人付き合い問答
人付き合い、お得意ですか?
初めて体験に来られる方の緊張を除けば、ヨガレッスンにもんのすごく意気込んで、完全武装して来られる方は、ほぼいない。
非常に気楽な場であるから、通い慣れてくると皆さま色んな話をしてくださる。お仕事のこと、ご家族のこと、ご自身の趣味・嗜好…
ガシガシ突っ込んでいくのもはばかられるが、そのようにして当人がぽつりぽつりと語ってくれるお話は、私にとっては別の社会を覗く窓でもあり、各人の人となりに触れられる大切なものでもある。
おしゃべりのなかで頻出するのが、「人付き合い」に関するもの。
「人付き合いが苦手で…」
「根っからの人見知りで…」
「職場に苦手な人がいて…」と始まることは多い。
もしこれらが相談なのだとしたら、完全に相手を間違えているわけだが、人に話すことでいくらか何かが和らいでいたら嬉しい。
4つの鍵さえあればいい。
『ヨーガ・スートラ』においては、人間関係のお悩みについては「どんな人も4つの状態に分類できるから、貴方はそれぞれ4つの対応さえ出来れば万事OK!」という非常に明るく、明快な答えが記されている。
①スカー(幸福な人)には「友愛」の鍵
ヨーガが生まれたとされる4千年前でさえも、人には「妬み・嫉み」の感情があったということらしく、まずは幸福な人に対しては素直に喜ぼう、という教えである。
各種SNSが普及して、嫉妬を誘いやすい状況のなか、そもそも「幸福な人」とはどういう人か、を自分なりに考えてみることがスタートではないか、とも思う。
②ドゥッカ(不幸な人)には「憐れみ」の鍵
①に対して、不幸な人には慈悲の心をもち、憐れもう、という教え。
慈悲の心で、あなたに余力があれば何かアクションを起こすもよし、ただ憐れみ祈りを捧げるもよし。
相手のためになるかどうかをモノサシとせず、自分のこころの平穏のために慈悲深くあれ、というところがポイント。
③プンニャ(徳の高い人)には「よろこび」の鍵
この人は何て立派な人なんだ!と思ったら、欣び、手本としよう、という教え。まるごとでなくても、徳の高い相手のもつ美点・美質を自らの内側にも育もう、というものである。
④アプンニャ(邪な人)には「無関心」の鍵
さすがのヨーガ・スートラも悪いヤツは一定数いる、ということを認めている。不徳の人には、忠告などせず、無関心を徹底すること。
不徳の人が自らの行いを反省するのは、自らの経験によってのみであるから、相手を変えようなどとしないこと、という教え。
私が最初にこの一説を読んだときは、気持ちがスッと楽になり、救われたのを覚えているが、いま読み返すと、そもそも相手を4つのどれかに分類するか、も難しいよなと思う。
たとえば私のインスタグラムをみて、「いつも楽しそうでいいですね!」とのDMが寄せられることが度々ある。
有難いことだが、正直に申し上げて別にいつも楽しいわけではない。分類ミスってる。
GWに孤独感に苛まれた挙句、家で1人飲み始めて、挙句深酒で夜中に吐くような女の何が楽しいことがあろうか、いやない。(反語)
あ、別にいつもこんなことしてるわけでもないんですよ。吐いたのも2年ぶりです。(フォロー)
まずは「自分」の状態をよく保つこと。
先に挙げた4つの教えの共通点は、最終的には自分自身にフォーカスすることだ。
教えを読んで「いざ仕事や家族となると、そんな簡単にいかないよ。」という方も多いと思う。
しかし対人関係といえど、結局自分の心の反応に関する問題である。
多くの苛立ち・モヤモヤ・不和などが、自分の不調や余裕のないときに起こるのもまた事実。
相手を変えることはできないから、せめて自分の心身のコンディションを良くするツールを多く持っておきたい。
そのツールは、美味しいものを食べる、好きな風景・映画を観る、という「足し算」的なものであったり、人に合わずにとにかく寝る、とか掃除してみる、という「引き算」的なものであってもいいと思う。
(どちらかといえば引き算派。)
個人的には負け惜しみも含めて、人付き合いなんてそんなに上手くならなくていいぜ、と思っている。
人付き合いより、自分付き合いが得意なほうがいい。
誰もが幸福であり不幸であり、
有徳であり不徳でもある自分自身と
別れられないわけだから。
1日1分1秒でも長く、ゴキゲンに。
【参考図書】
『新版インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ』
スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳
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