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意識をおくポイントを変えるだけで、同じ仕事量でも疲れ方が違う

例えば10キログラムの荷物を運ぶとして。何も考えずに運んだときの疲れ方と。ちょっと体の一部分に意識を置いて運んだときでは、疲れ方が変わったりする。もちろん、個人差はあるだろうけど。人によっては劇的に変わることもある。

例えば俺の母は以前は腕立て伏せが1回もできなかった。しかし、ヘソに意識を置いてやってみてもらうと3回もできるようになった。
たった3回と思うかもしれないが、0→3になるというのは大きな変化だ。

ほんのちょっと、意識を変えるだけでこんなにも変わるのなら。運動だけではなく、これは他のいろんなことにも当てはまるのではないだろうか。

自分は筋肉トレーニングを10代のころから続けているので、もう20年以上になる。ガソリンスタンドで働いているときに腰を痛めてヘルニアを発症し。20代半ばで腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けたが再発。なので全身バランスよく筋肉をつけていないと、痛みと痺れが蘇ってきてしまうのでトレーニングは続けている。

といっても大して激しいトレーニングはしていない。
腕立て伏せ 50回
スクワット 50回
腹筋    15回
広背筋   20回
そして腕立て伏せをもう 35回

これらを2日に一度。自宅の台所でやっている。ジムには行ってない。高いから。

筋トレをやるときはヘソに意識を置いてやるようにしている。すると、ヘソに意識を置いてやったときと、やってないときでは同じトレーニングをしても疲れ方が違う。

このことに気づいたのはいつだったろうか。たぶん、2016年に沖縄に古武術の勉強に行ったときだったかもしれない。

例えば腕立て伏せをしているとき。腕の筋肉に負荷がかかり、腕に意識が集中する。するとますます腕が辛くなり、疲れも早くなる。気がする。

そこで体の中心であるヘソに意識を置いてみた。腕立て伏せをスタートし、腕の筋肉に負荷をかける。しかしそれでも意識はヘソから離さない。回数を重ねていくと辛くなってきて意識が腕にいきそうになるが、それをなんとかヘソに戻す。

そんな感じでトレーニングをすると、疲れ方が違う。劇的に、とはいかないまでも、やり終わったあとの疲労感が少ない。しかし、これはやや難しい。

何かに集中していると、その一点に意識が集まる。集まってしまう。そして疲労も集まる。それを半ば強制的に体の中心に意識を持っていこうとするので、難しい。なんだか「禅」の修行にも近い気がする。「禅」の修行をしたことないけど。

ヘソに意識を置いてやると筋トレはスムーズにできるよ。それに疲労感が少ないよ、と周りにも言ってきたが。最近もっと手軽にできるかもしれない方法を見つけた。

それはお尻の穴を締めること。

YouTubeを見ていて、何かの動画のコメント欄に「ムーラバンダ」をすると身体に良い。と書かれてあった。それについて知らなかったので調べてみた。

「ムーラバンダ」とは、ヨガのエクササイズのひとつで。主に骨盤底筋群を鍛えるためのもの。ヨガの「ムーラバンダ」の目的としては、体の中のエネルギーを外に逃がさないようにするためのものらしい。

骨盤底筋を締める。はじめはイメージがし辛かったので尻の穴。肛門を締める感じでやってみた。すると何となく姿勢が整う感じがした。

ヘソに意識を置いたときと似たような感覚があったので、肛門を締めたまま筋トレをしてみた。するとやりやすかった。正直、ヘソに意識を置くよりもやりやすかった。

なので最近は筋トレをするときは肛門を締めてやっている。トレーニング後も疲れは感じない。

俺はジムなどにいってトレーニングをしたことがほとんどなく。またプロのトレーナーさんに指導してもらったこともないので、もしかしたら間違った方法論なのかもしれない。

けれど実際に身体の意識を置くポイントを変えるだけで、疲れ方が変わるのは実体験としてあるので、あながち間違いではないと思う。

もしかしたら今まで俺が知らなかっただけで、世間では当たり前のことなのかもしれない。そうだったら恥ずかしい。

少し長くなってしまったが、要は筋トレだけでなく、他のことも。例えば文章を書いたり。何かを創作したりすることにもこれは当てはまるのではないか。仕事や、人間関係にも当てはまるのではないか。

"それ"をやってはいるけど、しかし意識は別のところに置いておく。すると、疲れを感じない。もしくは感じにくくなって、辛さが軽減できるのではないかなと思ったのです。

未だ自分の中でもはっきりとした答えは出ていないですが。もしかしたら、誰かの役に立つのではないかと思ったので書きました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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