(うつ病・復職日記)逃げるとむしろ考えてしまう
2度目の出勤訓練中に書いています。
私が通っていたリワークに「認知行動療法」という講座がありました。心理療法の1つであり、落ち込みや不安といった気分の変化に対して対処できるようにするもの。自分の認知(考え方)と行動を変化させてストレス軽減を目指すものです。
その中で、印象に残った、大切にしたい話。
前提として、逃げても良い
本題を書く前に大前提を書いておきます。それは、
あまりにも理不尽なことからは逃げて良い
ということです。
この後、読みようによっては “逃げない方が良い” と読めることを書きますが、その意図ではありません。
不安感情は警報器
不安という感情の意味。それは警報器、とリワークで教わりました。
気をつけよう、準備しよう、と身も心も備える体制になる。場合により、集中できる状態になる利点がある。
人生に影響があるほど大きな不安には、対処する必要がある。
なお、不安の大きさに左右する要素がある。次の 3つ。
危険の大きさ
自分の対処能力
周囲の援助
これを聞いた時、妙に納得した。特に3つ目。”周囲の援助” が特徴的だと感じた。
休職になる直前の絶不調の頃、全部自分で抱えていた。「助けて」と言えなかった。自分で対処すべき、と考えていた。
それだと、不安という感情は大きくなる。
大きな不安から逃げると不安が消えるのか
不安を大きくする要素を全て揃えている状況のとき。不安でしょうがない時。
逃げる=回避 が解決策になるか?、という話が印象に残った。その答えは、
回避は一時的に楽になるが、問題は解決しない
不安が大きくなる場合もある
考えないようにすると、むしろ考えてしまう
むしろ考えてしまい大きな力を費やす
結果として、自分が送りたい人生が送れない状態になる、というものでした。つまり、回避は解決策にならないことがある。不安が消えるとは限らない。
とはいえ、これは不安に感じていることが、自分の人生の軸(Value=価値)に沿ったものか、解決すべき問題/不安なのか、の切り分けが何よりも大切、と言っていた。そもそも、どうでも良いことならスルー(回避)して良い。
だけど、不調に陥っていると、そんな切り分け判断はできないものです。皮肉なものですね。全てに立ち向かわねば、と思ってしまう。だからこそ、医療や信頼できる人に「助けて」と言うことは自分からできないといけないのだろう。
専門職の方も講座で言っていた。
「助けたいと思っていても、"助けて" と言ってこないと気がつけない、助けられない」と。
人生の軸に邪魔しないなら、回避してしまえば良い。
私がパクチーを食べられない、これは回避しても構わないのである。他の野菜から栄養を摂りますので。
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