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何をやってもだめな日、について

そんなことは誰にでもある、とわかっていても。

前兆は数日前からあったのだ。ヨガレッスンで使用しているヴェレダのマッサージオイルの瓶を割った。緑のパッケージの大瓶で、まだ半分以上残っていた。割れやすい瓶でもなかったし、落とした場所も堅い床でもなかった。
しかしなかなか派手に割れた。
辺りにグレープフルーツの香りが立ちこめる。
嫌な予感はこのとき既にあったように思う。
生理前ポンコツ隠キャ暴走キャンペーンが始まっているのだ。

さて某日、

朝インスタグラムにて意味不明の返しようもないDMを見て不快になる。
「こんなこといちいち気にしてられん」とレッスンへ向かう。

レッスン場所、というのは出来るだけ静かなほうがいい。
ヨガでは呼吸やアサナ(ポーズ)、瞑想をもって心と体を整えるから、来てくださった方にはお仕事からも家庭からもいったん離れた時間を過ごしていただきたい。
もちろんヨガ専用の空間でばかりレッスンをするわけではないので、お隣さんが騒がしい、なんてことはザラにある。
だがすべてを差し引いても、その日の廊下は騒がしかった。
世の中には、他人が大声で喋っているのは我慢ならずに咎めたて、自分は平気で他人の静寂を侵害してもかまわない、という人が一定数いるものだ。
生徒さんが私ほどに、その騒音を気にしていたのかはわからない。
ただ、レッスンを終えたあと、私はとてもとても疲れていた。

ただ吹く風にさえも、身を切られる陰キャ

そんな帰り道に、午後のレッスンの当日キャンセルのメールが届いた。
レッスンにはキャンセルがつきものである。
何年もレッスンをしていれば、前日キャンセル、当日キャンセル、無断欠席…etc.色んなパターンを経験することになるし、正直に言えば私自身、その全てをやったことがある。突然の体調不良や予定変更、そんなものは日常に転がっている。仕事、家庭、遊び、勉強…その合間に生徒さんはヨガクラスへと足を運んでくれる。
私のレッスンが誰かの生活の中心だなんて思ったことは一度もない。
けれどその時ばかりは、いつもなら平気なキャンセル連絡さえも、何だか辛くてしばらくスマホの画面を眺めて動けなくなった。
だめな日には、ただ吹く風にさえも傷ついてしまうような陰キャなのである。

あの日あの時、ファミリーマートで。

「ちょっと落ち着こう。」
と立ち寄ったファミリーマートで、アイスコーヒーを購入した。
レジ前のクーラーボックスからカップを取り出し、レジに並ぶと久しぶりに見る銀縁眼鏡の店員さんが対応してくれた。(半年前、無限ファミチキ編でお世話になった彼である。)

機械にカップをセットして、ピッとボタンを押して、青ざめた。
私の買ったカップは、アイスコーヒーS 120円
押したボタンは、アイスモカブレンド 160円
間違えてちょっといいやつの方のボタンを押してしまったのだ。
機械は音を立て、容赦なく安いほうのカップに高いほうのコーヒーを注いでいく。

 
何でこんなことさえ出来ないんだろう。差額の40円を払えばいいのだろうか。いや、故意ではないし許してほしい。でも昔、コンビニでSサイズのコーヒー買ってMサイズのボタン押した人、逮捕されてなかったっけ。もう全てが嫌なんですけど。
 
ぐるぐると些末なことが頭をめぐり、店員さんに声を掛けた。
「すみません…間違って高い方のやつ押しちゃいました…」
もう文字にしても声にしても頭の悪そうなこの呼びかけに、銀縁眼鏡さんは答えた。

「それでは、新しいカップを取って、
    隣の機械で注ぎ直してください。
   今度は、押し間違えないように。」

責めても、許してもいないような声のトーンで。
 
素直に自供したことにより、高い方のコーヒーもらえるのではとの期待がチラついていた私は恥ずかしくなり(金の斧・銀の斧かよ。)、店員さんの指示に従った。
「すみません…本当にすみません…」
新しいコーヒーを注ぐ間、俯いて呟く私に、
「大丈夫です。間違えた方はこちらで処理しておきますから。」
と、店員さんは、今度はやや優しく応じてくれた。

申し訳ありませんでした。


罪を抱えて生きるのならば

家に帰り、その安い方のアイスコーヒーDo it Againを飲みながら、考える。
私が傷ついたように、私の声や、言葉が、行為が、誰かの平穏を侵すことだって、今までもこれからもあるだろう。
誰も傷つけず生きていくことは、ほぼ不可能なのだ。

そして目の前の人は、まさに今日「何をやってもだめな日」かもしれない。
 
それを知りつつ生きるのなら、せめて目の前の人にさりげない優しさを、ごく普通の優しさを、提供できる人になりたいと思う。

 あのとき彼が、私にそうしてくれたように。


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