何をやってもだめな日、について②
五月病とか言いたくないけど、
かるく五月病だったのかもしれないな、と思う。
GW終盤ものすごぅく身体がだるくなって、動くとめまいや吐き気がした。つらいと思ってもいなかったし、無理をしていたつもりもないが、まぁ「つもり」は「つもり」。
3月·4月は自分なりに、見えない何かに急き立てられていたのかもしれない。
とはいえレッスンへのモチベーションが損なわれることはなく、立て直しをはかる。
とにもかくにも、身体は資本。
禁酒·禁カフェインからスタートしてみる。
体調を整えていたところ、
酒は飲んでも飲まなくても良かれ悪しかれ生活を変えるなぁと感じ始めていたある日、午前中ショッキングなお知らせが届く。
前回の「何だめnote」のように私が被害者ヅラをするような類のものでなく、自分のやってきたことを振り返らずにはいられないようなものだった。
私は自覚しているよりもずっと、誰かの大きな優しさや好意に支えられ、それに甘えすぎていたのではないだろうか、と。
落ち込む、というよりも何かを改善すべきではないかとぐるぐる考えながら、午後のレッスンへと向かう。この日は夜までびっしりデー。
ぃやっちまったなァ!
借りているスタジオに着く直前、対向車を避けようと道の左側に車を寄せた瞬間、ギギギギギ…と嫌すぎる音がする。
うんうん、無傷なわけないよね、わかってる。
駐車場で確認すると、地面に大きめの尖った石が置いており、それに接触したのだと察せられた。
駐車場であるべき砂利スペースにこんなにワイルドな尖った石が無造作に置いてあるの、なぁぜなぁぜ?(。´・ω・)
車体左下方にペロリと表面の捲れた擦り傷が確認できた。
注意一秒、修理ゥン万円ン…。(白目)
レッスン自体は無事に終わり、次のレッスン場所へと移動して気づく。
「ヨガマット、なんか少ない…?」
ひとつ前のスタジオに忘れてきたわけである。清掃してマットを玄関まで運んだところまで記憶があるからして、最後に車に積み忘れたのだろう。
何年もレッスンをしてきて、車を擦ることも忘れ物をすることもほぼ無かったというのに。(しょっちゅうでは困るが。)
平気なフリをしていても、心の揺らぎというのはかくも如実に出るものか。レッスン後半戦を終え、夜中に自宅と真逆の方向のスタジオへヨガマットを取りに戻る道中では、1年以上も通っているはずの道を間違え続けて大幅にロスをした。
呆れや怒りや疲労を通り越して、帰宅する頃には「ダイ・ハードみたいなことになりませんように…生きてるだけでありがてぇ…」という奇妙に謙虚な姿勢になっていた。
可哀想ぶりっこも悪くはないが。
本調子ではないところに動揺もあいまって、注意散漫になっただけ。
ただそれだけの話であり、いつもならこんな日は可哀想ぶりっこで自分の傷を舐めるのだが、今回は何だか試されているような気がした。
大切にすべきモノ、こと、人。
インスタグラムにnote、HPにご新規施策、新しい資格の勉強、新しい仕事や人との出会い。
目まぐるしくて、全てが大切で、必要だ。
でもそのコアにあるのは、常にレッスン。
仕事でも、家庭でもない場所づくり。
来たときよりも、心と身体をラクにするもの。
それさえ忘れずにいればよい、
と気づかされる「何だめの日」でした。
たまにはポジティブ悪くない。
余談
後日半泣きで
「車がエグれちゃったんですゥ!(ノД`)・゜・」
と車屋さんに駆け込んだところ、呆れ顔で「こんな傷で修理に出す人はいないので、タッチペンで塗るといいですよ」と優しく諭されたそうな。
タッチペン、税込830円。
相も変わらず、自分で置いたバナナの皮に自分で滑って転んで騒いでいるような人生である。
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