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海外生活はハードモードだけど、挑戦してみればいいじゃない

今朝、野本響子さんと松井博さんが、日本を出ること、海外に移住することについてそれぞれの視点から書いていました。なんらかのシンクロニシティが起こっているのでしょうか。

一見するとタイトルでは真逆のことを言っているようにも見え、でもそのなかには共通している部分もあったりと、大変興味深く読みました。

というわけで今日のnoteでは、お二人と同じ海外在住者として、頼まれてもいないキラーパスを勝手に受け取り、僕の思う海外に出ていくことにまつわる諸々を、お二人の論を参考にしながら述べてみたいと思います。

海外に住むのはハードモード

海外に移住することは、ハードモードだと思います。

松井さんも書いているように、赤ちゃん並みの能力しか持たないところからしか生活が始まらないというのは、けっこうメンタルにきます。また、たとえ言葉がそこそこでき、生活力があったとしても、その国にあるローカルルール的なものや不文律など、言語化されていない仕組みを理解するのは容易ではありません。僕もいまだに、中国的な諸々についていけず、毎日のように悶え苦しんでいます。

そんななかで「こんなことも自分でできないのかよ」と自分を嫌いになることもありますし、侮蔑的な視線や言葉を他者から投げつけられる経験もします。そんな時も周りに頼れるような人はなく、自分で自分を奮い立たせて立ち向かっていかなければなりません。

また海外に住むということは、ビザや居留許可の更新に怯えなければならない日々の始まりでもあります。日本にいれば保障されている「その国のどこに住み、何をして生活してもいい」という権利でさえ、海外に来ると当たり前のものではなくなります。ある時ビザの制度が変わってしまえば、出ていかなければならなくなるかもしれない。そんな自分の足元がおぼつかないような不安とも、戦わないといけないのです。

そして、そうして戦った先に待っているのも、決してキラキラしたバラ色の未来とは限りません。「海外在住者」というと聞こえがいいですが、その暮らし向きがよいものであるという保証はどこにもありません。

僕自身、将来の不安に押し潰されそうになりながらクソ田舎町()で細々と暮らし、カネ持ってそうな在中エリート駐在員様がキラキラ大都市圏からお届けする「今日もまたいつもの寿司屋に来ました! めっちゃ高いけど日本の心を忘れたくないから毎日来ちゃう(笑)」的なクソつまんねえツイートにルサンチマンを燃やす日々を送っています(いますぐTwitterをやめろ)。

そんな苦労はすべて、海外に出てこなければ経験しなくて済むことです。だったら、海外になんて出なくてもいい、わざわざハードモードを経験しなくてもいいじゃないか。そう思えてもきます。

それでも海外に来てみたほうがいい

と、こんなふうに大変な思いばかりの海外生活ですが、じゃあ僕自身中国に来たことを後悔しているかというと、そういうことでもありません。

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