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第11回「美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです」(中川幸夫 『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』より)

このマガジン「デザインという営みにコピーを与えてみる」では、デザインにコピーを与えるという目標に向かって「デザインを語ることば」を集めています。第10回では、パウル・クレーの「ヴァイオリンよりはむしろヴァイオリンについて」を紹介しました。

さて、第11回でご紹介し、書き留めておきたいのは、戦後いけ花の天才と呼ばれた中川幸夫のことばです。

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「美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです」

中川幸夫は、ガラスの器にカーネーション900本を詰め込んだ「花坊主」という作品(映画予告編 6秒頃に出てくる真っ赤な作品)で有名です。いとおしさとエロスを感じさせるガラスのかたち。滴り落ちるカーネーションの鮮血。生と死が同時にそこにあるような、人間らしさ、あるいは生命そのものの塊とでもいうような、力強い作品です。中川幸夫の作品には、なにか深淵な生命が宿っているのです。

ーー美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです。

この言葉は、表現するという行為の本質を教えてくれます。
(それはもちろん、デザインにも、あてはまります)

花はどの花も美しい。だから、美しいという言葉だけでは、表現したことにならない。では、いったい何が特別なのか。何が、その生命の力強さを生み出しているのか。そこに踏み込まねばならない、と。

この言葉は、どのような文脈で語られたのか......。
それがまた、すごいのです。

なぜ、中川幸夫の作品には深淵な生命が感じられるのか。その気迫を感じとることができるエピソードを紹介します。出典は、早坂暁氏の『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』から。


いけばなに人生を捧げた、ある夫婦

ある夫婦とは、中川幸夫と半田唄子のことです。なんと、夫婦の日常のなかで「美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです」という言葉が飛びだしたのです。どうも普通の夫婦ではなさそうです。

少しまわり道ですが、主要エピソードについてお話しする前に、どんな二人が夫婦になったのかをイメージできる挿話を、これも『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』のなかから、ご紹介したいと思います。

ふたりは、作庭家の重森三玲のいけばな研究会で出会います。このとき半田唄子は、千家古儀の十二代家元の座をすて、どこの流派にも属さず、いけ花で生きていく決心をしたタイミングでした。そんな彼女がたまたま中川幸夫のとなりに座り、彼のいけ花に衝撃を受けたのです。

「あッ......」
 唄子は思わず声を出してしまった。幸夫が侏儒なのに驚いたわけではない。幸夫のいけ花を見て、驚いたのだ。(中略)
 三吾のブルーの変形花器の前面に、ソテツの葉が扇をひろげるように開いているが、その葉の隙間から、ドキッとするほどの瑞々しい白いものが見えた。まるで、若く、美しい女体を覗いてしまったような感じなのだが、しかし、その白く、瑞々しい模様の実体が、分からない。
 と、幸夫は傍から新聞にくるんだ白菜を取りだしたのだ。表面のかじかんだ葉を剥きとって、なんと、包丁で真っ二つに割ったのだ。

ーー早坂暁『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』pp.248-249

半田唄子は、中川幸夫の自由な精神を目の当たりにして「恥ずかしい」と感じます。自分は何百回と白菜を切ってきた。それなのに、なぜ白菜の持つ生命の美しさに気づかなかったのか、と。

この時、中川幸夫は池坊に所属していました。大きな組織に所属することによって、全国規模の花展に出品できるのも事実。しかし、流派の型に縛られることなく「徹底的に自由になる」ために、のちに池坊から脱退します。家元をなげうって花と向き合う半田唄子の姿に、少なからず影響を受けたのかもしれません。

池坊を脱退した中川幸夫は、地元四国の丸亀から東京に出て、いけ花で食べていこうと決意します。そうして、九州の半田唄子に、「トウキョウ デ マツ ユキオ」と電報を打ち、東京行きの列車で手紙を書きます。

 乗ってから、あの電報だけでは乱暴すぎるかと思い、列車内で手紙を書いた。どう書いたらいいのか。思案のすえ、自分の最も好きな詩を書くことにした。中野重治の詩『歌』である。

 おまえは歌うな
 おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
 すべてのひよわなもの
 すべてのうそうそとしたもの
 すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
 すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
 もっぱら正直のところを
 腹の足しになるところを
 胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
 たたかれることによって弾ねかえる歌を
 恥辱の底から勇気をくみくる歌を
 それらの歌々を
 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌えあげよ
 それらの歌々を
 行く行く人びとの胸郭にたたきこめ

 ーーこんな手紙や電報で、はたして半田唄子は東京へ旅立ってくれるだろうか。なにしろ彼女は年とった姑と、二十二歳の娘をかかえてるのだ。
 半田唄子四十九歳、中川幸夫三十八歳。はたして二人は遅すぎる旅立ちが出来るのだろうか。

ーー早坂暁『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』p.258

こうして、二人は東京で、花に捧げる人生を送ることになります。

中野重治の詩は、まさに中川幸夫の精神を代弁しているようです。本稿のテーマ、「美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです」という言葉の奥にあるものを感じさせます。


椿をめぐって

それでは、本題に入ります。ふたりは、いけ花だけで生きていく困難に直面し、切り詰めた倹約生活を送っていました。

 二人の間には見事な椿の花があった。
「これ、花屋さんに返してきましょうか」
 二人は花屋で見事な椿の花を見つけ、つい買ってしまい、食事する金がなくなってしまったのである。
 唄子は椿を手にして立ち上がった。
「やめなさい」
 幸夫は唄子の手にした椿を奪って、やにわに椿の花を食べた。
「あなた......」
「この花をメシにかえるぐらいなら、僕はこの花を食う」
 幸夫は椿の花を顔もしかめずに食べてしまった。
「君も食べるか」
「いえ、私はいけます」

ーー早坂暁『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』p.283

半田唄子は、残った椿の花をいけ、窓辺に置きます。すると、中川幸夫は花器ごと手元に引き寄せて、椿の花をすべて引き抜いてしまいます。

「なにするんですか」
「君はいけ終わったんだろ。今度は僕の番だ」
「それは判りました。しかし、私が一生懸命にいけたものを、黙って壊すことはなかでしょう」
 昂ると唄子は博多訛りが出る。
「つまらんなら、つまらんと言うのが、なんぼ夫婦の間でも礼儀でしょうが」
「そうだった。ぼくが悪かった......」
 幸夫は不意に穏やかな顔になった。そして言う。
「唄子さん、あなたのいけた椿は、つまらんでした」
「......どこがですか」
「唄子さん、椿という字を書いて下さい。さあ、書いてください」
「......書きました」
「木へんに春と書きましたね」
「......はい」
 (中略)
「唄子さん、椿には、春を予感させるものがなくては椿じゃないです。あなたのいけた椿は、ただ赤い、美しい花を見せるためだけのものです。あれなら、ひまわりだろうが、菊だろうが、カーネーションだろうが、どんな花だっていいんです」

ーー早坂暁『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』pp.283-285

中川幸夫の言葉には、中野重治が憑依しているかのようです。

ただ赤い、美しい椿を歌うな。
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え、と。

さて、椿をめぐる問答はさらに続きます。

「さっき花屋の前で、僕たちはこの椿に出会った。つい、夜の食事を忘れるほどに心を奪われて、椿を買ったのはなぜですか。......何故ですか」
「......美しかったからです」(中略)
美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです
「......」(中略)
「この椿に、春の美しさ、春の近さを感じたからでしょう。僕たちは今日、新宿のキャバレーに花をいけてきた。東京での初仕事だ。”おい花屋、もっと面白い花をもってこい”とボーイにいわれても、黙って一生懸命に花で店を飾った。二人とも電車賃を倹約しようと歩きだした。そうだったね」
「はい」
「歩きながら、僕は考えていたんだ。......こんなはずじゃなかった。こんなにいけ花作品だけで生きていくのが難しいとは思わなかった。僕は甘かった......。多分、僕が印刷の仕事に手を出せば、生活は楽になる。しかしそれだけはしたくない。それなら、四国から、あなたを誘って出てきた意味がない」
「そうです。意味がありません。ですからあなたが印刷の仕事をすればええのにと思ったことは一度もありません。ほんとに一度もありません」
(中略)
「......でも唄子さん、ぼくは、冬はどんなに厳しくても、必ず春はくると信じいています。必ず僕たちのいけ花にも春の季節がくると思って、自分を励ましながら歩いているとき、この椿をみた。この硬い、どんな他の花にもない硬い蕾こそは、中にある春がどんなに大事なものかを教えているんだ」
「はい。私もそう思います」
だったら、この椿の春への思いを、いけなくて何のためのいけ花か

ーー早坂暁『君は歩いていくらん 中川幸夫狂伝』pp.285-286

ーー美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです。

この言葉をめぐるエピソードには、中川幸夫の作品に向き合う姿勢そのものが現れていて感銘を受けます。

ーーだったら、この椿の春への思いを、いけなくて何のためのいけ花か。

ふたりのいけ花人生を、この椿が導いてくれている。硬い蕾に自分たちの大切な矜持を重ね合わせて、椿の春への思いを、いける。

このエピソードに中野重治の詩もあいまって、中川幸夫の言葉が、ずっしりと胸郭にたたき込まれるように、伝わってくる。

ここには、表現するという行為の本質があります。

作家がおのれの体験と深く向き合い、作家と花の命が相互作用して、互いの生命を強めあっている。だからこそ、強烈に伝わってくるのでしょう。


椿をめぐる問答と、デザインの接点

わたしは、デザインの現場でも、中川幸夫が示してくれたようなことがらの本質を探究する精神が、アウトプットの生命力を高めるに違いないと考えています。

たとえば、デザインは主観的であってはいけない、という考え方があるかもしれません。しかし、クライアントの要望に応える立場であっても、デザイナー自身が、自分と向き合うことが最も大事であると感じます。まず自分自身と誠心誠意向き合ってこそ、クライアントとも向き合えるはずだからです。

クライアントの要望を字義通りに受けとって、言葉の真意や意図を自分自身で理解しようとすることなしに、表面的なアウトプットを提案するようなことはしたくありません。

ーー美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです。

だから、ときには「美しいだけでは判りません」と議論する必要があるでしょう。そして、一緒に美しさの本質を探究する必要があるでしょう。

ーーだったら、この椿の春への思いを、いけなくて何のためのいけ花か。

そういったものが、必ずあるはずです。時間はかかるけれども、ことがらの本質を探る旅こそが、デザインの核となるプロセスなのだと感じます。

デザイナーだけではなく、クライアントをはじめ、制作に関わるすべての人が表現者としての矜持を持ち、ことがらの本質を探求することができたら、きっと素晴らしいと思うのです。これは理想論かもしれませんが、日々強く思うことです。そういった場を生みだすために何ができるのか。制作と研究を通して、考えていきたいなと思います。


おわりに

今回は、中川幸夫氏の「美しかっただけでは判らない。花はどの花も美しいのです」という言葉をめぐるエピソードを通して、ことがらの本質をまなざす芸術家の気迫を共有しました。いのちをかけて花をいける生き様を尊敬するとともに、それは決して芸術家だけが持つ姿勢ではなく、デザインの現場でも忘れてはならないものだと、あらためて振り返りました。

ここのところずっと、「ことがらの本質」を眼差して「現実の再制作」を実行するというテーマばかりを取り扱ってきました。わたしにとって、「これを書かずして、何のためのnoteか」とでも言うような、「硬い蕾」があるのかもしれません。

今後も引き続き、わたしにとって魅力的な、「デザインを語ることば」を紹介していきたいと思います。


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