出す始末だった。

一方で、キャスト陣のプロ意識は驚くほど低かったように思う。
まず驚きなのが、台本をもらった後に撮影をするまでの間、練習はほとんど行われない。唯一あった顔合わせ兼読み合わせでも、監督からのダメ出しらしいダメ出しはなく「全体的にもう少しだけこういう感じでお願いします」と抽象的な感想を伝えられるのみだった。その日は結局、台本を一度読み合わせただけで解散。普段のジゲキの練習を思えば、到底信じられることではなかった。
当然、役者陣の演技はお世辞にも上手いとは言えない。僕の他に、プロの肩書きをもった役者も参加していたが、その人の演技も決して上手なわけではなかった。正直に言ってしまえば、ジゲキの何人かの役者の方が圧倒的に上手い。初見でセリフを読んだとしても、彼よりもうまく読み上げるのは間違いないと思った。
一緒に撮影を進めるにつれて分かった事だが、彼は芸能人のように振る舞うことだけは上手かった。毎日キツめの香水をつけてきて、事あるごとに業界用語を口走る。どこからそんなお金が出てくるのかは分からないが、身につけるのはハイブランドの服ばかりだった。

同じ役者という肩書きでも、演劇と映画でこんなにも違うものかと思った。僕が経験したのは共に極端な例なのかもしれないが、演じるという概念に対する捉え方が根本から異なっているように感じた。


撮影が始まると、色々なことが分かってきた。
まず、当たり前な事なのかもしれないが、映画の撮影では同じシーンを何度も撮り直す。数秒間のシーンを、カメラの位置を変え、小道具を変え、演技の尺を変え、何度も何度も撮り直す。そして撮り直す度に監督とカメラマンが映像の確認をする。監督の基準で撮りたいものが写っていれば、そのシーンの撮影が終わる。
僕達役者はこの確認作業には関与しない。どういう風に写っているのかすら分からないが、OKが出るまでなるべく同じ演技を繰り返すのみだった。
実際に撮影に参加してみて感じたのが、一つのシーンをこんなにも色んな角度で撮るのだなということだった。一見普通の会話のシーンでも、正面からの画角、後ろからの画角、一人称視点の画角、相手の視点からの画角、更には表情や身体のインサートまで撮ったりする。のちの編集で見せたいところを繋ぎ合わせて、ようやく一つのシーンとして成立する。

なるほど、これは役者の演技にかまっていられないなと思った。何なら途中で下手に変更を加えれば、編集する時に辻褄が合わなくなる。
全てが一発勝負の演劇とは、決定的な違いがあった。

撮影を何日か経験してみて、映画に出演するには、演劇の役者とは違う種類の才能が求められると感じた。演劇でも勿論そうなのだが、映画の役者には’自然体’でいることがより求められる。
演劇では遠くの観客に役の感情を伝えるために演技をするから、少しばかり誇張した表現方法になりやすい傾向がある。例えば内なる悲しみ表現する場面でも、表情や動きなしでは伝わりづらいため、いかに自然な感じでアウトプットして伝わりやすくするかということが重要になる。しかし、映画では必ずしもそうではない。内なる悲しみを表現する場合、必ずしも身体や表情を大きく動かす必要はない。極端に言ってしまえば、役者の目を映すだけでも内なる悲しみを表現できたりする。

そして何より重要なのが、カメラを間近に向けられても、それを意識しすぎずに自然体でいること。これがなかなか難しい。カメラを意識し出すと、途端に表情や筋肉に微妙な変化が生じる。映画の中に生きるためには、カメラを向けられていることを忘れているかのような自然さを身につける必要がある。
演劇では、ある意味役に憑依してしまうことで堂々としていられる部分がある。しかし、映画の撮影は長丁場。完全に役になりきるというより、素の自分に近い部分を撮られることも多いため、その境界線は演劇よりも曖昧になる。
つまり、映画の役者には素の自分を躊躇なくさらけ出せる、開き直りのような大胆さが必要不可欠であると言える。
僕は案外この才能に長けていた。昔から自分が自分を好きでいられたら、他の誰からどう思われようが関係ないと思って生きてきたから、カメラを向けられても自然な自分を無理なくさらけ出すことができた。



撮影は楽しかった。
スタッフの方々が撮影中に盛り上げてくれるし、街中での撮影はちょっとした騒ぎになる。自分が有名な俳優になったかのような気分は悪くなかった。
夜の郊外で、歩き始めた意中の女性の手を掴んで「少しだけ、お時間もらえませんか?」なんて口にするシーンは、撮影しながら役者冥利に尽きるとすら思った。

二十日間の撮影もあっという間に終わって、半年後に開かれた上映会に出席する。
自分が出演する映画を観た感想としては、「うーん。もっと格好良く写ってると思ってた」というような感じだった。

前述の通り、映画の世界ではあまり役作りの時間がない。
よっぽどのはまり役でもない限り、役者の素の演技力が映画の出来を左右する。つまり、役者の生まれ持った演技力が肝心要となる。
膨大な練習量でそれを補って舞台に立ってきた僕にとって、映画の世界は向いていないのかもしれないと感じた。






「先輩の卒業公演に出演する」

冬の寒さが本格的になってきた頃、一つ上の代の先輩方の卒業公演に向けた準備が始まった。
秋冬公演への参加は辞退したから、ジゲキから離れて半年が経過していた。

それでもまだ完全には心の傷は癒えておらず、ジゲキの公演に戻るのは時期尚早だと感じる。
演出に選ばれた先輩にもその旨を伝えて、不参加の意向を提出した。
しかし、返ってきたのは「あかん。お前はもう役者にすると決めとるんや」という冗談三割、真剣七割のような言葉だった。
驚いたけど、やっぱり断った。それでも先輩は譲らなかった。

この演出に選ばれた先輩は、あの『犬コロ』でも演出を務めた先輩だった。
数々の失敗を犯して、ジゲキでも落ち目になっていた僕を、それでも見捨てずに役者として使ってくれようとしていることに胸が熱くなった。

何より三年間の恩義がある。この厚意を無下にするわけにはいかなかった。
悩んだ末に「分かりました。僕で良かったら、精一杯頑張ります」と返事をした。



例年卒業公演では、卒業する先輩方が主要な役どころを務める。そのため、今回の僕もエキストラとしての出演だった。
今回の題目は『ふくすけ』。
これまた難儀な台本であり、奇形に生まれた”ふくすけ”という青年の半生を中心に、どこか問題を抱えた人物達を描く。
些細なきっかけで生まれた幾つかの小さな渦は、いつしか集まって一つの大きな渦に変貌していく。
生きるとは何か、生まれるとは何か、奇形なら生まれてこない方がよかったのか、めくらでブスな女は不幸なのか、根暗で吃音のおじさんは幸せになれないのか、欲望とは何か、愛とは何か。奇形ゆえに放り込まれたサーカスのステージで、ふくすけは観客に根源的な問いを投げかける。

社会の暗い部分にスポットライトを当てた問題作とも言えるこの脚本には、役の大きさは違えど、単なる通行人から主役のふくすけまで、百人近い人物が登場する。
僕は十人ほどいるエキストラの一人だったが、それでも十以上の役を兼役することになった。



二週間程して練習が始まる。
この頃の僕の日記にはこう記してある。

いつの間にか、気づかないうちに色んなことができるようになっていた。

しばらくジゲキから距離を置いたことで、自分や日々の練習に対して俯瞰した見方を自然とするようになった。
今までは役に食らいつくことで精一杯だったけど、今回の役は端役ばかり。役作りで必要以上に振り回されることもなかった。
五回目の役者にして、ようやく精神的な余裕を獲得したのだった。
この余裕は大きかった。手探りでがむしゃらに練習を続けるのではなく、これまでの経験と照らし合わせて、必要な練習を模索して積み重ねられるようになった。
そして、この頃になって初めて気づいたことだったが、僕はいつの間にか役者としての様々な素養を身につけていた。銃で撃たれるシーンでは’おぼろ’の経験が役に立ったし、変わった役を演じる時でも’アウグストゥス’に比べれば容易だった。シーンの真ん中で演じる時には’ゴールデンバット’の経験が生きたし、通行人に求められる自然さは映画の出演によって身に付けていた。
自分の役者としての評価は下がりきっていたから、この発見は意外だった。何もしてこなかったわけじゃないんだなと気づいて、これまでの苦労が、少しだけ報われた気がした。



そうしてあっという間に本番日を迎え、無事に千秋楽まで走りきった。
達成感を持って卒業していった先輩方の姿を間近で見て、本当に参加してよかったと思った。
馴染みの先輩方が、最後の舞台に入る時の表情は今でも覚えている。責任感と寂しさ、そして覚悟が合わさったような表情だった。
公演の成功に貢献できたことは、僕にとっての誇りだった。

久しぶりに参加して、ジゲキに居場所を再発見できた感覚も確かにあった。
でも何より、一つ上の先輩方の卒業は寂しい。
三年間の活動の全てを共にして、酸いも甘いも沢山分かち合った。思い出を挙げ出せばきりがない。沢山怒られたし、沢山笑い合ったりもした。沢山飲み会に行ったし、バカなことも一緒にした。尊敬できる部分を沢山知っているし、嫌いな部分も沢山ある。
明日からの部活動に先輩方がいないなんて信じられなかった。ただただ、寂しくてしょうがなかった。








第四章 四回生の部


「ファッションインフルエンサーを目指して奮闘する」

『ふくすけ』の終演からしばらく経って、新歓の行事も落ち着いた頃、僕は再びジゲキから距離を置いて生活をしていた。
本公演に戻るほど活力は回復していなかったし、もう四回生になったから必要以上に出張らなくてもよくなったというのもある。バリバリ参加して後輩に背中を見せるという考え方もあるが、消極的な僕が参加することで後輩の挑戦の機会を奪うのはいけないと思った。

そうは言っても時間とエネルギーは持て余す。
そこで僕は、前から行っていたSNSでの活動を本格化することにした。


この話の発端は、僕が大学に進学したばかりの頃まで遡る。

田舎の地で育った僕は、’着飾る’ということにあまり頓着なく過ごしてきた。
中高生の時は学生服を着ていればよかったし、子供の頃からの顔見知りばかりの街を歩く分には着飾る必要を感じなかった。
そんな僕が、進学を機にお洒落の街神戸に引っ越した。
街ゆく人々の姿は格好良くて、素敵で、自信に満ち溢れているように見えた。
大学の同級生にも、見るからに垢抜けたお洒落な奴がいた。
僕もあんな風になりたい。素直にそう思った。
毎日クローゼットの服と睨めっこして、着る服を考えてみる。でも、何を基準に選べばいいのかすら分からなかった。

そんな時に出会ったのが、Instagramのあるアカウントだった。
退屈な初級経済学の授業を受けながら、発見のタブで彼の投稿を見つけた時、衝撃が走った。
これだ!僕が思う格好いいとはこの人だ!
見た瞬間に直感的にそう感じた。彼の他の投稿を見ていくと、その直感が間違いではなかったことが分かった。
インフルエンサーなんて言葉が浸透するより前に、彼は先駆けとなって自分のコーディネートを撮影して投稿していた。フォロワーは既に二万人以上。どのスタイリングにもどこか一貫性があって、お洒落というものを体現しているかのように見えた。

彼との出会いが全ての始まりとなった。
ファッションのフの字も知らない、芸術的な才能も持ち合わせていない僕だったけど、彼の投稿のコーディネートを真似ることで少しずつ’着飾る’ということを覚えていった。
彼が着ている服と全く同じものを買うこともあったし、同じものがない場合でもなるべく似たものを探して再現した。
そうしてしばらく経った頃、いつしか僕のクローゼットはファッションの基本的なベースとなるアイテムで埋まっていた。

後になって思いついたことだが、万人のファッションはすべからくこのような’模倣’から始まるのではないだろうか。
街で見かけたり、テレビで見たり、雑誌で見つけたり
出会い方は様々だろうが、何らかの出会いを通じて、自分が素敵だと思った服を模倣して着てみる。
その作業を繰り返して、いつしか自分だけのスタイルを獲得する。
センスも何もないような気がしてくるが、出会ったそのものを素敵だと感じる事こそがセンスなのだと思う。同じものを見ても、何を感じるのかは人によって全然違う。ファッションについても同様で、個性あるスタイリングを見て、素敵だとか、自分も着てみたいと思う感性こそが、僕たちがセンスと呼ぶものなのかもしれない。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチですら、何もないところからは創造しえない

みたいな言葉をどこかの本で見かけた気がするが、まさしくその通りである。



こうして僕は’着飾る’ということを始めて、然るべきのちに自分のスタイルを獲得した。
服屋さんに行っても、好きな服とそうじゃない服が分かるようになったし、お手本なしでも自分で一からコーディネートできるようになった。
これは大きな進歩である。毎日の服を選ぶのが楽しくなったし、自己肯定感も上がった。周りからお洒落だとか言われるようにもなって、僕はますますファッションの世界に傾倒していった。

そんなある日、僕は自分のスタイリングを撮影してSNSに投稿してみることにした。WEARというアプリが流行り出していたのもあって、単なる好奇心による部分が大きかったように思う。
スマホを駆使してなんとか撮影をして投稿する。
当然いいねはほとんどつかないし、閲覧数も少ない。
それでもいいと思った。この一連の作業は思っていたより楽しかった。

こうして何となくで始めた活動だったけど、やればやる程に想像より遥かに奥が深い世界だと気がつき始める。
着用する服を選ぶ所から始まって、撮影の方法、ポージング、編集、投稿のスタイルなど、趣向を凝らす部分は多分にあった。その全ての選択に個性が出る。SNSのユーザーはその個性を1秒足らずで見抜いて、フォローする価値があるかどうかを判断する。
投稿する人の肩書きなんか関係ない。自分の個性をいかに上手く際立たせるかだけが物を言う、極めてシンプルで平等な世界だと感じた。


そこからの三年間で、七十くらいのコーディネートを投稿した。
自己満足だけで始めた活動だったけど、数をこなすに連れてその活動の動機も変化していた。
「かつての僕がそうしてもらったみたいに、見てくれる誰かに良い刺激を与えて、少しでもその人の人生が色づけばいいな。」
綺麗事なんかじゃなく、本心からそう思って活動を続けていた。


そして現在に至る。
膨大な時間があって、着る服もこの三年間で洗練されつつある。活動を本格化するには絶好のタイミングだと言えた。
誰かに刺激を与えるには、まずもって沢山の人の目に触れられないといけない。ここにきて初めて、明確にフォロワーを増やすことを目標に据えて活動を再始動することにした。

まず行ったのが、伸びているアカウントの共通項を探し出すこと。なぜ伸びているのか、フォロワーはどこに惹かれているのかを客観的に分析してみた。
そして、その見つけた特徴を自分の個性が消えない範囲で踏襲してみる。自分に合うものと合わないものもあったりしたけど、試行錯誤を繰り返して自分の投稿スタイルを確立していった。
写真は全身が写っているものを採用すること、父親から譲り受けた一眼レフとリモコンを使って画質の良い写真を撮影すること、着用しているアイテムの詳細を明記すること、コーディネートの自分なりのこだわりも載せること等を心がけた。

服に限りがあるため毎日とまではいかないものの、週に四回ほどのペースでInstagramに投稿を続けた。
仕上がった写真に納得がいかず、没にすることも多々あった。
それでも、投稿したコーディネートの総数は二百以上にのぼる。一つの投稿に載せる写真のために五十回はシャッターを切っていたから、撮影した自分の写真は一万枚は下らないだろう。
光の加減、ポージングや顔の角度、過去の投稿に対するフォロワーのリアクションも参考にして、日々外出してはカメラの前に立ち続けた。
活動自体はまさしく孤独だったが、投稿にいいね!やコメントで反応をくれるフォロワーの存在が心の支えになった。

いつしかフォロワー数は五千人を超えて、ブランドからの宣伝依頼も度々受けるようになった。
後には、あの心から憧れたアカウントの方とzoomで話す機会にも恵まれて、言葉では足りない程の感謝の気持ちを伝えることもできた。


このnoteを書いている今、活動は休止している。
やり尽くした感があるのと、TikTokやリール等の動画が主体となった今の環境は僕の肌に合わなかったためである。
でも、その内また不意に再開するかもしれない。心が動けば。

振り返ると、人生で一番若くて魅力的な頃の自分の姿を沢山残せたのは、思わぬ副産物だと言えるかもしれない。

今でも時々見返して、「悪くないじゃん」なんて自分で思ってにやけていたりする。分かってる。おかしいとは思う。









「卒業公演に参加、自由劇場を卒業する。」

いつしか時は流れて、僕達の代の卒業公演を行う時期が近づいていた。

恒例の夏合宿には参加したし(肝試し投票では、三年連続男子の部一位を獲得した)、週に一回ほど制作の手伝いをしていた時期もあったけど、ジゲキの公演に本格的に参加するのは一年前の『ふくすけ』以来。
久しぶりの、そして、最後の公演が始まろうとしていた。


入部当初は十五人いた僕達の代も、卒業や退部があって今や五人。
「減ったねえ」だとか「卒業するなんて信じられないよな」なんて言い合いながら、同期の家に五人集まって、最後の公演の台本選考会を行った。普段の公演なら、全学年が集まって投票で決めるところだけど、卒業公演は卒業生だけで台本を選ぶのが慣例となっている。
候補は二つ。適当に役を振り分けて、最初から最後まで読み合わせをする。
どちらの台本も面白くて、独特の世界観が光っていたから選ぶのは難しかった。五人で色々な意見を出し合って、最後は『リトル・ウェンズデイ』という台本を選んだ。

この台本にしようと決めた時、僕達の間に不思議な連帯感が生まれたのを感じた。未経験ながら演出に名乗り出てくれた同期を中心に、卒業生の僕達が先頭に立って公演を作っていこうという意識を、五人それぞれが持ち合わせていたからだと思う。



そうして始まった『リトル・ウェンズデイ』の練習の日々。
今振り返れば、この公演が一番楽しかったように思う。

一時期はジゲキの中に居場所を失っていたりもしたけど、今では慕ってくれる後輩も多い。
苦楽を共にしてきた同期と、可愛くもあり頼もしくもある後輩達と過ごす日々は、本当に楽しくて、かけがえのないもののように思えた。(練習ではもちろん、大変なことも沢山あったけど。)

今回、僕がもらったのは”ルルー”という名前の少年の役だ。最後の役にして最年少の役ということになるだろうか。
役柄の詳細に入る前に、脚本のあらすじを紹介する。
『リトル・ウェンズデイ』の舞台は、戦時中のドイツの士官学校である。
士官を目指す十五歳位の少年が集まって、日々教官の厳しい指導の元で訓練をこなしながら一緒に生活を送っている。
ある出来事をきっかけに、五人の少年が毎週水曜日の夜に屋上に集まるようになる。星を眺めたり、音楽を聴いたり、くだらない話をしたり。戦争をしていることが嘘みたいに感じる時間を共有して、五人の絆は結ばれていく。
しかし、士官学校の中に敵国のスパイが紛れ込んでいるという事実が発覚して、事態は思わぬ方に転がっていく事になる。
裏切り、叶わなかった夢、仲間の死、残酷な真実。
時代の波に翻弄されながらも、純粋に生きようとする少年達の姿を描いた感動作である。

僕が演じる”ルルー”は、屋上に集まる五人のうちの一人で、星を見ることが何よりも好きなオタク気質の少年である。
丸眼鏡をかけた大人しい性格で、ちょっぴりHなことにも興味がある。宇宙人がいると心から信じていて、自作のラジオを使って日々交信を試みている。
そんな彼は独自の計算によって、ある彗星が地球に接近することを発見。’ルルー彗星’と名付けたその彗星を一目見ようと、みんなで望遠鏡を作ることを提案する。
しかし、自作のラジコンが他国からのメッセージを傍受してしまい、そこを運悪く教官に見つかってしまう。宇宙との交信を試みていただけだと弁解するが、スパイの容疑で残酷な拷問を受け、悲惨な最期を迎える。
夢を追いかけた彼の死は、観客と作中の人物達に大きな衝撃を与えて、そこからのクライマックスに繋がっていく。まさしく物語の中核を担う、重要な役どころだと言える。


自分達の卒業公演で、ルルーという大役を任された僕は、これまで以上に役作りに真摯に向き合って必ず期待に応えようと思った。
四年間の経験を存分に活かして日々の練習に取り組んだ。

まず行ったのは、例によってルルーという人物を深掘ること。年齢はいくつか、家族はどんな人か、どんな理由で士官学校にいるのか、何が好きで何が嫌いか、、。台本に載っているセリフやト書きからの情報をもとに、演出や共演者達と相談しながらルルーの人物像を朧げながら掴んでいった。
周りの人物との関係性の理解も大事にした。士官学校の中で誰が好きで誰が嫌いなのか、五人の中にあるはずの微妙なそれぞれのメンバーに対する接し方の違いにも配慮した。これらを明確にすることで、セリフがない時の舞台上での動き方が分かるようになるし、観客にとっても案外こういう細かい部分がキャラの理解に繋がりやすい。
十五歳の役を演じるための努力もした。失いつつある純粋さを目に取り戻すために、日々の生活でも感じることを素直に認めるようにした。
丸眼鏡も練習中は必ずつけるようにした。僕も視力は悪いが、コンタクトにしてから久しく、眼鏡の生活を忘れてしまっている。ルルーは眼鏡に慣れているだろうから、眼鏡をつけた人がどんな仕草をするのかを思い出す作業をした。そのうちに丸眼鏡をつけると、なんとなくルルーとしてのスイッチが入るようにもなった。普段なら決してつけない丸眼鏡から見る世界は、ルルーがどんな風に物事を捉えているのかを考える助けにもなった。

練習の日程も終盤に差し掛かろうという頃、印象深い体験があった。
その日もいつも通り、朝から晩までの練習をこなして、残り時間は一時間というくらいだっただろうか。自分が出ているシーンのシーン練を終えて、出演しないシーンの練習が始まったから、自主練習をしようと外に出た。
近くの公園で近所迷惑を気にしながら、出されたダメ出しを意識してセリフの練習をする。ふと見上げると、星が綺麗に瞬いていた。
驚いた。
思わず釘付けになって、あぁルルーもこんな風に星を見上げていたのかと思った。
それから、星を実際に見上げながら幾つかのセリフを言ってみる。いつもよりルルーの感情を想像しやすかった。こんなにも星が綺麗に輝いている。今なら、宇宙の世界に夢中になったルルーの気持ちが分かるような気がした。それに、星を見上げる時は思っていたより二段階も首の角度が真上に近いということも大きな発見だった。
演劇の冒頭も、五人が思い思いに星空を眺めているシーンから始まる。それまではなんとなくで星空を見上げる演技をしていたけど、この日の体験を思い出すことで、本当に星空を見ているような身体や表情や目の演技が自然とできるようになった。


ルルーを演じるにあたって、練習で最も苦労したシーンが二つある。
一つ目が、ルルー彗星の接近を発見したことを四人の仲間に報告するシーンだ。
発見が嬉しくて仕方がないルルーは、もったいぶりながらもプレゼン形式で興奮そのままに発表を行う。最初はあまり聞く気がない仲間に無理やり語り始めて、最後はその興奮をそのまま伝播させるような発表を行うわけだが、これが中々難しかった。
まずもって、十五歳のテンションを維持し続けなければならない。普段のテンションがそんなに高くない僕は、油断するとすぐに十五歳の興奮から遠ざかってしまう。本当に興奮する時は、身体も動くし、表情も躍動する。これを常に意識しながら演技し続けるのはいつも以上に難しかった。
それに、ここのシーンはルルーのセリフが多い。長ゼリフの連続で、滑舌が悪い僕はセリフをはっきり言うだけでも一苦労だった。しかも、興奮を伝えるために、セリフを読むテンポは速くしなくてはならない。この両立が難しかった。
みんなで行うシーン練でも沢山練習をしたけど、正直行き詰まりを感じていた。
そんな時、副部長を一緒にやった同期の子が、全体の練習が始まる一時間も前に、朝早くから練習に付き合ってくれた。自分が課題だと思っている要素を共有して、彼女ならどんな風に演じるかを詳しく教えてもらう。凝り固まった演技プランに新しい風が吹き込んで、少しずつ演じやすくなったのを覚えている。


もう一つの苦労したシーンは、ルルーがスパイ容疑で拷問を受けた後、独房の前で救出を試みる仲間と再会するシーンだ。檻の中で血反吐を吐きながら、死を悟ったルルーが、四人の仲間に最後の言葉を伝える。四人と別れた後、傍にあったエロ本を丸めて上空を覗いて「見たかったなぁ、ルルー彗星」と言うセリフを残して、暗転。
観客に大きな衝撃と感動を与える、今公演でも屈指の見せ場と言えるだろう。
そこまでのシーンで、ルルーが観客に愛されていればいる程に与えるショックは大きい。まさにルルーという役の集大成となるシーンだ。

このシーンの直前の、教官に拷問をされるシーンでは、『おぼろ』の殺陣の経験が存分に生きた。自分の無実を涙ながらに訴えながら、何度も殴られ何度も蹴られる。刀で斬られるよりも痛みや衝撃が想像しやすかったから、それをリアルにイメージして身体をその通りに動かせばよかった。
その後に仲間が駆けつける訳だが、この時にはすでにルルーはぼろ雑巾である。残った力を振り絞って、最後の自分語りをする。
この時の身体の状況のイメージのすり合わせに苦労した。拷問を受けた後で満足に立ち上がることもできないが、それなりに喋るし、仲間の前だからと虚勢を張って冗談を言ったりもする。身体のダメージがどの程度なのか、死を覚悟し始めているのか、声量はどの程度出せる状態なのか。演出と話し合いながら検討を重ねた。
結局このシーンは箱に入ってからも完成はしなかった。本番が始まる直前まで、試行錯誤を繰り返した。演出からは「痛みのイメージが、内臓系で苦しんでいるように聞こえる」「あそこの間が長い。でも逆にあそこの間はもっと取っていいかも」「しんどくてたまらない所から、独白までの流れをもっと綺麗に見せたい」などと、沢山の細かいダメ出しを最後までもらった。
自分の役者人生の中でもトップクラスに難易度が高いシーンだったが、箱に入ってからは、音響と照明が演じるのを助けてくれた。ルルーの独白と共に感情の流れに沿った音楽が流れるし、暗めの照明が独房の雰囲気を演出してくれる。役にどっぷりと入り込めさえすれば、後は流れに任せて感情を動かせばよかった。
本番当日まで改善の余地はあったかもしれないが、普段あまり役者を褒めない演出補佐の後輩が「あのシーン、段々泣けるようになってきてますよ」と言ってくれたのは嬉しかった。



そうして練習の日々を積み重ねて、『リトル・ウェンズデイ』もいよいよ本番の日を迎える。
これでジゲキの舞台に立つのも最後になるから、家族や友人を沢山招待した。三日間四公演の日程で、四十人近くの知人が観に来てくれた。これは恐らく個人の集客としては過去最高記録だろうと思う。

本番のステージは楽しかった。
純粋なルルーという役が好きだったし、終盤に明確な見せ場がある。日々伸び代を感じていたから、演じていても楽しかった。

お客さんからの評判も上々だった。僕が招待した知人の中には、ジゲキの公演を複数回観に来てくれていた人も多かったけど、「今までで一番よかった」と言ってくれる人も何人かいて、驚いたと共に嬉しかった。
感想アンケートにも「感動して涙が出ました」「二回観に来ました」等と書いてあって、次のステージのモチベーションになった。

そして
2020年3月1日、僕は最後の舞台に立った。

気合は十分過ぎるほどに入っていたが、観に来てくれるお客さんにとっては、僕の都合は関係ない。ただ、一つのステージを素晴らしいものに仕上げるために、過度な気合いや感傷的な心情は表に出さないようにした。
なるべく練習した通りの演技を心がけて、少しずつシーンが進んでいく。最後まで集中を途切れさせることなく、しっかりと演じ切れたと思う。

全てのシーンを終えて、暗転した後、お客さんに挨拶をするためにもう一度舞台に出ていく。
満員のお客さんの割れんばかりの拍手が、僕達を迎えてくれた。
舞台上から、その素晴らしい景色を見た時に、「ああ、終わったんだな」と実感して、自然と涙が溢れ出した。

思えば大変なことも沢山あった。何度辞めようかと思ったか分からないし、何度心が折れかけたのかも分からない。
それでも、こうして最後まで続けて来られたのは、ひとえに観に来てくれる方々の存在があったからだ。
挫けそうになった時も、本番の舞台でお客さんの表情を見た時に、報われて良かったと感じることができた。

次回公演の情報等を共有して、最後に「この公演をもって、僕達は自由劇場を卒業します。これまで沢山のご愛顧とご声援を、ありがとうございました!」と卒業生五人で最後の挨拶をする。
また大きな拍手をもらった。こちらこそありがとうとでも言うように、とても長く、力強い拍手だった。同期と顔を見合わせて、舞台から退場。

こうして、僕達の卒業公演が幕を閉じた。



これまでにない程の達成感を感じた。
まさしく集大成と言えるこの公演で、僕は存分に演じ切ることができた。
思い残すことは何もない。心からそう思えた。

一通り舞台をバラした所で、部内の卒業セレモニーが行われる。
卒業生が一人づつ、後輩に言葉を残すのだが、その時に僕が言った言葉はこんな風なものだった。

「この四年間は人生の宝ものだった」
「部員のみんなを愛しているし、同期のみんなとは喧嘩することもあったけど、今では一人一人を尊敬しています」
「沢山の挑戦と沢山の挫折をした。当時は本当に苦しかったし、何度辞めようと思ったか分からない。自分の才能に打ちひしがれることもあった。でも最後にもう一回だけ、自分の力を信じてみようと思ってこの公演に参加しました。
色々あったけど、今は全部やってみて良かったんじゃないかと思っている。だから、みんなも何でもやってみればいいんじゃないかな。失敗したら凹むけど、その経験はいつか必ず糧になるから」
「リトル・ウェンズデイを観に来てくれた大学の同級生の一人が、「もし新歓の時期にこの公演を観ていたら、入部していたと思う」と言ってくれた。僕は、その言葉が本当に嬉しかった。四年前に観た『室温』で、舞台に立つ先輩方に憧れて入部した僕は、沢山の挫折を繰り返してここまで来た。どこまでやれたのかは分からないけど、この言葉を聞いた時に、「ああ、沢山の苦労をしたけど、もしかしたら、ひょっとしたら、まわりまわって、あの頃に憧れた人達のようになれたのかもしれない」と思うことができたから」

後輩と同期にしっかりと思いを伝え、思い出が沢山詰まったシアター300を後にして、僕達は正式に演劇部自由劇場を卒業した。

この後も、頼もしい後輩達が新しいジゲキをしっかりと作っていってくれる。そう確信していた。

しかし、新型コロナウイルスが世界を一変させる。この公演を最後に、ジゲキの歴史は思いもよらぬ形で、一度終わりを告げるのだった。

そして、このコロナウイルスの蔓延がもたらした社会の変化は、この後の僕の生活にも大きくその影を落とすことになる。





(ジゲキに関するあれこれ)
ここで、本編では書ききれなかったジゲキに関するあれこれを紹介する。
おまけのようなものだから、読み飛ばしてもらって構わない。

(以下、卒業公演後に書いたスマホのメモ「PLAY」より抜粋)

”本番前の緊張感。
不安と興奮。みんなで士気を高める。
舞台に上がると孤独、あの集中と興奮と不安の入り混じった感覚はあそこでしか味わえないだろう。
息遣いが聞こえる。仲間の表情を見ることで緊張が和らぐ。役になり切ることで本番を乗り切れる。
ハケた後の感じ。足音を殺して歩く。水は喉を潤す程度。袖から見える表情、声。衣装転換。小道具の移動。
パフォの楽しさ。
カテコの感覚。誇らしさ。拍手の嬉しさ。
暗転してカテコ曲が流れてる時に聞こえるお客さんのすすり泣き。
きっかけを気にしてスイッチを入れる入り。
見切りラインで待機したこと。
愛を込めて作られた衣装と音楽、照明、演出、応援、すべてを一身に背負って舞台に立つ。誇らしさ。
カーテンコールが終わって客出しに向かう時に見えた達成感と開放感に溢れた役者たちの後ろ姿。
帰り際のお客さんにたくさんありがとうございましたと言ったこと。
知らないお客さんに4年間お疲れ様でしたと言われた嬉しさ。
本番前にトイレにみんなで行くこと。
メイクをしてもらう時の感情の昂り。
落ち着かない食事という名のエネルギー補給。朝一番のラジオ体操と発声。
円陣の後の気合の入り方。声出し。
うまく演じられてる時の本番の楽しさ。
舞台袖の仲間の心強さ。”

(抜粋終わり)

このメモを今読み返しても、自分が立っていた演劇の舞台という場所は、本当に特別なものだったのだなと思う。
もう鮮明に思い返すことはできないけど、確かに、その特別な場所に立って、その一瞬に全身全霊を注いでいた時間があったのだと振り返ることはできる。



ー所信表明と反省会ー
ジゲキの公演では、必ず所信表明と反省会を参加者全員で行う。
所信表明は、練習初日に行うこともあって、明るい雰囲気になる場合が多い。
その反面、反省会は全ての日程が終わった後に行われる。みんな疲れ切っている上に、ストレスも溜まっているため、活動期間中は言えなかった思いの丈をぶつけ合うことになる。公演がうまくいった場合はいいが、何らかの問題があった場合、その当事者は参加者から非難の言葉を浴びる。それも学生であるため、伝え方を間違えてしまうことも多い。
今振り返るとやり過ぎな気もするが、若く、尖っていた僕たちにとって、価値ある研鑽の場となっていたのもまた事実である。



-’仕込み’と’バラシ’ー
ジゲキは毎公演、そのクオリティーに見合う舞台美術を作り上げる訳だが、この舞台美術も当然部員たちだけで作り上げる。
箱入りまでの練習期間中に、美術部署が背景となる’パネル’や、家具や小道具、果ては階段までを作り、箱に入るタイミングでそれを組み合わせて舞台美術を完成させる。しかし、パネルは大きなもので四メートル以上になるし、それらを組み合わせるのも容易ではない。
そのため、ジゲキは毎回’イントレ’と呼ばれる、工事現場の足場を作る所から作業を始める。まず、人の身長くらいのイントレを建てて、さらにその上にも同様のイントレを建てる。このイントレを多い時は六箇所くらい建てて、それらを単管と呼ばれる鉄の棒で繋いで足場を作る。危険極まりない作業であるため、この作業は細心の注意を払って行われる。ヘルメットや軍手はもちろん装着するし、道具を持って移動する時には掛け声を必ず言うという決まりもあった。経験が浅い下回生には必ず講習を行い、そのノウハウを継承していく。
そしてようやく舞台美術の制作や、照明器具の吊り下げに着手していくことになる。
バラシでは、逆の順序で同様の作業を行う。細かい位置取りを指定する必要がないため、バラシの方が早く終わる場合が多い。
そして何よりも大変なのが、箱に必要なものを運ぶ’運搬’と呼ばれる作業だ。普段備品や美術を保管している場所から、公演を打つシアターまでは結構な距離がある。が、トラックでは通れない道ばかりであるため、その運搬は全て部員の手と足によって行われる。多い時は十往復以上、重たい荷物を持って移動しなければならない。
蟻の行列、もしくはピクミンにでもなったかの如く、無心で運び続ける。
バラシの時にもこれを行わなければならないため、千秋楽が終わって、打ち上げをした翌日は、みんな死んだような顔で運搬をするのが常だった。



ーカンパと参加費ー
ジゲキは学生劇団であるため、多くの場合チケット代は取らない。
その代わりに終演後、お客さんからカンパとして気持ちに応じたお金を戴く。戴けるだけでも本当に有り難いのだが、公演を打つのには多くの費用がかかる。到底カンパだけでは賄えないから、部員は結構な額の参加費を支払って参加することになる。その上で、あの大変な生活を送るのだから、退部者が出るのも無理はないと言える。



ー打ち上げー
千秋楽が終わった後は、できる限りのバラシをして、箱をひとまず後にする。
その後に待っているのが、そう、打ち上げである。
これがまあ楽しい。達成感と開放感でお酒が最高に美味い。全員で乾杯をした後は、一人一人に直接乾杯をしにいくのが慣例だった。
お酒を片手に、ひとまず公演が終わったことを祝う。そして、日頃の鬱憤を晴らすかの如く、飲んで語らうのだ。
ジゲキの存続という点において、この打ち上げが果たしていた役割は大きかったように思う。公演期間中はストレスも多いし、この公演が終わったらジゲキから離れようと思う場合が多々ある。でも、千秋楽を終えて、お客さんの表情を見て、打ち上げをすることで、やっぱり演劇って最高だ!となるのである。冗談抜きに毎公演これを繰り返すから不思議だった。
あんなに美味しいお酒を、僕は他に知らない。

ー幕前とカーテンコールー
ジゲキの公演には、幕前曲とカーテンコール曲と呼ばれるものが存在する。
幕前曲とは、文字通り幕が開く前の曲のことで、この曲を流してサビの所で音量を最大まで煽って暗転。少しずつ音を下げて、音が消えてしばらくした所で、照明がつき、舞台が始まる。
カーテンコール曲とは、その反対に舞台が終わる時に流れる曲のことだ。最後のシーンが終わって、暗転をした後、しばらくしてからこの曲を流す。その後に照明をつけて、役者が舞台上にできてきて挨拶をするという流れだ。
選曲は当然音響部署が行う訳だが、演出から採用をもらうまでその音探しは続く。公演の印象を決める大事な要素であるため、難航することも多かった。
だからだろうか、どの曲も公演の雰囲気に合った素敵な曲ばかりだった。
知らないアーティストの曲であることが大半で、こんなにいい曲が世間に知れずに埋もれているのか…とその度に思った。
今でもその曲を聴き返すと、自然とその公演の思い出が蘇ってくる。

ー演劇を作る難しさとジゲキの凄みー
唐突だが、演劇を作り上げるということは、とんでもなく難しい。質の高いものを目指すなら尚更である。
まずもって、その要求される労力は途方もない。
舞台美術を作り上げたり、衣装を調達したり、宣伝活動をしたり、音響の音源を探したり、照明のプランを練ったり、チラシを作ったりと、挙げ出せばキリがない程だと言える。それらの裏方と呼べる仕事をして、はじめて役者陣は稽古に励める。
そして苦しい練習を乗り越えて、ようやく本番を迎えるわけだが、公演を披露する箱を使用する料金はとても高い。お客さんにお金を払ってもらったとして、箱代だけでもペイできるかは怪しい。役者にギャラを払おうもんなら、そのチケット代は跳ね上がることになる。
しかし、これは本番にかかる費用だけである。それまでの練習の間の参加者の給料を考え出すと、どう足掻いても精算が取れない。
故に、演劇の練習期間は短くせざるを得ない傾向にある。が、既にご存知の通り、それでは質の高いものを作り上げるのは不可能に近いだろう。(本当に売れている劇団以外の、中途半端な知名度の俳優が出演する演劇が面白くないのは、ほとんどそのためである。)
プロや社会人が行う演劇の場合、それぞれのスケジュールがあっての練習日程となる。そのため全員が集まって練習することはそう多くない。
これらを合算すると、どういう問題が生じるのか。それは、’公演に対する熱量の不一致’である。
これは致命的な問題だと言える。ある者は趣味で参加して、ある者は生活のために参加して、ある者は夢のために参加する。当然目指すものも変わってくるため、ダメ出しの深度も変更せざるを得ない。
故に、多くの場合は全員が心から参加してよかったとはなり得ないのである。

その点において、ジゲキはとても素晴らしかった。
部員全員が、お金のためでも何でもなく、ただ純粋にいい演劇を作り上げたいという一心で公演に参加していた。
故に、揉めることがあっても、きちんとぶつかり合って意見を合致させることができた。
多くの常連を獲得する程、質の高い演劇を作り上げられたのは、ひとえに皆の熱量が同じくらい高かったからだと言える。
僕も、たまにもう一度くらい演劇をしてみたいなんて思うこともある。でもその度に「今やっても、あれだけ最高の仲間と、最高の熱量ではできないんだろうな。それなら、やらなくてもいいや」と思うのだ。
ただ僕の人生において、あれだけ多くの仲間と、同じくらい高い熱量で、一つのものを作り上げたという経験が、大きな財産となっているのは間違いない。


ー現在のジゲキー
コロナ禍をなんとか潜り抜けて、ジゲキは現在もその活動を続けている。
しかし、公演を打てない期間も長かったから、部員の人数は半数程度に減ったらしい。継承されてきた各部署の細かいノウハウもほぼ失われた。
コロナ前のクオリティーを維持するのは不可能だった。
ようやく活動を再開するらしいという話を聞き、後輩にダメ出しをお願いされて、通し練習を観に行ったことがある。
一種の絶望を覚えた。ここまで変わるのかと思った。
が、仕方がない。今の部員達も精一杯やっているのだ。僕も出来る限りの助言をして、やりきれない心持ちで会場を後にした。

OBとして思うのは、コロナ前のジゲキに必要以上に憧れなくていいということだ。今の部員でしか作れないジゲキがきっとある。過去の形に固執しすぎず、新しい形の自由劇場を作って、いつか僕達が驚くほどの公演を作り上げて欲しい。
陰ながら、いつでも応援している。









「卒業旅行(仮)でハワイに行く」

自由劇場から卒業してすぐに、双子の弟と一緒にハワイへの卒業旅行を計画した。

この頃には大学を卒業するための単位が足りないことは明白だったが、それでも自分の中で何となく区切りをつけたかった。
コロナの流行が危ぶまれていて、家族に反対もされたりもしたけど、本能的にこれを逃せば二度と行けない気がして強行した。
ビザの取得を忘れるという凡ミスを犯して、空港で絶望を味わったけど、便を翌日にずらして何とかハワイへ向かった。

久しぶりに乗った飛行機には感動した。

(以下、メモ「離陸」より抜粋)

飛行機は思ってた5倍くらいの大きさだった

動き出す。走り出す。
無数に置かれた灯台が暗い夜の中でも飛行機が進むべき道を示してくれる。
人類ってすごいな。漠然と感じた。
今や当然かも知れないけど、俺は今から空を飛ぶのだ。こんなものを作り上げてしまう人類は果てしなく凄い。
万が一にも事故が起きることはないと分かっていながらも、頼むから俺の時に限って何も起こらないでくれよという気持ちになる。
機長さん、俺の命は預けた。という感じ

走り出す。飛行機が本気で加速し始めたのを感じる。時速何キロ出てるのだろうか目まぐるしい速度で走っている。
ふわっと離陸した。身体にかかる浮遊感やGはジェットコースターのそれより軽く、俺たちは空にいた。
あっという間に滑走路の光が遠のいていく。
こんな場所にいたんだと飛んでから俯瞰できた。
3分位すると雲の中。時々傾いたり高度を上げたりしながら進路を辿っていくように飛んでいた。
眼下に広がる景色は不思議だった。海も街もビルも何もかもちっぽけに見えた。

10分も経つともう何も見えない

(抜粋終わり)

約八時間のフライトを終えて、ホノルル空港に到着した。時差もあって昼頃だ。
寒い日本とは打って変わって、ハワイの気候は暖かかった。すぐに服を脱いでタンクトップ一枚になる。
自分は今ハワイにいるのだと思うと、それだけで胸が高鳴るのを感じた。

すぐにUberをつかまえて、予約してあるゲストハウスへ向かった。
英語は弟に留学経験があるから問題なかった。僕もそれなりには喋れる。
気さくな女性のドライバーに、ハワイのあれこれを聞いたりした。

ゲストハウスでは、日本人の女性が出迎えてくれた。三十代半ばだろうか、裸足。
聞くと、ハワイに魅了されて移住したらしい。今はゲストハウスで働きながら、ヨガのインストラクターをやっているとのことだった。優しい人で安心した。
二匹の犬も出迎えてくれた。興奮したブルドッグの爪が痛かったけど。

部屋は、値段の割に十分広い。大きめのリビングにベッドが二箇所置かれている感じだ。
荷物を置き、早速水着に着替えて庭にあるプールへ向かう。裸足になったら地面が熱くて、こんな所もハワイらしいなと思った。
大きいプールへ二人で飛び込む。
一瞬無音の世界にいって、顔を水面から出すと最高に気持ちがいい。日本の喧騒から離れて僅か半日。僕達はまるで別世界にいた。



着替えてバスに乗って散策へ。ひとまず海を見に行こうということで、ワイキキへ向かった。
ローカルバスはまさしくローカルで、学生もいれば老夫婦もいて、現地の生活が垣間見えて面白かった。何より安い。

ワイキキのビーチはやっぱり綺麗だった。
近くでの売店でレモネードを買ったけど、口に合わなくて残念。見た目は満点だったからよしとする。
夕食として食べた、サムズキッチンというお店のガーリックシュリンプがめちゃくちゃ美味しかった。これが美味しすぎたせいで、ハワイにいる間にガーリックシュリンプの店に三回も行ったほどだ。

その日は旅の疲れもあって、そのまま帰って寝床についた。



ハワイには三日間滞在した。
このまま詳細を振り返るのもいいが、体験した以上には面白くは書けないので、ダイジェストでまとめることにする。

オープンカーをレンタルして、色んな場所を巡った。
ダイヤモンドヘッドに登頂。ウミガメも見に行った。
ハワイ限定のPatagoniaのTシャツをゲット。ローカルなバーで頼んだカクテルは濃過ぎて半分も飲めなかった。ビリヤードは白熱。バンドの生演奏はいまいちだった。
車の窓が湿気で曇った。デフロスターのボタンがどうしても分からなくて、夜の道で危うく事故りそうだった。
車の天井を開けて高速に乗ったら、速度が早いのと風が強いのでめちゃくちゃ怖かった。信号も当然ないから、停めて閉じることもできない。後部座席に乗せていた、レンタカーの書類は全部吹き飛んで行った。
ゲストハウスの朝食はとても美味しかった。他の宿泊客と英語で話した。
海の真ん中なのに、足が砂につく不思議な場所にも行った。船で食べたカレーは、今まで食べたことがない感じでめちゃくちゃ美味しかった。

三日間の旅で、僕たちはハワイを遊び尽くした。




僕たち双子は、幼い頃から一緒だった。
本当に、何をするにも一緒だった。
二人乗りのベビーカーで育って、服はおそろいか色違い。食べるものも、食べる量も、好き嫌いも同じだ。
寝る時間も起きる時間も同じ。トイレに行くタイミングも同じ。
身体の成長速度も同じ。
学校の成績も同じ。得意科目も苦手科目も同じ。
好きな本も、好きな漫画も、好きなアニメも同じ。
習い事の習字も、ミニバスも、公文も同じ。
保育園から、幼稚園、小学校、中学校、高校も同じ。何ならクラスも同じ。
部活動も同じ。…。という具合だ

当然話は一番合うし、価値観も似ている。
以心伝心で互いが考えていることもなんとなく分かるから、二人で行動するのに何の不自由もなかった。
二人なら無敵だった。
たとえ地球上の全員に嫌われたとしても、互いがいればそれだけで生きていけると思えた。

でも、ここまで読み進めてくれた方ならお分かりの通り、大学生活の始まりを機に、僕たちは初めて離れ離れになった。

お互い少なからずの不安と寂しさを感じていたように思う。ひょっとすると、その度合いすらも同じだったかもしれない。
それでも月日は流れる。
どこに行くにも二人だった僕らは、気がつけばそれぞれ別々の人生を歩み出していた。

僕はいつの間にか、演劇尽くしの生活の中で、いわゆる人生の王道から逸脱しかけている。
でも、あいつはきちんと単位を取って、その王道を進み続けている。

いつしかズレ始めた互いの価値観にも、本当は気づいていたのかもしれない。
このハワイ旅行が終われば、あいつは東京で社会人になる。
対する僕は、進路のアテもなければ、単位すらない。
僕たち二人にとって、明確な別れの時がすぐそこに来ていることは、お互いなんとなく分かっていた。
だから、ハワイを旅しながら、二人で色んなことを話し合った。
お酒を片手に、夜の街を熱唱しながら歩いたりもした。
この時間が、ずっと続けばいいのに。二人とも同じ思いだったことは、双子だからわかる。



僕はこのハワイ旅行で動画を作った。
普段から動画を撮って、音楽に合わせて繋ぎ合わせたりしていたから、今回の動画を作るのにも苦労しなかった。
これまでの経験から、必要そうな素材や撮り方も分かっている。短い動画を幾つか撮影して、帰りの飛行機で音に合わせて編集した。

この動画の出来は中々良かった。今でも見返すと、当時見た景色をありありと思い出せる。
そこでは、あの時の二人の時間が、ずっと続いている。








次号、暗雲立ちこむ最終章〜留年編〜

コロナ、留年、引きこもり、鬱

一転して鬱屈とした日々へと突入していきますが、最後まで読んで頂けると幸いです。

(vol.3 は鋭意執筆中です。
ここまで読んでくださった稀有な方がいらっしゃれば、
vol.1, vol.2 の感想を共有して下さると励みになります。)


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眠れない夜に

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