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【雑談】"簿記" という、経理の共通言語のはなし。

こんにちは、きくちきよみと申します。
税理士です。

(TOP画像は、先日行った「ヨシタケシンスケ展かもしれない(横浜・そごう美術館)」での写真です。)

今日は「簿記は経理の共通言語と言われるが、本当に共通言語なのか」ということについて、思うところを書いてみたいと思います。

注:タイトルに【雑談】が付されている投稿は、今まであまり整理したことがなかったことで、最近ふと考えたことについての投稿です。考えが浅い部分も多分にあると思いますが、雑談の雰囲気で読んで頂けますと幸いです。


仕事をする上での「共通言語」とは。

先日、Tverでバラエティ番組を観ていたところ、「共通言語」の話が出ていました。映画監督・三谷幸喜さんが先週末公開の映画「スオミの話をしよう」の映画宣伝のために出演された番組で、「共通言語がある俳優と作品を作りたい」という文脈でのお話でした。

バラエティ番組なので多分に演出されたものだろうとは思うものの、三谷幸喜さんがご自身の演出作品の俳優さんたちを「(説明を尽くさなくても)演出家が思う演技がすぐにできるから、また一緒に作品を作りたい」と評していました。1分かけて理解してもらうよりも、10秒で理解してもらえるなら、残りの時間を他のことに使える、と。

非常に共感できることでしたので、どの仕事でも、「共通言語」は本当に大事だなと改めて思った次第です。


"簿記" は経理の共通言語?

「簿記は経理の共通言語だ」と何度も書いてきましたが、三谷幸喜さんの話を踏まえると、あくまで "最低限" の共通言語と言わざるをえません。共通言語という割には、あまりにも能力差・認識差が大きすぎる言語だからです。

日本の職場で日本人がコミュニケーションをとるのに日本語が必須であるとされている(今は英語が第一言語の職場も少なくないですが)のと同様に、簿記は経理でコミュニケーションをとるのに必須です。

ただ、日本語コミュニティで意志疎通トラブルが絶えないのと同様に、簿記の資格を持っている人の間でも、意見の相違やトラブルはしばしば起きてしまいます。


何をもって "簿記" の知識と呼ぶか?

以前に「簿記を自由自在に使えることは、どういうことか」をテーマに記事を書いたのですが、自分の思いを明確に表現できず、何となく消化不良になりました。

上述の三谷幸喜さんの「共通言語」の話を聞いて改めて思うことは、「簿記を自由自在に使える人は、実際の取引の事実関係を正しく捉える力がある」ということです。

「簿記の試験で出題されるような "整った" 問題(=事実関係を取り違えることなく、正確な表現で前提が明示される状況)」において、同じ知識量・同じ理解量の方の意見が異なることはありえません。

ところが、実務においては「前提条件や背景を自分で読み取る」必要や、「今後予想される懸念事項」「想定される不測の事態」などが大いに生じます。そのため、各人の能力・経験によって会計処理が大きく変わってしまうこともあります。これらの能力・経験の違いにより「簿記の運用能力に大きな違いが出てしまう」というのが、今の自分の見解です。


取引の事実関係を、正しく捉えること。

正しい会計処理をするには、日々勉強し、納得するまで考え、あるべき会計処理を理解しようと努めなければなりません。

「すべての取引について、すべて正しい会計処理をすること」は、簡単に見えて、無茶苦茶難しいと思います。何となく「これは本当にこの仕訳で良いのか?」と疑問に思ったときは、是非、納得するまで考えたり、徹底的に調べたり、無駄なプライドを捨てて人に聞いてみたりするのも、非常に重要なことだと思います。


最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

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