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小説『FLY ME TO THE MOON』第5話 羽鐘

羽鐘がその長い手足を利用してゆっくりと移動する。
右手を窓から離した瞬間、まさに今手を置いていた場所に、
恵美ゾンキーが噛み付きバキン!と音を立てた。

『あっぶねぇ~』

と言いながら恵美を見ると、口からダラダラと血を流して
こちらに手を伸ばしている。その口にはもう歯がなかった、
今ので全部折れたのだろう。

羽鐘は上のパイプに手をかけてグッと握り、
右足で恵美の顔面を思い切り蹴った。

『ざまぁみろ』

そう言い放つと、次はゾンビ化した涼が顔を出した。
わざわざ体勢を立て直してから
羽鐘は涼の顔面を2度3度思い切り蹴り、
唾を吐きかけた。
右目を潰され眼球が飛び出し、
プラプラさせている涼に
『殺そうと思ってたのに勝手に死んでんじゃねぇよ』
と、羽鐘は言った。

『この程度じゃ許せないほど私は傷ついてるんだ!』

そう呟くとそのままパイプを伝って
左へ移動した。

柔道修行の成果か、握力には全然余裕があり、
思いのほか進むことができて自分で嬉しくなった。
これはウォーキングを1年続けて、
急にジョギングの大会に出場しなくてはならなくなり、
走ったことないのに!
と思いつつ本番になると思いのほか全然走れちゃった!
そんな状況とよく似ている。

『基礎って大事だなぁ、ありがとう父ちゃん』

暗くなり、ゾンビが溢れたこの世界で、
校舎の壁に張り付きながら
スティールは父親の鬼トレーニングに感謝をするのでした。
このまま下に下りれるのでは?とも考えたが、
この校舎の構造は縦移動するにはその幅があまりに大きく、
落下しながら下の階の少し出た壁を掴む以外方法は無かった。
しかもその壁は指の第一関節が掛かって精一杯。
スパイダーマン以外は無理だと
外に出た瞬間に羽鐘は理解していたのだった。

『何が悲しくて壁に張り付いてんの私・・・・』


如月が目を覚ました。

『ごめん、寝てた』

『ううん、私起きてたから大丈夫』
パイロンが優しく応えた。

『夢を見てた・・・』

『どんな?』

『私とパイロンがね、喧嘩してた・・・・
こんな世界で笑っていられる睦月が信じられないって・・・笑ってなきゃやってられないじゃないって私が言ってた・』

パイロンがじっと如月を見つめた。
その青い目はアルコールランプの揺れる炎に照らされ、
緑色に見えた。

一呼吸置くと、パイロンは口を開いた。
『あのね睦月・・・最初は本当にそう思ったよ、こんな状況を睦月は楽しんでるんじゃないか・・・喜んでいるんじゃないかって・・・』

30秒ほどの沈黙があった。
20秒だったかもしれないけれど、
2人には長い長い沈黙だった。

『そうだよね・・・私ね、ゾンビ映画が大好きでね、もしもこんな世界になったらどうするか、どう生き残るかって、どう守るかって・・・大切な人を・・・いつも考えてた。楽しんでいたように見えたら謝るね、ごめん。そうじゃないんだよね、明るく元気に前向きでいないとさ、こんな状況じゃ心が壊れちゃうから・・・』
そう如月は静かに、でも強く話した。

『知ってる・・・・』

そう言うとパイロンはニッコリ微笑み
『睦月は幼稚園の頃からいつも明るくて元気で前向きだったよね、それを見て羨ましいなって思っていたこともあるけど、無理しているように見えるときもあったの。でも無理してでも明るくして元気にして前向きにしないと、変われるものも変わらないし、なによりそうすることで、自分を奮い立たせるんだよね、気が付いたよ、今の睦月見て』

『ありがとうパイロン・・・でも1つ言い忘れてるよ』
と言うとフフっと笑った。

『あ・・・もうしわけございません!』
とパイロンが思い出したかのように
付け足すと、2人は声を殺して笑い転げた。

『いつもお互い時間が無くって、すっかり校門で顔を見る程度になっちゃったけど、これが大人になるって事なのかな~・・・なら大人にならない方が良いよね、でもさ、因果って言うのかな?こんな事になって、じっくり話をする時間が持てたなんて不思議。でもさでもさ、時間が無いんじゃなくって実際は時間あるんだよね、タイミングが無いってのが正しいかも、ただ、タイミングが無いってのも表現としてはなんだかしっくり来ないのよね~タイミングを見計らって、なんて言うじゃない?見計らうってのは見て計るってことだから…』

『ハイハイハイハイ!』
如月得意の訳の分からない
マシンガントークが始まったので、
パイロンは即座に割って入り話を止めた。

『パイロンひどーい!今ノッて来たところなのにー!』
そう如月が言い切るか言い切らないかの
タイミングで物音がした。

ドン!

2人は一瞬で会話を止め、
凍り付いたように微動だにせず、
耳に全神経を集中させた・・・
そして如月はゆっくりパイロンの目を見て、シー!
と言う右手人差し指を立てて
唇に当てるわかりやすい合図をした。

パイロンは上を見た。

『上じゃねーし!静かにって意味だし!』
と如月が小声で言うと・・・

ドン!

2回目のドンは窓からだとわかった、
2人は同時に窓を見る。
そこには大きな人影が写っており、
パイロンはもう既に瞳孔が開いてしまい、
如月は声も出ない程驚いた。
本当に驚くと、声すら出ないのかもしれない。
心臓ではなく和太鼓が胸に入ってて、
それを誰かがふんどし姿で
ドンドコ叩いているのではないか?
と思うほど、心音が脳に直接轟いた。

『か・・・カニ?』

『ゾンキーでしょ!』
とパイロンがツッコミをきちんと入れ、
『ゾンキーって・・・壁も上るの?・・・』
分かりやすくアワアワしながら
如月に問いかけるパイロンは、
もう泣きそうな顔になっている。
『私の情報ではゼロではないわ、壁を上って天井を歩いてるのを見たことがあるし・・・映画でだけど・・・』
気を持ち直してパイロンに説明した。

『・・・けて!』

『・・・あけて!』

『あけて!お願い!』

如月とパイロンの耳に、確かに聞こえた。
『人だ!』2人で声を合わせ、
理科室の詰所の窓を開けた。
上半身を入れてきた羽鐘を押さえつけ、
『ごめん!このまま質問に答えて!』
と如月が言う。

『睦月!可哀想だよ、痛いよ、人だよ』
パイロンが如月の、
羽鐘を押さえつけている腕に掴まる。

『噛まれていたら私たちが危ないの!パイロン邪魔しないで!』

『噛まれてない噛まれてないです!』
羽鐘が脚をバタバタしながら答えた。
もちろんその脚は窓の外。

『OK!入ったら念のため確認するから動かないで』
そういうと如月はパイロンと共に
羽鐘を中に入れた。

『君!そこ!パイロン!バール持って構えて!』
そうキビキビと叫ぶと如月は
小型ハンマーを握りしめて近づき、
アルコールランプの灯りの前で羽鐘に
両手を上げてゆっくり回る様に指示した。
パイロンもバールを握りしめて
羽鐘の頭から目を逸らさなかった。

『ゆっくり!ゆっくり!』如月が厳しく言う。

『ねぇ、もういいでしょう?血ついてないでしょう?』
そう羽鐘は面倒くさそうに、
しかし如月を逆なでしないように
注意しながら話しかけた。
『靴の血は何?足を見せて!』
如月の刺すような鋭い指示に
従い紺色のオーバーニーソックスを
腰を曲げて静かに足首まで下げながら、
同じ部活の生徒がおかしくなって
追ってきたので、やむ負えなく
蹴った事を話した。

ややしばらく睨み付けた如月・・・・。

ふっ・・・
とため込んでいたモノを吐き出すように一息つき、
『うん、信用する!君名前は?』
と羽鐘に質問した。

如月の顔が一気に優しくなった。
それを見てパイロンはバールを下ろす。

『2年の武内 羽鐘(たけのうち はがね)・・・です』

『じゃぁ私たちの後輩ちゃんだね・・・
私は如月睦月、白髪は病気の後遺症みたいなもん。
こっちの金髪ポニーテールはパイ・ロン、
私の幼馴染。

・・・・・

あー!いいニックネーム思いついちゃった!
はがねちゃん、はハ・ガ・ネだから、英語でスティール!
ねーねー良くない?』
と如月のテンションアップ。

『わお!それカッコよくて申し訳ございません!』
如月と手を取りどこかの部族が雨ごいしているかのような、
おかしな踊りをパイロンが踊った。

『それ、皆言う・・・』
と言いたかったけれど、グッとこらえて
ひきつった笑い顔で
『い・・・いいっすね』
と答えた羽鐘。

3人になり、なんだか心強く感じた如月とパイロンは、
じっくり時間をかけて今起きている事、
なぜここにいるのかを羽鐘に話した、
如月得意の回り道しながら。
回り道を除けば30分で終わっただろうけど、
時間は午前0時、ざっと如月の講義は
2時間もかかったのだった。

パイロンは眠いのを我慢しているらしく、
目を白黒させていた。ぐらぐら揺れながら
カクンとするたびに如月に後頭部を
パシン!とひっぱたかれて
『もうひわけございまへん』と
謝罪する姿を20回も見たら絶対私は
寝てはいけないと思い、太ももをつねって
睡魔の攻撃を耐え抜いた。
激闘のせいか、講義が終わると急に眠くなった。
『私、見張ってるから少し眠るといい、緊張したんでしょう』
と如月はオレンジ色に輝く
前に垂れた横の髪の毛を手でサッ!
と後ろになびかせると、ニッコリ笑って見せた。

『あなたのせい』
とは言えず、言葉に甘えて壁に寄りかかり、
目を閉じることにした。

目を閉じると、恵美と涼の
変わり果てた姿を思い出した。
酷いいじめを受けていた羽鐘、
2人を殺したいくらい憎んでいたが、
ああなってしまい【ざまぁみろ】
と言う気持ちもあるのだが、
自分でケジメを付けたかったのも事実だった。
2人を殴ってボコボコにするなんて簡単だった。
でもそれをすることで周りはおろか、
両親にまで悲しい思いをさせてしまう・・・。
そう思い、ずっと耐えてきた羽鐘。
痛い思いをするのなんか
父のしごきの比じゃないので平気だったけれど、
一番堪えたのは自分自身の存在を皆に消されたこと。
見て見ぬふりは仕方がない、
強い人間ばかりじゃないんだ、
助けてほしいとかそんな話ではない。
私を空気か何かのように、
見えないふりをされるのが辛かった。
見て見ぬふりではなく、見ていないのだ、
それはもう居ないのと同じ。
皆の心の中に私は存在しない・・・
そんなの死んでるのと同じ・・・

せめてみんなと友達で居たかった・・・
私から友達を奪ったあの2人だけは私の手で
・・・そう思った。

そんな苦しみの刃は羽鐘の胸に突き刺さり、
その切先は日々深みを増していたのだった。

『この2人も・・・そうなのかな・・・・
いいタイミングで抜け出そうかな・・・・』

そんな事を思いながら眠りについた。


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