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車いすの夫のこと4:授かりもの

あれは忘れもしない、第1回の東京マラソンが開催された、冷たい土砂降りの最悪の気象条件の中、夫と私は都内の不妊治療専門のクリニックに出掛けました。その日は、本当に私たち夫婦に子供ができる可能性があるのかどうか、それが判明する日でした。夫のオペの結果によって、はっきりと現実を突きつけられる日でした。

病院で待っている時間、ビルとビルの間から東京マラソンの人波を「これからどうなるんだろう?」と思いながら見ていました。私は先に採卵を終えて、夫のオペが終わって病室に呼ばれました。夫が「医者が『ない』って言ってたから、たぶんダメだと思う」と言ってきました。「そっかー。じゃあ、ふたりで楽しく生きていくことをこれから考えようね」と、話をしました。

そして、その後、今度は医師の話を聞くために診察室に呼ばれると「旦那さんの精子は、ありましたからね。これから先に進めていきましょう」とあっさり言われて、夫とふたりで「え!?」と驚いてしまいました。うまくいけば顕微授精で子供を授かれるだろうということでした。

この時点で、私は「ここまでくれば楽勝だ!」と思っていました。ですが、やはり不妊治療といえども、医師が神様のように子供を授けてくれるわけではありませんでした。1回目に着床しなかったと言われたときは、「え? そんなことあるんだ」という感じでした。このころの私は、不妊治療さえすれば子供はすぐに授かるものだと思っていました。身近な脊損のご夫婦の話では、いつも1回の治療で授かっていたということだったので、自分も同じようにうまくいくと思っていました。

2回目にやはり着床しなかったときに、本当に不妊治療の現実を思い知らされました。でも、まだたった2回しかトライしていなかったので、落ち込むような段階ではなかったのですが、ショックを受けた私はしばらく呆然としました。そして初めて、「ああ、治療するといっても、子供というのは授かりものなんだな」と、本当に心から思ったのです。これは、そのときが来るまで待つしかないのだと腹をくくりました。

すると、翌月はトントン拍子に治療が進み、着床し、心拍も見られるようになりました。3回目の治療で授かったのは、今にして思えば本当に幸運だったということも、このときはまだ知りませんでした。

お腹の子がちゃんと元気に育ってくれるのか、ちゃんと元気に生まれてきてくれるのか、どきどきしながらその日が来るのを待っていました。予定日から9日遅れて、12年前の今日、息子が私たち夫婦の元に来てくれたのです。

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