(うつ病・リワーク日記)耐えると受け入れるは違う
2度目の休職中に書いています。リワーク通いです。
私が通うリワークでは「こころストレッチ」という講座があります。第三世代の認知行動療法とも言われる "ACT療法" (Acceptance and Commitment Therapy) を中心にした内容です。
その中で、印象に残った、大切にしたい話。
「復職に向けて、現実を受け入れつつ行動する」の講座。その講座での一コマ。
耐え忍ぶ?
リワークに通い心理療法の講座を受けていると、時々「受け入れる」という言葉が出てきます。
この言葉を聞いて、どのような印象を持ちますか?
私は最初、
「どんな状況でも歯を食いしばり耐え忍んで、前向きに考えていく」
といった様子を思い浮かべました。私自身、そういう場面が多かったから。
だけど、違った。
漢字の「受」と少しニュアンスが違うという。
本来は「Willingness」
英語圏からきた ACT療法は英語を日本語訳しているので、時として日本語本来の意味とずれていることがあるそうだ。
「受け入れ」と言われている元の言葉は「Willingness」。
・・・。
はて、さっぱり分からない。専門家ではないので深掘るのは止める。
「受け入れる」と言っているのは言葉を付け足すと、
「自分の軸(=Value, 価値)に沿った行動の妨げになる場合に対して、起こった感情を避けずに受け入れること」
つまり、いかなる時でも耐えよ、全てを受け入れよ、はしなくて良い。
自分の人生に影響が大きい時には、自分との対話を深めて、その感情を持つことを自分に対して認めてあげる。自分の感情に寄り添う。
良い/悪いの価値判断をしないのがコツ。
時として苦しいこともある
社会生活で身につけたり、自分が"こうありたい"と思っている理想像。
それと離れた感情、考えがある。"ネガティブな感情を持ってはいけない"、"これくらいできなくちゃいけない"と思うと、時として苦しい。今までは、無かった事にしていた感情に向き合うことになるので。
誰も「今すぐ、受け入れるようになろう!」なんて言わない。徐々に慣らしていければ良い。
受け入れる過程が必要
徐々に慣らす。つまり、いきなり受け入れる、でなくて良い。むしろ、受け入れる過程(プロセス)が必要であって、このプロセスを踏むことこそが大切。
段階を踏んで、徐々に慣らす。正面から受け入れようとしても、強い感情に巻き込まれそうになる。
だから、まずは距離を取っても良い。それから徐々に慣らす。慣れて、受け入れていく。
このプロセスにおいて、マインドフルネス、リラックス法を活用する。
例えば特定の野菜が嫌い
例えば、ある1つの野菜が嫌い、という人もいると思います。
食べられる方が良い。だけど、その野菜が食べられなくても他の野菜で栄養を補えば良い。
もし、その野菜を食べなくても生活に影響がないなら、代替手段が取れるなら、この苦手の感情は避けて良い。
"大人なのに野菜の好き嫌いを言うなんて!" と思う必要はないのです。
「徐々に慣らす」 「価値判断をしない」も記事あるので、そちらも読んで頂けると嬉しいです。
リワークプログラムを受けていると、各講座、各要素が相互作用しているな、と感じた。
だからといって全部ができないとダメ、ってことがないのが良い。自分にあったやり方を見つけることができれば、それで良いんだってさ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?