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快刀乱麻を断つも、優しさ、返す刀無し:Knives Out

CMで見たダニエル・クレイグの印象しか残っていなかったのだけれど、実は、クソ野郎役でキャプテンアメリカことクリス・エヴァンズも出ていた。
ほんとにクソ野郎役だったのだけれど(ここは強調するよ)。
クソ野郎が70%を占める映画だったけれど、クソほど面白かった。

時は現代。
世界的に有名なミステリー作家のハーラン・スロンビー氏は、85歳の誕生日を迎え、一族から盛大に祝福されるパーティーが開催された。
途中、ハーランの孫であるランサムとハーラン自身が口論となり、ランサムがパーティー半ばで屋敷を飛び出していくも、パーティーは如才なく続いていく。
その翌日、家政婦のフランが朝食を届けにハーランの寝室へ向かうも不在。
いつものように屋根裏の小部屋にいるものと思い、踵を返して小部屋へ向かうと、そこには奥のソファで首をナイフでかっ切り、冷たくなったハーランが横たわっていた。
警察は自殺と判断するも、とある事情から、私立探偵ブノワ・ブランが一族を調べるため、屋敷へと介入する。
ハーランの看護師を務めていた移民のマルタを助手のように振り回し、捜査をしていくにつれ、有象無象な思惑や欲望が露わになり始め、事件は思わぬ方向へと転がっていく。

トレーラーのサムネにも出ているのだけれど、お前ほんとに崇高なキャプテンアメリカやってたんかいっていうほど、他者を罵りまくっているクソ野郎ことヒュー・ランサム・ドライズデールを演じているのは、ご覧の通り、クリス・エヴァンスご本人である。
キャプテンアメリカの映画はトレーラーしか見たことがないけれど、そんな崇高なキャラの片鱗なんて微塵も感じさせないクソ野郎感満載。
不敵な笑みをたたえたシーンなんて、クソ野郎だけどとにかくカッコ良かったよ。いいよ、その役のギャップ。

クリスはひとまず置いておいて。

映画のプロットは現代ではあるものの、フィルムの撮り方が一昔前のような色合いで、キャラクターたちの衣装もちょっとそんな雰囲気を漂わせているものだから、なんだか不思議な感覚を呼び起こす絵面だった。

一昔前のようなフレームワーク。
アガサ・クリスティーのようなプロット。
ポワロほどとは言わないものの、訛りの強い英語を喋る自由気ままな探偵。

事前情報無しに映画を観ていたのだけれど、後々調べてみたら、アガサ・クリスティーの作品を意識したりオマージュした箇所が随所に散りばめられていたそう。
アガサ原作の映画はあまり観たことはないけれど、なんとなく雰囲気は覚えている。
その記憶を抽出して濾過して原液を使用した印象だった(個人の感想です)。

そして何より驚いたのが、原作がないということ。

脚本は監督であるライアン・ジョンソンがどうやら書いたようだった。
ミステリー部分は一捻りもふた捻りもされていて、それが更にキャラクター達のエゴが覆いかぶさる形となって、見応えが半端なかった。
こんな歪なミステリーを書いているのだから凄いなと思ったら、なんてことない、LOOPERを作った人だったので、妙に納得した。
ミステリーが解き明かされた際は、ふた捻りくらいされていて、それがさらに捩れていたから、理解するのにちょっと時間がかかった。

超弩級のミステリーにクソ野郎達の協奏曲ですっごい映画だったのだけれど、後半になるにつれて、現在アメリカが抱えているであろう移民に対するむき出しの感情が鋭利に露呈し始めていった。
そして、ああ、この映画はここが恐らくメインなんだろうなと思ったのだ。

Knives Out

看護師としてハーランに寄り添い、ハーランの悩みを聞いていたマルタ。
そんなハーランの世話を献身的にしていたマルタを「家族の一員だ」と言って接していた一族。
そして、遺産相続の日、彼の遺産は全て、マルタへ譲渡された。
彼の本の権利も、家も、そして莫大な資金も。
その瞬間、「家族の一員だ」と言っていた口々は、マルタを罵倒し、盗人呼ばわりし、責め立てる。
この時、収められていたナイフは鞘から出され、「家族でない」というよりも「移民である」という事柄に照準を合わせて突きつけられたのだった。

アメリカはメルティングポッドで、カナダはサラダボウルという「移民」や「人種」に対しての人々のあり方についての概念の例えは、有名である。
人々は溶け合い融合し、そして一つの何かを形成しているのがメルティングポッド。
人々は個々を保ち、それぞれの味を保持しつつも一つのものを形成しようとしているのがサラダボウル。

全てを混ぜ込んでも、それが美味しくなることなんてほとんどない。
新たに投入された具材が一所懸命に溶けて一つになろうとしても、その具材の個性や味は完全に消えるわけでは無く、風味として残る。
そんなメルティングポッドが、「資産」という最も人間が欲し、薬物以上に依存しハイになるものを投入されて、溢れたのだ。

快刀乱麻を断つが如く、私立探偵のブノワは、複雑に絡み合った嘘と欲望と人間のエゴの糸を断ち切り、小さなヒントから真実を導いた。

物語の最後、犯人を特定する為に一族は屋敷の外へ出されていた。
そしてその後犯人は捕まり、途方に暮れた表情で顔を見合わせていた一族を見下ろす場所に立っていたのが、移民のマルタだった。
彼女の手には「My House. My Rules. My Coffee!」というハーランが使っていたマグが握られていた。

莫大な富を唐突に手に入れたマルタはしかし、懲りずにいうのだ。
一族が心配だ。助けるべきかしら、と。
皆が彼女に移民というカードを持たせ、鋭い刃を突きつけたにもかかわらず、彼女は畢竟、刀を返さなかった。

それでも一族が天を仰ぐが如く見上げたバルコニーに立って、コーヒーを飲んでいたシーンは象徴的であり、2世以降の移民達の希望になるのではないだろうか。

おしまい

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