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純ジャパ&三日坊主の私が英語が話せるようになったわけ 前編

日本生まれ、日本育ち、長期海外経験なし(最長は大学卒業前の1ヶ月の語学留学)の純ジャパ、かつ机に向かってコツコツ勉強ができたのは大学受験まで、という基本三日坊主の私がTOEIC950点 (IP online test)を取得して、英語を使って仕事ができるようになった理由を振り返ってみる。
思いのほか長くなってしまったので前編と後編に分けて話したい。

まず、前提として大学卒業間際の私の英語力はTOEIC790点くらいだった。
大学は難関国公立を受験するつもりで勉強をしていたので英語の試験は難しかったが、元から英語が好きだったので受験英語は楽しみながら勉強していた。
でもTOEICの点数と実際に話せるかどうかは全くの別問題で、
私は日本人によくある英語のテストはできるけどスピーキングはできないタイプの人間だったと思う。

さて、本題に入るが、いくつかある中でも一番に言えることは環境を変えたことだ。
私の英語力の上達において最も大きく影響したのは、社会人4年目で日系企業から外資系企業に転職をしたことだと思う。
前職の日系企業で一握りの留学経験者たちが英語案件を扱っているのをよそに、純ジャパの私は自信がなさすぎて正直誰の前でも英語を話したくない、拙い英語を話したら馬鹿にされるのではないかという英語コンプレックスの塊だった。その結果、いつの間にか私自身に「国内案件専門のひとだよね」、というイメージがついてますます英語で仕事をすることからは遠ざかっていった。
でも、学生時代から英語が好きで英語を使って何かをすることへの憧れがあった私は、思い切って外資系企業にチャレンジしてみることにした。

といっても、転職したらすぐに英語が話せるようになるわけではない。
今の会社に入社してから現在までどんな英語歴を経てきたか簡単に記載してみる。

入社1年目(=社会人4年目)
社会人になってほぼ初めて英語で仕事をすることになる。
英語の会議に出ても話の3割ほどしか理解できず、発言すらできない日々。
英語のメールもどうやって返事をしたらよいのかわからず、YesかNoの返事をするだけのメールにもドキドキしながら返信していた。
当時とてもよくしてくれたCFOが「まずは会議のまとめやネクストステップの確認をするところから存在感を出していくとよいよ」とアドバイスをしてくださり、どうしたら発言ができるかを考えながら過ごしていた。

入社2年目〜4年目
担当部署が拡大し、ヨーロッパの本国との会議で自分がプレゼンする機会が増えてきた。
スクリプトを事前に作ってとりあえず英語で話しはするが、質疑応答や複雑なディスカッションにはついていくことができず、日本側の英語が話せる上司たちがたくさんフォローをしてくれた。
最初の頃は拙い英語すぎて会議のあとに「英語ができなくてごめんね」とリモート会議の相手にチャットをしていたのが懐かしい。
この期間にたくさんの場数を踏んで英語会議への抵抗が減ってきたこと、会議の進め方や基本の話し方がなんとなく掴めてきたことが大きな収穫だった。

入社5年目
組織変更によって上司が日本人からパリに住むフランス人になり、日本のビジネスの状況を自分ひとりで英語で説明しなければならなくなった。
正直初めて組織変更について聞いたときには不安でいっぱいだった。今まで大勢の日本人の先輩たちにサポートしてもらって英語会議を乗り越えてきたのに、自分一人で対応なんてできるのだろうか。
でも結果的には、人生で初めて国籍を超えて人と信頼関係を築くことのできたとても貴重な経験になった。

入社6年目(=社会人9年目)
管理職に昇進。今度は日本で採用したフランス人が部下になって、英語を使ってピープルマネジメントをすることになった。文化の違いかそれとも性格の違いか、日本語が完璧ではない彼女をどうやって日本の組織で活躍させてあげられるかという、単に英語を話すだけではない難しさに直面した。
また、これまで会議をしてきた人たちよりももっと職位の高い、本国のトップ経営層との会議でプレゼンをする機会がでてきた。

以上が私が思い切って環境を変えてからの6年間の変化だ。
・・・と、偉そうに振り返ったものの正直私の英語力はまだまだで、帰国子女や留学経験のある同僚たちに羨ましさを感じながら、自分のできなさに歯痒い気持ちを感じながら働くことも少なくない。
でも、この6年間で私の英語力は飛躍的に向上し、少なくとも「英語を使って仕事ができます」と人に言えるレベルには成長したと思う。
そして、気がついたらTOEICのスコアは950点になっていた。

月並みだけれど、環境を変えることは自分の人生に本当に大きな影響をもたらすと改めて実感した。
でも、環境を変えたことだけが今の自分を作ったわけではない。
外資系企業に転職して以降、自分がどのようなことに気をつけて過ごしていたかを後編で話したいと思う。

Studio Well-being
Yu

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