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河野達郎写真旅マガジン

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四国・大洲を中心に肱川流域の自然と営みや生活文化を、写真を通してお届けします。流域ご出身の多くの皆様方を始めファンの皆様方へ、写真家河野達郎がお届けする写真が語る旅物語です。 …
運営しているクリエイター

#街づくり写真家河野達郎

歴史回廊写真紀行-井内久万写真探訪記No.001

歴史回廊写真紀行-井内久万写真探訪記No.001

撮影日:2023y.05.12.Fri.
天 候:午前中はかすみ晴れ、午後から曇り
撮影行程
 自宅出発午前6時、最初の撮影地谷上山第2展望台 7:33 到着 9:03 出発、瀬戸風峠へ。いずれも宿題撮影となっている松山市街地風景の撮影。しかし、かなり濃いかすみで撮影はしたもののあえなく再撮影の運び・・・
 時刻はお昼。適度に腹ごしらえを済ませて、予定していたコースへとクルマを進めた。真冬の氷瀑の

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絶景に出会う旅

絶景に出会う旅

<絶景に出会う旅>クラブツーリズム
『河野達郎講師同行*高知の知られざる絶景めぐり
満月に満開になるという幻の月光桜 3日間』【羽田出発】

表記ツアーは最終のご案内です。
4月6日から三日間、高知県を巡る旅で私とご一緒しませんか?
今回は、4月から始まるNHKの連続テレビドラマで話題の高知県出身の植物学者「牧野富太郎」博士が発見した新種の山桜を巡る旅です。https://tour.club-t.

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月曜マガジン 今年の春は大洲町並快遊

月曜マガジン 今年の春は大洲町並快遊

時代変革、
 変わろうとしていたところへコロナ禍が弾みを付けた。それも想定外の方向へと導いたような気がする。人と人が交流し感動に沸き悲しみを共に乗り越えていくという素晴らしさが次第に地域を変えていくとしたものだ。
 が、しかし、その交流がなくなってきている。コロナ禍による非接触対応というのもそれではあるが、こうなってくると地域そのもののポテンシャルが果たしてどうだということになってくる。

観光集

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月曜マガジン 肱川街道写真紀行

月曜マガジン 肱川街道写真紀行

肱川あらし-秋冬の風物詩Ⅰ 四国西南の入り口付近に位置する愛媛県大洲市。
 すり鉢の底に位置するこの街に流れ込む肱川は、源流から大洲市内中心部まで約18km、河口の長浜港までの距離も約20km。全長も103kmしかないが、支流の数だけは470本を超えており全国の河川の中でもその数の多さは5番目であると言われている。
 この河川の最大の特色は、大洲盆地から河口までは見事に北西に向かって流れ出ていると

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月曜マガジン 『伊予灘レール』

月曜マガジン 『伊予灘レール』

6月のこの時期は紫陽花、
 伊予灘ものがたりの2代目車両がデビューして3ヶ月目。全ての季節要因は初めての組み合わせとなるために、人気スポットへは多くのギャラリーが詰めかける。アマチュアの皆さんと思しき追っかけカメラマンのむ多いこと・・・
 だが、喜ばしいことだけではなく、写真愛好家としての撮影マナーの低下は顕著に表れている。何しろこうした撮影をすると当然ギャラリーの皆さんに加えてカメラマンも写り込

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月曜マガジン『写真は語る。』

月曜マガジン『写真は語る。』

 これまで、現職時代のことなどを織り交ぜながら書いてきたが、では、なぜ私が写真を撮るのかということに踏み込んでみたい。
 そもそも、私は最初からプロの写真家を目指していたわけではない。趣味として家族や子どもたちを撮影することを楽しみとしていたレベルのことだった。状況が変わったのは、大洲市が第三セクターの街づくり会社を立ち上げるという方向に舵を切った1998年9月当時、大洲商工会議所青年部の会長とい

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月曜マガジン 新年度のスタート

月曜マガジン 新年度のスタート

 令和4年度最初の月曜note 。一週間前は、まだ少し寒かったりして桜の開花が不安定だったことを思い出す。だが一週間経ってみたら既に桜は散り始めていて終焉を迎えつつある。何というお天気のいたずら・・・いや、神様のご機嫌がすこぶる悪いということにしておく。

 撮影してクライアントさまへ「情報素材」としての写真データを納品する。本来は風景写真家として協会に所属している仲間の写真家さん達と同様に作品作

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お知らせマガジン 写真家として

お知らせマガジン 写真家として

私が皆様方へ何をどうお伝えしたいか。
そのためにどういう手立てを用いてどう表現すれば良いのか。
 メインステージを、四国・大洲盆地に注ぎ込む肱川流域に構え、撮影した写真を自分なりの表現に仕立てて、まずはWEBで発信していくことが、私の日々の活動だ。
 2000年9月26日に「おおず街なか再生館」という情報発信ホームページを、見よう見まねで造り公開したことがその第一歩となった。以来今年で22年目。写

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月曜マガジン 肱川街道写真紀行

月曜マガジン 肱川街道写真紀行

時代の勲章
 かつての時代には今日とは違った繁栄があった古い町並み。ゆっくり歩けば古の賑わいが脳裏を過るような錯覚にも陥る。泣き笑いの人生があり、商売繁盛に仲間達と祝い酒を酌み交わす日常が賑わいがあったことだろう。

 戦国時代の戦乱状態から脱却し、外様ではあったが加藤家を中心とした安定の藩政時代を迎えることとなった江戸時代。6万石の大洲藩にあって支藩で新谷藩の在郷町だったのが現在の内子町だ。
 

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月曜マガジン 肱川街道写真紀行

月曜マガジン 肱川街道写真紀行

 肱川流域の冬、早春とはいえ2月の大洲盆地の朝はめっぽう冷える。四国の地図を見ると全長約103kmの肱川が見事に北西に向かって流れ出ているのが分かる。秋から冬にかけて大洲盆地を包み込む冷え込みと雲海、そして河口に向かって流れ降る「肱川あらし」は、この地域の地形と肱川の向きが要因とされる自然現象だ。北西の季節風は夜のうちに肱川を遡り大洲盆地に溜まる。そして夜明けが近づくと河口へ向けて流れ始め、河面か

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