【獣人処方箋】Case.17 「獣人と『毒薬』」 (No.0123)
新しい部屋に引っ越したら、まずは誰だって掃除と荷解きをして部屋づくりに精を出すことでしょう。
この空間を自分好みの落ち着く場所にして、これから長い間生活するのに相応しい部屋へと手を加える筈です。
短期間の仮住まいであっても、気付くと自分なりの工夫が施されているものです。少しでも使いやすくするのは人に限りません。
いつの間にか出来た床の傷が、お客さんをカウンターや出入り口へ案内する導線になる様に、人は生きる事で周りに色々な跡を残しますし、積極的に手を出して利便性を高めようとするものです。
良識や正しさの逆に位置する存在が獣人である事は、その定義からも説明不要な事実ですが、その獣人が誠実に機能した社会システムや人々の関係を居心地良く好ましいなんて感じる訳がありません。
獣である者には、人々とは異なった獣に相応しい環境があるのです。
大きな目線で社会を把握し指示や管理をする国家や、インフラや経済を作る企業や、そして日常として意識されづらいものの全ての環境の下支えである市民同士の付き合いは、思った以上に善意の理知が前提となっています。
それ故に人々もこの善意的な理知で行動と決断をする必要があります。
これを最も忌み嫌い、破壊したいのが獣人です。
このルールを崩して自分たちのルールに置き換えたいのです。
そのために獣人たちはこの社会に『毒薬』を撒くのです。
その毒薬が『仲の良し悪し』です。
社会の根底となる人との関係を『仲が良い』か『仲が悪いか』で評価するように価値観を作り変えるのです。
この価値観は肉体の感覚を根拠としやすいのでポジティブに評価を向けるには、特定の関係を結ぶことが『楽しい』や『気持ちいい』や『得する』様に振る舞えば良いのです。
これらは物質的に操作可能なところが多いため、結局は金でどうにでもなるという社会が成立するのです。
仲が良いを強調すると、当然人も社会も、その相手を『仲が良いか』、『好きか嫌いか』で態度を変えることになります。言うまでもなく人治国家や賄賂社会の幕が開くわけです。
元来は『正しい』が、社会の土台に位置する不動の基準であるはずです。
しかし正しさの真反対である獣人たちは、世界を自分たちの住処にするべく、この『毒薬』を世界中に長年に渡りばら撒き続けてきたのです。
それは今日も続いてしまっているのです。
現在、ウイルスの一件で、もはや学校が知性とは無縁のカルト宗教の根城であることが判明しましたが、その学校で一番うるさく押し付けられることは何でしたか?
『みんな仲良く』
ですね。
トンネルのカナリアにあるように、毒は何時だって弱いものから効いていきます。
お気をつけください。
【獣人処方箋】Case.17
「獣人と『毒薬』」 (No.0123)
おわり
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