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自由に生きることに投資する

自由に生きることを決める

2020年4月に個人事業主として「スタジオ オトトリ」を立ち上げた。
事業内容は、ライブやイベントの音響、スタジオレコーディング、音楽・映像作品制作が主になる。
それを決意したのは去年の年末。
コロナウイルスの被害はまだほとんど報道されていなかったし、私自身もここまで深刻な状況になるとは知るよしもなかった。
アラフォーの私にとって脱サラし独立するということは、人生で初めての経験だ。無論、周りからは猛反対を受けた。だが、もし明日自分が死ぬとしたら、このまま死んで後悔はないのか、そう自分の心に聞いた時、「好きな事を仕事にする」という結論に至った。遅かれ早かれ誰もがいつかは死を迎えるのだ。反対する人の言う通りにしたとして、本当に幸せな人生を選んだことになるのか、そもそも、自分の人生の選択肢を自分で選べない人生を幸せと呼べるのか。その人の価値観に従ったとして、その人が私の人生に最後まで責任を持ってくれるのか。
私は自分の後悔を人のせいにしたくない。
その為には自分の人生の選択は、自分の責任を持って自分で選びたいと思っている。
ただ、もしその人が本当に大切な人であれば、お互いの思いを理解しあう努力は必要かもしれない。
とは言うが、今まで介護職のサラリーマンとして長年勤めてきたが、起業経験は一度もない。
すぐ廃業、となることは避けたい。

去年の年末、会社に退職願いを提出した時、今の自分の生き方が確立していた訳ではなかった。漠然と好きなことを仕事にしたいという思いと、では、どうすればその好きな事で安定した収入を得られるか。答えは出せないでいた。
Youtubeでフリーランスのビジネス系動画もよく見ていた。プログラミングや動画編集、そういった仕事をネットで探せることを知る。月に4、5回、5万円の動画編集の仕事をとれば、余裕で生活できる収入を得られる、という情報も聞き、サイト登録もした。だが、実際にはそんな好条件で、自分の力量に合った仕事を探すのは難しいことがわかった。
ある程度の貯蓄はあるが、それを切り崩していくのも限界がある。
他の方法はないものか、と探していたところ、とある出来事が起きるのだが、それは後々に綴っていきたいと思う。

何に投資するかを決める

投資と言えば、以前の私がまず思い浮かぶのは「株式投資」だった。
だが、今思うのは、人生において、生きる為のその選択肢全てが投資と通ずるものがあるように思う。
というより投資と言う言葉の定義は広い。
何か物を買うにしても一種の投資である。その物を買うことで何らかの対価が得られる。例えば節税の本を買えば節税の知識という対価、リターンが得られるように。
部屋を見渡すと、たくさんの物に囲まれているが、今もその対価を得られているものもあれば、もう使わなくなってしまって、置き場所をどうするか、どう処分するか、と悩ましく思いながら所有しているものもある。
物の場合は、今はやりのネットオークションやフリマを使う手もあるだろう。
「会社(勤め)」もある意味、投資と言える。
しかも人生にとって大きな投資だろう。
自分の時間と労働力を会社に投資することで、その対価として、賃金、経験、立場、人に喜んでもらうやりがい、仲間との絆、あらゆるリターンを得ている。
だが、低賃金、長時間の残業、過労、パワハラ、モラハラ、ギクシャクした人間関係など、悪いと思うリターンが良いと思えるリターンを上回っているとしたら、そこに定年まで投資する価値はあるだろうか。体を壊してまで投資する価値はあるだろうか。
お金は使うものであって使われるものではない。人がやりとりに便利だからと作り出したツールであって、人生を狂わされてはならない。
会社も同じことが言えると思う。会社は人の暮らしや、社会を豊かにする為のツールであって、人が会社に使われ犠牲になるものではない、そう思っている。
今勤めている会社に自分の心身と有限の時間を投資することで、それに見合ったリターンを得られていると思えるのなら、会社勤めを続けるという選択肢を選ぶことも、それはその人の自由だ。人は価値観を押し付けられることも、押し付けることもしたくはないものだ。
私の場合は、やはり、他に投資をしたいものができた。それが個人事業を選んだ理由だ。

報酬(お金)=労働力ではない現実

一生懸命働いても、それに見合ったお金がもらえるわけではない。
私が長年勤めた介護業界がまさにそう思えてしまう。
決して働く対価としての得られる報酬がお金だけではない、ということは強調したい。お金があれば幸せとも限らない。
やはりお金の正体は、ただの紙切れだし、通帳に記入されているのはただの数字なのだ。猫に小判も良い例えだ。社会の中で人が持つからこそ価値を持つ。
社会も経済もなければ、お金には全く価値がなくなるのかもしれない。
起業を決めて、どう収入を得るか考えていた時、お金とは何だろう、と改めて思うようになった切っ掛けがある。2年前に購入して、そのままほったらかしていた、ある企業の株だ。当時、株主優待が目的で買ったものだ。初めて手にする株。もしその企業が倒産したら数十万円が吹き飛ぶという不安もあったが、生活費ではないお金でもあり、思い切って購入した。
時々株価を確認すると、マイナスの数字があり、見ないふりをしていたのだが、ちょうど起業を決め、収入をどうするか考えていた時期、たまたまその株価を見ると、なんと思いもよらない金額が表示がされていた。

続きはまたの機会に。



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