【グッドプラン・フロム・イメージスペース】 「Mask Is the New Hakenkreuz」(No.0202)
その日は平日なのにとても混んでいた。
いや、市役所は平日しかやってないから当然か。まあとにかくとても混んでいた。そう思う。
引っ越してきたばかりでこの辺の事情には疎いし、そもそも市役所なんて滅多に来ないのだから詳しいことなんて知らないし興味もない。
とっとと手続きを終わらせて部屋に帰りたい。荷解きの続きやら何やらと、諸々細かいことが待っている。
俺は不慣れで居心地の悪い混み合った待合席で無味乾燥な電光掲示板のデジタル番号と手に持ったレシート紙に印字された自分の番号を何度となく交互に見合わせていた。自分の番号はとっくに暗記していたが、ひときわ大きな呼び出し音が響くたびに視線を手元に落としていた。
ーー午後を過ぎていたもののまだ昼食を済ませていない。こんなに待つのなら先に食事をしておけばよかった。しかしこの辺で良さそうな飯屋なんて知らない。
まあ、この退屈な待ち時間に調べればいいや。
などと思っていたが、ビニール地のソファが飛び飛びに「×マーク」で塞がれているせいで座れずに突っ立っている人もかなりおり、その中には少なくない数の老人がいる。そんな中で俺みたいな若造がふんぞり返ってスマホなんか弄っていると嫌な目で見られそうだったので昼飯を調べられずにいた。かといって、席を譲る気心も生まれず、なんとも座りの悪い待ち時間をこうして過ごしている。
ーーああ、早いところ済ませたい、退屈だ。
そう思った矢先、まるで俺が呼び込んでしまったかのようにトラブルが起きた。
無駄に横に広がった受付窓口の端の方から、若い男がこちらの方向へ向かって歩いて来ている。
そしてその後ろから、白髪でハゲの中年が怒りの声を上げながら追いかけているのだ。
どんどんと近づいてくるその二人の男を改めて確認すると、ハゲの中年はともかく、追いかけられている男は少年だった。中学生かそこらとしか見えなかった。
追いかけている男が中年であることはその腹と頭でわかったが、追いかけられている方が少年であることは、服装で解ったのではなく顔で解った。
なぜなら彼はマスクをしていなかったからだ。
少年は追いかけられながらも意に介している様子は無かった。多少苛ついた感じで歩く速度は上がってるが後ろを振り返ることもなく、そのまま俺の居る窓口の前にある番号札の紙を取り1つ空いた俺の隣の席に座った。
少年は若いのに実に堂々としていた。
すぐに追いついた中年が怒りを滲ませた表情で少年の横に立ち息を整えていた。
周りの人も少なからずこの二人のただならぬ雰囲気を感じ取り注目していた。
少年は座ってもスマホを出すことなく黙って真っ直ぐに受付に視線を向け、隣に立つ中年も、俺のことも相手にしていなかった。
「おい逃げてんじゃねえよ。マスクをしろって言ってんだよ聞こえてるだろ!」
中年はマスク越しでも聞こえるキツイ声色で少年に怒鳴った。その声はさっきよりも周りの注目を集めた。
「なんですか? 私になにか用があるんですか? 私はあなたなんて存じ上げませんけど?」
少年は顔を中年に向けて言った。言葉遣いもその振る舞いも年齢にそぐわない大人びたものだったが、声は見た目通りのものだった。
「だからさっきから言ってんだろ。マスクをしろよ! 持ってねえのか⁉ ったく非常識なガキだな!」
中年は吐き捨てるように言った。
その態度は誰が見ても不愉快そのものだったし、相手の少年とは明らかに他人だ。それなのに中年は言葉遣いも態度も、相手を馬鹿にした失礼な振る舞いをさも当たり前のようにしていた。
見ているだけで不快だったし、そんな態度を取る輩に絡まれる場合は、普通誰でも絡まれた人に同情するものだが、今この瞬間少年に同情を向けているものはいなかった。
周りのものは誰も彼も、この手のトラブルそのものを不快そうに見ていたが、汚い言葉で罵るこの中年の意見に心のなかで同意しているのがすぐに分かった。
何しろ全員マスクをしているのだから。
俺も含めて。
「あなたは他人の私にマスクをしろなんて言いますけど、どうして私はそんなマスクをしなければならないのですか?」
少年は反論したが、中年の不快で挑発的な言葉にも乗らずとても落ち着いた声色だった。
「はあ?なんでってお前・・・常識だろうが、何いってんだこいつは。ホントどうしようもねえなこいつは。」
中年は苛立ちを強めていた。少年のその言葉も態度も相当に気に障っているようだった。
「俺はな、お前みたいなガキのせいでな、病気になるわけにはいかねえんだよ。お前どうするの? お前のせいで俺が病気になったら? お前責任取れんの? なあ?」
「効果あるんですか?そのマスクは?」
「え?」
「あなたがしているようなそのマスクに、病気を防ぐ効果があるんですかって聞いてんですよ? どうなんですか?」
少年はさっきよりも語気を強めて言った。それは苛立ちというよりも意味を強調したかったように感じた。
その言葉の強さと反論の内容からか、中年は戸惑いを見せていた。
どうやらこの少年が一筋縄では行かない相手であることに、中年は気づいたようだった。
「あなたがしているマスクは効果があるんですか? マスクの穴はウイルスのサイズよりも大きいのにどうして防げるんですか? 効果があるんですか? あるならいいじゃないですか? あなたがしていればいいでしょ? 私に強制する必要ないですよね?」
少年の声はそれまでの落ち着いた振る舞いから一転して勢いをつけて中年に言い放った。
すでに気持ちが引いていた中年は返答せず黙っていたが、少年の言葉は止まなかった。
「え、効果がないんですか? なら効果がないのにどうして付けているんですか? そんな効果がないものをどうして他人の私に強制出来るんですか? 意味ないのに。」
俺も含めて、もう自分の番号が呼ばれても誰も窓口に向かうことはなかった。少年の声は中年も待合席も遥かに越えて響いていた。
窓口に視線を向けると、カウンターの向こうの人達も少年に視線を向けていた。
少年は立ち上がり、自分の周りにいる人達全員を示すように手を広げた。
「あなたたちだって、だれも本気でこんなものに効果があるなんて信じていないでしょう? 誰もこんなウイルスのことなんて恐れてもいないし信じてもいないくせに、どうしてそんなものをするんですか? どうして私に強制するんですか?」
周りにいる人それぞれに首を向けて視線を送りながら少年は言った。そのとき俺とも視線が合った。信念を持ったまっすぐな瞳だった。
少年は先程の中年と向き合い、広げた右手で中年の胸元を指しながら言った。
「あなたに聞きますがね、もしこのウイルス騒動が今と全く変わらず報道され続けているのに、あなたの周りの人全員マスクを外したら、あなたはどうしますか?
誰一人としてマスクをしていない状況でも、あなたは今のように私みたいな初対面の人に脅しかけるようにマスクを強制しますか?
となると、あなたはどこへ行っても誰に会ってもそれを続けることになりますよね? それどころか、今度はあなたがマスクを外せと言われる側ですよ。
それでもあなたは懸命にマスクを付け続けますか? このさき10年、20年とマスクを常に付け続けますか? そして棺桶に入るときもマスクをつけるように遺言を残しますか?」
もはや中年は何の返答もしなかった。
俺は中年のその反応に共感を覚えた。
あのまっすぐな瞳で詰め寄られたら、誰でも気圧されてしまうに違いない。
少年は自分の瞳の強さを知っているのだろうか?
いや知らないに決まっている。
だからこそ、相手に同情することなくそれだけ詰め寄れるのだ。
「しないでしょう? するわけない。絶対にしない。あなたは周りの人が外したら、いや、あなた達は周りが外したら全員すぐにマスクを外しますよ。そこには科学的根拠なんて一切無いんです。だって、付けている現在だって科学的根拠が理由で付けているわけじゃないのだからね。
あなたたちが付けている理由はただひとつ、周りの目が怖いからですよ。自分だけ、自分達だけっていうのが怖いんです。周りと同じでないと恐怖を感じる、周りから浮いてしまうのが怖いんです。ただそれだけです。周りの監視の目が怖いあまりに、自分が監視側に回ろうとするんです。だから赤の他人である私に対してそんな強気になれるんですよ。そうでしょう?」
もはや市役所は機能していなかった。ここにいる人たち皆はすっかり少年の言動に飲み込まれていた。
あ、いやそうでは無い者たちもいた。
俺は少年越しに入り口の方から警備員が2名向かって来ているのが見えた。
「戦争中はね、米兵なんかよりも、気に入らない人を告げ口する隣近所のおばさんが一番怖かったと聞きますよ。そうやって特高警察に告げ口して隣近所を生贄に捧げることで、胡麻すって自分達だけは生き残ろうとするんです。まさにナチそのものですよ!」
怒りに満ちたその言葉を周りに視線を向けながら少年は叫んだ。
そのとき、また俺と目が合った。
俺は少年の言葉に聞き入っていた。いや、周りの多くがそうだったろう。
俺と少年はしばらく見つめ合っていたが、その状況を警備員たちが破った。
少年の両脇に警備員が付き、背中を押しながら別室へと誘導を始めたのだ。
少年は抱えられるように追い出され始めた。少年は抵抗し元の場所へ戻ろうとするが、警備員が必死に止め、ズルズルと移動させられて行く。
それでも少年はなおも力強く、振り返りながら叫んだ。
「ナチってのはね、ちょび髭のおっさんのことじゃないんですよ。そうやって理不尽な力に屈して言いなりになる普通の人たちのことなんですよ。そう、あなた達のことですよ。科学的根拠なしでマスクやプラスチックカバーを人々に強制するあなた達がナチなんだ! 顔に貼り付けたその汚らしい布切れがナチの証なんだ!」
少年の声は市役所全体に響くほどになっていた。顔には冷静さがあったが、その熱のこもった声色は警備員の冷静さを奪うほど人の心を揺さぶるものだった。
警備員は力づくで、まるでゴミを片付けるかのように少年を引きずっていった。
少年との距離が離れるたびに、周りの連中はまるで何も無かったかのように取り繕い始めた。
彼なんか居なかったかのように手元の番号札を眺めたり、窓口の連中もいそいそと手を動かし始めていた。
ーー冗談じゃない。そんなことさせるか。
俺は番号札を握りつぶし放り投げると、その3人の背中へ向かって歩き出した。
【グッドプラン・フロム・イメージスペース】
「Mask Is the New Hakenkreuz」(No.0202)
おわり
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