(うつ病・復職日記)給与額が自分の戦闘力のように感じてしまった
2度目の復職直後に書いています。
体調不良に陥り、通院、休職、休養、場合によってリワーク通所、復職/社会復帰まで。
置かれている状況、要する時間、使う制度、支援してくれる人、環境。全てが誰ひとりとして同じことはないと思います。私の場合、2度の休職を経験してますが、その2回ですら何もかもが違った。
その中で、印象に残ったことを振り返ります。
漫画ドラゴンボール ど真ん中世代です
40歳代の私にとって、漫画雑誌・週刊少年ジャンプ、とりわけドラゴンボールは大人気。当時、夢中になって読んでいました。
その中でも印象的な道具「スカウター」。相手の戦闘力が数値で分かる道具です。
そして、驚異的だった敵の戦闘力、53万。
最初に見た主人公の戦闘力が 334 でしたので、敵は、そりゃもう大変な強さなわけです。
漫画の話はこれくらいにして。
こういう子供時代を過ごした私は、自分の強さが数値で表される、ということを擬似的に体験していました。
復職後に起きたこと、給与の低下
2度目の復職後に起きたことは、別記事でまとめようと思っています。ひとつ言えるのは、給与が下がったこと。
休職中は給与ゼロでした。(傷病手当はありましたが)
そして、復職した今、とても給与が下がった。
そうなることは理解していた。受け入れる準備もしてました。何より、今の私と家族にとって大きく困る状況ではない。
それでも。若干、感情が動きました。
数値化されたそれは、前述の漫画のように私の戦闘力に見えてしまった。自分の戦闘力が大きく下がったように感じた。その戦闘力が私の価値であるように一瞬、思った。
すかさず、リワークで学んだ認知再構成。
「この数値が私の価値ではないよ。」
とは言ってもね、感情は動いたのです。それは消えません。
自分の感情に寄り添ってみた
感情が動いたことに対して、認知(考え)のアプローチだけでは、いささか不足でした。
なので、一旦、自分の感情に寄り添ってみた。戦闘力(?)が低下してると思っている自分に。
「そう感じたんだね。それだけ、家族の幸せを思って頑張って働いて、お給料を稼いでいたんだね。よく頑張った。うんうん。」
「そのおかげもあって、家族は快適に暮らしているね。良かった良かった。」
「幸い、パートナーも働いているし、年齢的にも後進育成の時期だし。主役を譲ったと思えば、今の状況はむしろ私が大切にしたいことの一つに沿ってるじゃないか。」
なんだか少し言い訳な感じも残りつつ、それでも少しだけ、ほんの少しだけ戦闘力(?)が低下した自分を受け入れ始めています。
こんなはずじゃない < 今の私にできること
自分の感情に寄り添ってあげる。あぁ、こういう感じなのか、と思いました。
“感情に寄り添う” はリワークで学んでいたし、練習もした。過去の感情が動いた時を負担のない程度でやってみてた。でも、今時点のことじゃないので、実感は薄い。「こんな感じかなー」と頭では考えつつも、練習によって感じる感情の変化は分かりにくかった。
そして今、まさに感情が動いた時に、その練習の時を思い出す。
優しく自分に起きている感情を観察する。否定とかしないで、こんな感情があったんだね、と認めてあげた。
じわじわ、とだけど「こんなはずじゃない」と悔しいと感じることより、「今の状況で私にできることはまだまだあるな」という受け入れる感じの方が増えてきた。シーソーのバランスが違う方に傾いてきました。
ふと思い出す。ネガティブな感情とポジティブな感情がシーソーみたいな関係だ、って以前の記事に書いていた。あぁ、休職期間に通ったリワークの時間が良い時間だったな、と思いました。書いておいて良かった。検索できるって便利ですね。
今の自分の状況を気に入り出しました
以前より責任は断然軽い環境。給与は減ったけど、私の今の立場だからこそ できる業務がある事実。
少しずつ周りも見えてきて、今の自分が置かれている状況を気に入り出しています。
下期を迎えたら、また環境に動きはあるだろうけど、こんな感じで徐々に慣らすしかないな、という心境に至れています。
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