日本と中国、日本人と中国人、どこが違っていて、どこが同じなのか
僕のnoteでは長きにわたって、日本と中国、ひいては日本人と中国人の「違い」について書いてきました。
いっぽうで、「近くて遠い」、得体の知れない存在とされる中国をさらに知り、対話可能性を探っていくためには、ただそれを異質なものして捉えるだけではなく、同じグラデーションの中にいる存在として考えることも必要なのではないか、と最近よく考えます。
今日のnoteでは、今後その「中国をグラデーションの中で捉える」という試みの第一歩として、まず中国人と日本人の価値の感じ方や人々の在り方がどのように違っており、さらにどのような点で共通しているのか、ということを大枠で考え、言語化してみたいと思います。
今回のnoteは個人的な今後の思考のたたき台としていくためのものであり、誤った部分や雑な理解も含まれるかとは思います。また、それぞれ傾向であって「〇〇人はこうである」というステレオタイプを強化したいわけではありません。
そのあたりご理解いただいた上で、ご自身の中国人観、日本人観を考えるにあたっての参考としていただければ幸いです。
ではどうぞ。
違うところ①:「ウチ」と「ソト」を明確に意識するかどうか
僕が実感として思う、中国人と日本人の最大の違いの一つは、やはりこのnoteでも頻出する概念である、「ウチ」と「ソト」に対する観念の違いや、それぞれへの態度です。
中国においては、あらゆるコミュニティが「ウチ」と「ソト」で規定されており、その境界線がはっきりしています。中国の人々の行動原理は、「ソト」から身を守り、そのうえでいかに「ウチ」にリソースや富をもたらすか、ということに強く規定されています。そして「ウチ」を絶対的な規範として、「ソト」に対しては非常に厳しい態度を取るのが中国人のスタンダードです。
ひるがえって日本人のことを考えてみると、日本にもナワバリ意識や共同体による縛りのようなものはありますが、それぞれの共同体は苛烈に争ったり、足を引っ張り合うようなことは少ないように思います。
「ヨソ様に迷惑をかけるべからず」のような言い回しからも分かるように、日本においては「ウチ」で区切られたそれぞれのコミュニティはある程度は協調的で、それなりの優しさをもってお互いに接することが多いように思います(ある意味では相互監視的ともいえるのかもしれませんが)。そこでの「ウチ」と「ソト」への態度は、少なくとも表面的には似通ったものになります。
この「ウチ」と「ソト」は、今後もそれぞれの国の人々を考える上で、重要なキーワードになっていくと思います。
違うところ②:「大きい」「多い」に感じる価値
もう一つ、日本人と中国人の価値観で大きく違うと思うところは、「何をよしとするか」「何を優れたものとするか」という基準の持ち方です。
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