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【読書感想】火の粉

アパートやマンションに越してきて、わざわざ周りの家々のインターホンを押して挨拶して回る人間なんてもういない。
いやそれは、都心部に近いからかもしれない。
けれど、秋田にいた頃も、そんな人間がインターホンを押してくることは一度もなかった。
そんな人間は最早、絶滅したのだと思う。

2度もドラマ化されたこの作品。
初めて読んだのは大学生の頃だった。
キャンパス内のアパートでルームシェアをしていた友人が、こういった斜め上の作品を勧めてきてくれて、わたしも好んで読んでいた。

文庫本にしては比較的厚みがあるが、読み始めてしまえば、あっという間に読み終わってしまう作品だった。

物語が書かれたのが2003年頃だったからか、SNSはまだ発展していなく、携帯を持ち歩いていない人間も物語の中に普通に登場する。
話しは退官間際の裁判官の目線から滑り出していく。
母親の介護を理由に、裁判官を辞した梶間勲は4世帯同居の家族のために東京の郊外に裕福な一軒家を購入した。
退官前に担当した死刑確実とみられていた裁判で、無実を言い渡した公判から数年後、勲は大学で教鞭をとっていた。
そしてそこへ、件の公判で無罪を言い渡された元被告人、武内真伍が勲に謝辞を述べに現れる。
適度な距離を保ちつつも、彼の悩みを聞いたり、冤罪についての話をゼミ生にしてもらったりしているうち、気が付くと武内は勲の隣の空き家に引っ越してきた。
近所づきあいを始めるも、武内が梶間家に絡み始めるにつれ、不審な出来事が起こり始め・・・

「隣人」というどこにでもあるキーワードだけれど、「狂人」というパワーワードが合わさると、それは破壊的な恐ろしさになる。
しかもこの「狂人」というパワーワード、多分「悪意」は無いのだ。
そこがまた厄介で、あまりにも恣意的すぎる誠意がそれは恐ろしかった。

そう、武内は優しくしてくれる人間には、とことん尽くすのだ。
尽くすという言葉ではあまりにも軽すぎる印象を残すほど、相手に尽くす。
散々尽くされた相手は気持ち的にもいっぱいいっぱいになり、尽くしてくれる人を疎んじ始める。
これはしつこいひとを相手にしたとき、誰もが経験することだと思う。
しつこいなと思うと人は態度に出る。
そして相手もそれを察して、身を引いたり、場合によっては仲が悪くなったりする場合もある。
けれど武内との間にあるのはそんな生易しいものではない。
あるのは逃げ切るか、死ぬかの二択だ。

梶間家で一番初めに武内に不信感を抱くのは、嫁いできた雪見だ。
よく気が利くということは、よく人のことを見ているということでもある。
家事と育児の合間に、なんとか義母の介護の手伝いもしている。
そんな彼女はいち早く武内の不審さに気付くも、それに気付いた武内から悪質な嫌がらせを受け、梶間家から排除されようとしてしまう。
外堀をしっかり着実に埋めていく武内の手腕は恐ろしいものだった。

ただよりも高いものはないとよく言われる。
人の善意や人が尽くしてくれることもそうなのだと思う。
見返りを求めない人もいる。
けれどそれは、本人が「見返りを求めていない」と思っているだけであり、その実、何かしら達成感などの自己完結する感覚が伴っているのだと思う。

武内はそれを相手の嬉しがる反応や、ちょっとした甘えに見出す。
だからこそでだんだんとやる事はエスカレートしていき、終いには究極の自己満足への域へと突入していく。

もしもこのような人種がSNSが発達した世界にいたとして、どうなってしまうのだろうと少し考えてしまう。
安易に様々な見知らぬ人と繋がれる世界。
彼の尽くすという行為は、様々なお世辞と小さな善意へ費やされ、ちょうどよい重さに落ち着くのだろうか。
あるいは。

おしまい

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