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(うつ病・リワーク日記)過剰に"すみません"と言わなくて良い

 2度目の休職中に書いています。リワーク通いです。

 私が通うリワークではコミュニケーションに関する知識を深めることができる講座があります。コミュニケーションに関しては企業でも様々な研修があると思いますが、リワークならではの内容で興味深いものでした。
 その中で、印象に残った、大切にしたい話。


つい言ってしまう"すみません"

 誰かと会話をしていて「すみません」と言ってしまう場面はありますか?
 誰かに何かしてもらって感謝の気持ちを伝える時に「すみません」と言ってしまいませんか。

 私は、つい言ってしまいます。コミュニケーション講座を聞いて、ハッとしました。私の考え方の傾向(クセ)が出ているのだな、と。

 他者とのコミュニケーションの際、自分が下に回るクセ。異動して不慣れな業務に慣れようとしている時。上司に業務報告する時。店員さんに何かお願いする時。自分が劣っているのだ、失礼がないようにせねば、といった考えに捉われています。

コミュニケーションは50:50

 アサーション権のことを知り、自分が下に回り自己主張できない状況は自ら人権を放棄していることにも等しいと思いました。
 年齢、性別、役職、能力の有無に関係なく自己主張して良いアサーション権。コミュニケーションの責任は50:50、対等な関係です。

 過剰に"すみません"という必要はないし、思う必要もありません。

 謝罪すべき場面では適度に謝罪する。
 また、対等=タメ口で良い、と言いたいのではありません。アサーションは相手を尊重して自己主張します。自ずと丁寧な、適切な言葉を使うようになります。

課題の分離が大切

 私は"相手の気持ちになって考えよ"と言われて育ちました。相手の気持ちを考えすぎてしまい、過剰に配慮してしまう。出てくるのが"すみません"。
 今更、対等な自己主張をする、と言われても、簡単にできるものではありません
 そこで、ひとつのヒントをもらいまいた。

課題の分離 という考え方です。

  • 変えられることは自分の行動であり、自分の課題です。

  • 変えられないことは他者がどう思うか、どう行動するかであり、他者の課題です。

  • 他者の課題に踏み込まないし、自分の課題には踏み込ませない

というもの。

課題の分離の例

 例えば、仕事。プレゼン資料を作る場面。

 相手に分かり易く作る。yesと言ってもらえるように工夫する、これは自分の課題です。

 そのプレゼン資料を見て、相手がどう思うか、どのような判断をするか、これは他者の課題です。

 他者の課題に、自分が どうこう言うことはできません。自分の課題に真剣に取り組めば、それで良い。"どう思われたかな"とグルグル考えて、ストレスを溜めないようにする。

 困るのは誰の課題なのか、の見極め。その時は、その課題の結果「誰が困ることになるか」を考えてみると良い。

 誰かに「あなたのせいで嫌な気分だ」と言われたとしても、嫌な気分と考えるかは他者の課題です。自分は相手に配慮していたなら過剰に反省しなくて良いのです。

過去と他人は変えられない?

 課題の分離を考えるにあたり、ひとつ、勘違いしないようにしたこと。

 それは、他者の課題に踏み込むことはできないけど、他者がどう考えるかを援助はできる、ということ。

 過去と他人は変えられない、と言うことがあります。直接変えることは確かにできない。
 ですが、過去の出来事の捉え方(認知)を "いま ここ"で修正する*1 ことはできるし、他者の行動を援助することはできる、と私は思いました。

 *1 私は認知再構成法や系統的脱感作法を適用して実践しました。簡単にできることではありませんでした。それは別の機会に書こうと思います。


 コミュニケーションは50:50、課題の分離。
 難しいことは言ってない。だけど、心の障壁がある。

 そんな私は、まずは感謝を伝えたい場面で、「すみません」ではなく「ありがとう」と言うことから練習しています。何か拾ってもらった、とか。
 些細なことから。小さな変化を大切にしたいです。

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