異文化を生きることは、狂人として生きることに似ている
先月、子どもが生まれてまだ間もない時に、外国人だからということを言い訳にせず中国での生活を戦っていこう、それが子どもに見せるべき父親の姿じゃないか、というような決意表明の話を書きました。
しかし……その舌の根も乾かぬうちにアレなのですが、やはり異文化の中での子育てをやっていくうちに、いかんともしがたいなあ、ということに直面しています。
愚痴っぽくならないように気をつけますので、今日はちょっとだけそのことを書かせてください。
3WAY自然派軍団との戦い
少し前のマガジンでは、相容れないことはありつつもまあまあ心穏やかに過ごせていますよ、と書いたのですが、少しずつ子育てにも慣れ、自分の意思が大きくなってくるにつれて、そういうことばかりでもなくなってきます。
おしりふきが使えないだの、料理をしてる義母がどうやら洗剤を使わずに食器や調理器具を洗っているっぽいだのは、別にどうでもいいんです。いやよくないんだけど、そういうのは僕が我慢して洗い直すとかすればいいし、対処可能な問題です。
でも、たとえば子ども自身の健康などに関することになると、ちょっとこちらの気持ちも穏やかではいられない部分が出てきます。
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