刺さったトゲが、抜けないブルース
ノーガードでくらう、嫌なパターン。
人から言われた言葉に傷つく、ということは生きていれば誰だって経験があるだろう。
どのくらいの頻度で起こるのか、傷ついた後どう反応するのか、そしてその傷の治癒にどのくらい時間がかかるのか、というあたりは個人差があると思う。ただ、年齢を重ねるとともに経験や観察が増えてデータが蓄積されていくので、若年の頃よりは、回避したりガードしたりいなしたりするのが上手になってくる傾向にある。
かと言って、まあ対処法は万能ではないから、
いくつになっても傷つくことはある。
ノーガードのときに、
思ってもみない方向からガツンとね。
休日は、前日から始まっているんだぜ。
その日の午後は、明日がやっとやっとの休日であるゆえ「今日の夜まで頑張れば…!」という喜びに満ちていた。
予定の無い休日なら、その前日の夜が高揚感のピークかもしれないな、とたまに思う。
気分も軽く、ある人と仕事の話をしていた折、何気ない一言がグサリと刺さった。相手に悪気はないらしい。
けれど急速に胸の裡に広がる、ものすごい不快感。
その相手に対してor相手そのものをどのように処するのかはもう別問題であって、まずは出血の止まらない自身の傷をどうするのか、と考える。
気分なんて転換してたまるか。
むやみに落ち込むのを是としているわけではないし、7月のレッスンテーマは奇しくも「Ahimsa アヒムサ:自己と他者への非暴力」。
毎レッスン冒頭には1ヵ月かけて、自分を傷つけないためのメンタル・プラクティスとして、悪意ある発言や行動を受け取らないための思考法などもお伝えしてきた。
なのに私自身が、ノーガードでまともにくらってしまった。
「インストラクターおま言う問題」の根深さよ。
切り替えてこ!と自分に言える素晴らしい心根の持ち主ならよかったのだが、こちとら年季の入った陰キャである。
お茶・アニメ・お絵描き・サウナ・ランニング・瞑想・飲酒(禁酒中)・ドライブ…気分転換法(お手軽編)はいくつかあるが、刺さったトゲが芯くっているのを感じて、早々に種々の気分転換はあきらめる。
気分転換や切り替えに向かない人間は、それを推奨されることもなかなかに苦痛であるということをご理解いただきたい。
沈むよ沈む、どこまでも。
翌日は待ちに待った休日だが、沈んで過ごすと決めているので朝から心身おもダルでスタート。
言われた嫌な一言を何度反芻してもよいし、思いを巡らせてよいこととする。(相手に対して「知らず知らずのうちに疲れ果て、本当の愛を知ることなく、孤独に苛まれて年月を過ごしますように」等の祈りを捧げることに躍起にならないよう努める。私が疲れるから。)
言葉には、ひとの心を縛る力があるな、と思う。
そうではないと信じていても、かけられた言葉で、ほとほと自分が無価値な役に立たない人間であるかのように思い込まされる。
怒っているというよりも、傷ついているらしい。
「わかり合えない」ことに対して。
私たちは、それぞれが全く別の人間であることを前提として、互いに本質的にわかり合うことなど出来ないことを知ったうえで。
人からお悩みや置かれた状況について聞かせていただくことは多いのだが、容易にわかった気にならないように、いつも気をつけている。
「〇〇あるあるだよね。」と一般化していなすのも処世術だとはわかっているが、得意ではない。
痛みも迷いも戸惑いも孤独も、
その人だけのものなのだ。
繊細なままで、生きていく。
そんなことを考えたり呟いたりしながら、本日唯一の既定のイベントである「車屋さんに車を預ける」を達成した私は、炎天下の中をへろへろと歩く。
沈みガチ勢モードだったため「15~16時に仕上がりますけど、代車出しましょうか?」との車屋さんの問いかけに「修行のために歩いて帰ります…」と答えてしまった。
陰キャというか、もはやただの馬鹿である。
最高気温35度超え、一番暑い時間帯にまた車を取りに歩いてくるんだぞ。
代車は借りとけ、ばかやろうこのやろう!
大粒の汗が次々と頬をつたい、
顎にかかり、シャツににじむ。
わかり合えなくても、同じように傷つく誰かのために、わかろうとする努力をしたい。
鈍感になんか、なりたくない。
セミの鳴き声が喧しくて、夏の最中にいる。
少し先にローソンが見えて、今日は大きいアイスコーヒーを買おうと決める。
私は言葉の力を、できるだけ、愛のある方法で使いたい。
暑い、暑すぎる。午前中すでにこの暑さってどうなってるんですか。
ああ…
次にあの人に会ったら、
私はどんな言葉をかけるだろうか。
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