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#06「マンガのなかのわたし」(第1話:ルジュンヌ君に聞いてみよう)

WONDER ORDER(あるいはORDER WONDER)では、マンガ・リフレクションを通して、なぜか気になる対象(ワンダー:不思議)について考え、そこにある本質(オーダー:秩序)を少しでも理解しようと思索を進めていきます。どこに向かうかわからない漫(そぞ)ろな足取りになりがちですが、The Sense of Wow!der の心持ちで、学習と創造のプロセスを楽しみ、記録していきます。

第6回は、「マンガのなかのわたし」をテーマに、自伝コミックスやエッセイマンガのなかの「わたし」について考えます。一緒に面白がっていただけたら、嬉しいです。

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お読みいただき、ありがとうございます。

このテーマを設定したきっかけは、日本マンガ学会が発行している『マンガ研究 vol.30』に掲載されていた雑賀忠宏氏の論文「「エッセイマンガ」と「自伝コミックス」における〈自己〉表象について―「語る主体」/「描かれる客体」の葛藤に対する姿勢の差異に注目して」を読んだことでした。

好奇心をそそる〈生表象〉というキーワード、自伝コミックスやエッセイマンガの文脈、「〈戯画〉化された自己 the cartoon self」や「自伝的アバター」概念など、いろいろと刺激を受けました。

小説やマンガの(フィクショナルだけど本当の…/本当だけどフィクショナルな…)「わたし」をめぐる冒険はファッションが孕むワンダーとも深くつながっています。たとえば、アバター感覚とは何か? 女装やキャラ化を楽しむバ美肉おじさんとは? メイクや整形とは? といった具合にです。本質的に、アイデンティティと表象の問題なので、なんにでも結びつくのでしょうが。

では作者目線で、「マンガのなかのわたし」を創り上げていくプロセスで何が起こっているのでしょうか? 

この論文で雑賀氏は、欧米圏の「自伝コミックス」の表現的指向が「ページ上の過剰や誇張として展開する〈自己〉表象を、視覚的な自伝ナラティブへと読者を巻き込む主体性の回路とみなす」のに対して、日本のエッセイマンガは「〈自己〉の表現自体をスタイルとして省略化し、さらには受容の過程においていわば〈透明化〉しようとするスタイル」だと指摘しています。

過剰さと透明化。これを読んで、なるほど、自分のスタイルは、このハイブリッドを志向しているのだろうな、と直観しました。自分のマンガには、何かアンバランスな感じがあると思っていました。無意識に、矛盾する、あるいは相反する二つの方向性を共存させようと、もがいているのかも知れない。そう考えると、俄然面白くなってきたのです。自ら矛盾を選ぶとは、自ら学びに飛び込むことそれ自体ではないか

この感覚は、まだよく掴めていません。だから、「マンガのなかのわたし」についてマンガで問うことにしました。 描きはじめると、面白くて奥深いテーマだと唸るばかりです。



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