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50代で早期退職して音楽家に! 現在の月収は?

みなさんこんにちは、ケイです。
みなさんDTMしてますか?

僕は50代で大企業の開発部長職をやめ、趣味のDTM(パソコンを使った音楽制作)でフリーランスになってしまった人です。

今回はフリーランスとしての僕の月収が会社員時代と比較してどうなったのか、というお話をしてみたいと思います。特に僕と同じ世代の方に是非見てほしいです。


結論、月収は会社員時代を超えました!

この3月ついに達成しました!
フリーランスとして少しづつ伸びてきた月収が会社員時代を越えました。これまでも同じくらいの月収に届いた月はあったのですが、今回で完全に超えました。本当にうれしい限りです。

でも!

そんな自慢話記事みたいなもの誰も読みたくないと思うので、この記事では、50代で早期退職してフリーランになることのリアル、

  • フリーランスは楽じゃないよ

  • でも50代だってできるよ

  • 自分らしいライフスタイルと経済的安定を同時に手に入れることも可能だよ

  • ただし50代が若い人と同じやり方で戦っちゃダメだよ

というお話をしてみたいと思います。

まず、なぜ会社員を辞めたのか

以前も書いたのですが、僕が50代という年代で会社を辞めたのは、会社の中にもうやりたいことが残っていないと感じたからです。

若いころは現場の仕事が楽しくて、自分に向いた仕事だと思っていました。成果も上がって周りからの評価も上々、順調に出世し、30代のうちに部長職になり、自分で言うのもなんですが周りからは「エース社員」と認識されていたと思います。

ですが、日本の会社って出世しちゃうと「管理職」になっちゃうんですよね。今思えば僕にはこの役割に適性がなかった。適性がないからその仕事が好きになれなかった。だから、そこから先は苦労した記憶しかないです。
でもそのことに気づくのに10年以上かかりました。認めたくなくて気づかないふりをしていたのもあるかもしれませんし、せっかく出世して得た高給や社内での地位といった既得権を手放したくなかったのかもしれません。

でも最後に思い至ったのは、好きでも得意でもない仕事にしがみついたら部下にとっても会社にとっても迷惑な老害になるだろうし、なにより自分の人生がつまらない、自分らしくないと感じました

そこで、新しいことにチャレンジするなら50歳になったばかりでまだ頭に柔らかさが残っている今がラストチャンスでは?と思い、大好きだったDTMで副業を始めてみたんです。それが軌道に乗ったので思い切ってフリーランスとして自分のやりたいことをやって生きていくと決めたわけです。

青臭い自己満足かもしれませんが、僕は既得権に執着せず、それをあっさり捨てて、好きなことでもう一度チャレンジするために起業するような人生こそ自分らしくてカッコいい、と思ったんですね。
そしてそう思ってしまった以上、それにチャレンジせずこのままこの会社で定年を迎えたら後悔するような気がしたんです。

なってみてわかったフリーランスの厳しさ

今でも覚えていますが、フリーランスとして起業した初月、2023年の1月の売上は17万円くらいでした。起業のために機材やソフトやDTM部屋の整備などで経費がかさんで初月はいきなり2万円の赤字だったことを覚えています。

フリーランスの事業が赤字ということは「給料無し」ということです。

そんな状態だったので、僕の心はいきなり節約モードになりました。完全自炊でコンビニや外食禁止。すべてが質素な生活に切り替わりました。
もちろんそれなりの貯えをもってフリーランス生活に入ったのですが、口座のお金がどんどん減っていくというのは精神衛生上も良くないです。自由な生活は楽しかったですが、お金事情的にはなかなか厳しい立ち上がりでした。

銀行口座のお金が見るたびに減っていく中で、
「本当に自分はやっていけるんだろうか?」

そんな感じで毎日不安でした。でもやるしかない。
毎日不安を抱えて自問自答しながら将来を見据えて、1か月先、半年先、そして1年先、2年先を見越した事業拡大の手を打つ毎日
いつかこの努力が、仕込みが、クライアントの役に立って、それが収入になって返ってくるはずだ、自分は間違っていないはずだ、という考えを信じて突き進むしかなかった日々でした。

稼げる仕組みを作ることが重要

結果から言うと、そのころ仕込んだいろんな仕組みが月を追うごとに積み重なって、今の「会社員時代の月収越え」につながったと思います。心折れず途中でやめなかったこと、それが重要でした。

僕がフリーランスになった目的は
・いやな仕事をしない自由
・いやな奴とかかわらない自由
・好きなことを我慢しない自由

があるライフスタイルでした。

だから、「労働で稼ぐ」ことより「仕組みで稼ぐ」ことを重視しました。

これは、自分の労働時間の投入先を、時間を切り売りする仕事にではなく、継続的に売り上げが上がる仕組みの構築に使う、ということです。
そしてクライアントは、少数の大口クライアントじゃなくて多数の個人クライアントをターゲトとしました。

なぜなら、例えば大きなクライアントの会社を捕まえて1社で月50万円の大きな契約を取り付けたとして、将来もその売り上げはあるかどうかわからないし、来月切られるかもしれないリスクは常にある。こうなるともうその会社の言うことは何でも聞かざるを得なくなるわけです。
これは「嫌な仕事をしない」という僕の目標にそわないことが必ずあるだろう、と考えました。

だから僕はたくさんの個人から広く薄くいただく収入で生活の基礎を支えつつプラスアルファで自分が好きなことに労働時間を注いで稼ぐ、のが理想だと考えた訳です。

仕組みからの収入と労働での収入

今の僕の収入は、安定的な仕組みから得られる収入が5割、自分の好きな作編曲やレッスンという労働で得られる収入が5割、という感じです。5割の安定部分があるから、今月は良かったけど来月はダメなんじゃないか?という不安少なく自信をもって「会社員時代の月収を超えた」と断言できるわけです。

仕組みからの収入はこれからも少しづつ着実に伸びていくと思いますが、一方で労働での収入は僕のキャパ的な問題ですでに伸ばせなくなってきています。例えば作編曲のお仕事は、現在3カ月先まで枠いっぱいのご注文をいただいています。さすがに僕程度のレベルで3カ月待ち、ではその先の仕事は失注します。

これ、寝る間を惜しんでめっちゃ詰め込めばもっと取れるとは思いますが、それは僕がやりたいライフスタイルじゃないので、たいへん申し訳ないと思いつつ、いくつかのお仕事を納期を理由にお断りしています。
こういうぜいたくな判断ができるのも、安定した仕組みからの収入が心理的支えになっているからです。
この比率は将来「6:4」「7:3」と変化していくでしょう。
でも「10:0」にはしません。それじゃ作編曲家じゃなくなっちゃうからです。

50代で脱サラを考えている人に

僕は「稼げる仕組みを作ること」がフリーランスのすべてだと思います。特に50代で体の無理が効かない僕たちは、知恵を使って仕組みで若い人たちと勝負するしかないです。

今の僕の体力で徹夜で作編曲して納品ができるかというと難しいです。週に2から3曲の納品が限界なんです。そういうキャパにたくさんご注文をいただくと3か月待ちみたいな状態になるので、それが原因で失注することが多くなる。でも若い方なら、今日仕事貰ったら明日徹夜して3日後に納品、なんて瞬発力を発揮できちゃう。それを求めるクライアントさんもたくさんいると思いますが僕にはそれはできない、50代はもう体力じゃ勝てないわけです。

だからその分、僕たち50代は知恵で勝負しましょう。長年人生を生きてきた僕らは、若い方には負けないいろんな経験や知識を持っています。
確かに体力じゃ勝てないです。感性でも勝てないかも。でも、クライアントの気持ちを理解して寄り添いクライアントに満足してもらう、というような人間的な深みや厚さが必要なことなら、若い方より得意なはずです。

  • 自分の事業のクライアントはどんな人か?

  • 彼らは何に困っているのか?そのニーズは何か?

  • どういう仕組みを作ればニーズを満たし、喜んでもらえるか?

  • どういう仕組みならその対価を継続して回収できるか?

  • どういう仕組みならその事業を自分一人で回せるか?

そして、先ほど申し上げた安定的な仕組みから得られる5割の中には、前職がらみのコンサル契約や金融資産の運用益なども入っています。こういうのは若い方には真似できない50代の強みだと思います。

技術や知識も大事ですが、50代で脱サラフリーランスを目指すなら、これらのことを考えなければいけないというのが実際にやってみて実感した僕の感想です。
こういうことを考えずに早期退職なんかすると人生詰む可能性もあるので、まずは副業で可能性を探ることをお勧めしますよ。

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