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緊急事態宣言:44日目と子供の読書の話

慣れてきた分散登校

娘は登校日。学校も先生方も子供たちも、分散登校に少し慣れてきたように感じる。というわけで、来週からは、登校時間がローテーションしていくらしい。
娘はいつも朝一で出掛けていたけど、それが毎回変わるので、それはそれでちょっと「うーん」という感じもする。学校としては、生活リズムを作ってあげたいということみたいなのだけど、時間は固定していたほうが生活リズムは作りやすいのでは? と思ったり。
でも、毎日午後に家を出ている子は、朝学校に間に合うように支度する習慣が身に付かないかもね。

読書について思うこと

さて、このところ、子供の読書について考えさせられることが続いていて、私なりにまとめておきたいなと思ったので、今日はその前編でも載せようかと思う。
私は自分が読書をするほうなので、本を読むということに関心がある。だから、子供たちがどんなふうに絵本から児童書に移行して、さらに大人向けの小説などに触れていくようになるのか、ずっと気にしている。
随分前のことだけど、あるママが、自分の子供も読書をしないのだけど、自分も本を読む習慣がないと話していた。
「本を読む人って、いつでも空いた時間に本を読むでしょ? 私は、“本を読もう!”っていう時間を作らなくちゃいけないと思ってしまって、そうすると本を読む時間が作れない」と言っていて、それに私は衝撃を受けた。私は隙さえあれば本を読みたいと思うけれど、そう思わない人もいるのか! と。

子供の読書の変遷

目次
前編
・読書の習慣はどうやって身に付くのか
・私の読書の記憶
・積読の原体験

後編(予定)
・子供たち、最初に読んだ本は?
・毎晩、中原中也
・文章量が自然と増える


読書の習慣はどうやって身に身に付くのか

SNSで、「中学2年生で教科書以外の文章をほぼ読んだことがなくて、自分の気持ちなどを表す言葉を持っていないのでは?」というような投稿を目にした。
そんなことが現実で起こりうるんだとすごく驚いたけど、実は少なくないみたいなことも、SNSではよく見かける。読書の習慣がない子の家は、だいたい難しい本ばかりが置いてあって、子供向けの本といえば、「日本の歴史」のようなものしかないんだとか。

また、別件なのだけど、SNSでつながっているママ友が、息子さんが本を読まないと嘆いていらっしゃった。読書をしない原因は「私が読み聞かせをあまりしなかったから」と、そのママさんは分析されていた。それに対して、私は「読み聞かせをしたか、しなかったかで、読書習慣が身に付くかどうかは分からないと思いますよ!」と返信した。なぜなら、私も読み聞かせなんて面倒でほとんどやらなかったから。特に娘に対しては、読み聞かせなんてほぼやっていないと思う。
だいたい、読み聞かせをしたら読書をするようになってくれるなら、そんなに楽なことはないと思う。子育てって、そもそも自分とは別の人間の世話をしているんだから、思ったようにはいかないのが当たり前だと思う。

私の読書の記憶

私は、子供のころからかなり本を読むほうだった。姉はいつも絵を描いていて、本はあまり読まなかったようだ。そんな姉は、絵も描けるし、料理も上手だし、裁縫や手芸も完璧にできるし、ガーデニングにもこだわるし、家具も作れるし、スポーツもそこそこできるし、専門的知識があるから絵画教室もやっているし、万能な人なんだけど。

私の最初の文字の記憶は、「あいうえお」の絵本だ。横長の絵本で、動物のイラストと五十音が書いてあって、丸くくりぬかれた窓があったように思う。検索してみたけど、さすがにそんな古い絵本の写真は出てこなかった。母の話によると、幼稚園でお友達が読めていた「ら」の文字を、私は読めなくて悔しがっていたらしい。それで、「あいうえお」の絵本を買ってくれたようだ。

そのあと、小学の中学年くらいの時期は、毎週日曜日に図書館に連れていってもらって、いろんな本を借りて読んでいたように思う。この頃の記憶は、イラストレーターの永田萌さんのイラストが描かれた詩集をよく借りていたこと。詩集だから、その場で全部読んでしまうのだけど、それを借りる。両親からは「読んだのに借りるの?」とよく言われていたけれど、同じことを子供たちもやる。

「今、読んだのに借りるの?」と、私も思わず聞いてしまって、そのあとで「お母さんも昔そうだった」と子供たちに話す。

積読の原体験

小学生時代に読んでいた記憶があるのは「ドリトル先生」「ナルニア国物語」「クレヨン王国シリーズ」、ミヒャエル・エンデの本、椋鳩十の本など。
ミヒャエル・エンデの「モモ」「はてしない物語」は、子供のころに買ったものをいまだに持っている。この前、子供たちに「読んでみる?」と見せたら「ヤダ」と一蹴されてしまった。ぐすん。

割と本をよく読む子供ということで、おそらく4年生のクリスマスだったと思うのだけど、523ページもある分厚い本をプレゼントしてくれた。
それが「虹へのさすらいの旅」。漫画家の和田慎二が表紙と挿絵を描いている。
もらった当初は、何度も読もうとしては挫折するというのを繰り返していた。あまりに文章の量が多くて、なかなか読み進むことができなかったのだ。ずっと本棚にあるけれど、手をつけないでいる、いわゆる積読というものだった。

中学生くらいになって、「虹へのさすらいの旅」をまた手に取ると、するすると読めるようになっていて、何日もかけて読破した。これが、長い小説などを読んだ最初の経験だった。そして、何日もかけて長い話を読むという楽しさを覚えた。さらに、その本が「ドーム郡シリーズの第2巻」だと知り、1巻が読みたい! と思うようになった。

母は、自分が買い与えた本を私が読まないからといって急かしたりはしなかった。ずっと見守っていて、やっと読めたときに「何年も読めなかったけど、やっと最後まで読めた」と話したときに、「いつか読めればいいと思っていたよ」と言ってくれた。

これが私の読書の原体験で、だんだん、自分で本を選んで買うようになり、今は私が読んで面白かったと思ったものを、母に貸したりしている。
                               〈続く〉

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この2冊を読破できたことで、読書の楽しさを覚えた。そして、子供にとって、イラストの重要性も身に染みて分かっているのも、この本の経験があったから。和田慎二さんのイラストのものは、今はもう売ってないみたい。

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