世界三大宗教の発展
意識の構造
人間の意識は,四つの機能によって構成されます。一番表層に位置するのが感覚(sensation)です。感覚とは,何かがある(is)ことを教える機能であり,最も現実的な機能です。次に思考(thinking)です。思考とは,何であるか(what a thing is)を教える機能であり,心の中の観念を作る機能です。次に感情(feeling)です。感情とは,あるものの価値(value)を定める機能であり,好き嫌いの判断です。最後に直観(intuition)です。直観とは,存在しないものの可能性を示唆する機能であり,予感という神秘的機能です。このように,人間の意識は,感覚-思考-感情-直観という順序で構成されています。
キリスト教の発展
キリスト教は当初,直観型の宗教でした。イザヤ・エレミヤ・エゼキエルに始まりイエスによって絶頂に達した神の啓示は,預言者の直観能力によって授受しました。次にキリスト教は,信仰と愛を高唱する感情型の宗教に変貌しました。新約における使徒の時代です。次にキリスト教は,ギリシャ哲学の影響により,思考型の宗教に変貌しました。それは,ギリシャ教父による福音の神学化であり,スコラ哲学による体系的教義の時代です。最後にキリスト教は,エックハルトやベーメによる感覚型の宗教に変貌しました。いわゆるドイツ神秘主義です。彼らの思想は仏教の禅宗に似ており,ありのままの現実の背後に真理を見る境地です。
イスラム教の発展
イスラム教は当初,感覚型の宗教でした。マホメットは神の啓示を受けましたから,旧約の預言者のような直観型の宗教と思われるかもしれません。しかし,旧約聖書とコーランは,その描写が全く違います。コーランはきわめて感覚的です。それも当然と言えるでしょう。砂漠の民であるアラビア人の特徴は,その研ぎ澄まされた感覚能力にありました。想像してみて下さい。荒涼とした砂漠地帯に咲いた花の美しさを。不毛の大地に降り注いだ雨の恵みを。コーランの描写が感覚的である理由は,彼らの生存環境に由来しているのです。
いずれにせよ,イスラム教は感覚型の宗教でした。しかし,時が経過し,ギリシャ哲学の影響により思考型に変貌しました。中世最大の神学者トマス・アキナスに影響を与えたイブン・ルシュドやイブン・スィーナーの時代です。次にイスラム教は,スーフィズムに代表される感情型の宗教に変貌しました。そして最後に,シーア派グノーシスに代表される直観型の宗教に変質しました。スフラワルディーの直観世界において,アラーはもはや排他的な唯一神ではなく,マホメットもイエスも釈迦も包含する統合的唯一神と化したのです。
仏教の発展
人間の意識構造に鑑みれば,キリスト教は内(直観)から外(感覚)へ発展し,イスラム教は外から内へ進化しました。では,仏教はどうでしょうか?仏教の発展も年代順に記述することはできますが,どうしても恣意的にならざるを得ません。というのも,仏教の発展は同時多発的な側面があるからです。龍樹に代表される中観派や無着・世親に代表される唯識派は,前者が論理学的,後者が心理学的であることから,思考型の宗教と言えるでしょう。阿弥陀仏に縋る浄土宗は,信仰と慈悲を重んじることから,キリスト教のような感情型の宗教です。また,曼荼羅ヴィジョンを重視する密教は,直観型の宗教であると思われます。空海の主著「秘密曼荼羅十住心論」のヴィジョンは,無意識の神秘的世界から湧出するイメージ群です。目の前の世界に真理を見る禅宗は,リアリスティックな感覚型の宗教と言えるでしょう。禅宗は現実世界を動かす武士階級に広まりましたが,リアリスティックな教義が彼らの琴線に触れたのかもしれません。
宗教的調和の要
キリスト教は内から外へ,イスラム教は外から内へ,仏教は同時発生的に発展しました。三大宗教は,教えの中心も信奉する民族も違います。キリスト教は自由を重視し,欧米人に広まりました。イスラム教は服従を重視し,砂漠地帯中心に広まりました。仏教は智慧を重視し,アジア全体を感化しました。
しかし,三大宗教に共通する一事があります。それは,「意識の四大機能に従って変貌してきた」という事実です。宗教的調和を実現する鍵は,それぞれの宗教の教義的統一ではありません。また,それぞれの神の対等的握手でもありません。宗教的統合を実現する鍵は,人間の解明です。すなわち,心の構造(意識・無意識)を解明することです。神が人間を創ったのではなく,人間が神を創りました(フォイエルバッハ「キリスト教の本質」)。ならば,宗教的分裂を解決する道は,宗教的教義の混合ではなく,人間の解明でなければなりません。ハイデガーがいみじくも喝破したように,真理は望遠鏡の彼方(外的宇宙)ではなく,望遠鏡を覗く人間の足元(内的宇宙)にあるのです。
以下は参考書籍です。
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