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たとえ、自分が主人公じゃなくても。

コロナウイルスの影響で高校野球の夏の大会、いわゆる「夏の甲子園」が中止になった。野球だけじゃない、いろんなイベントや行事は軒並み中止。私も学生時代に部活を頑張っていたので、このニュースを目にした時、心が苦しくなった。

私は、中学はソフトテニス部、高校は野球部のマネージャーだった。どちらも忘れられない思い出が詰まっている。

こんな時だからこそ、ほんの少し、昔話を書いてみようと思う。

テニプリにハマってテニス部に入部した中学時代

中学時代はソフトテニス部だった。
入部のきっかけは、小学生の頃にテニスの王子様にハマったこと。

「つばめ返し」とか「ブーメランスネイク」とか、テニスでは本当にそういう技があるんだなと勘違いしていた私は、テニスの王子様に憧れてソフトテニス部に入部(硬式テニス部はなかった)。もちろん入部してすぐに「そんなもの本当は存在しない」ということを知った。

だけど、漫画のような必殺技はなくても、テニスは楽しかった。
ひたすら練習、練習、練習。そのおかげもあって副キャプテンになったり、地区大会で準優勝したり。最後の大会は2回戦であっけなく負けてしまったけど、やりきったし、後悔はしていない。

この頃は、「自分」がプレイすることがとにかく楽しかった。自分が主人公だった。

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(今でもみんなでたまにテニスをしているくらい、テニス大好き。)

夢だった野球部のマネージャーになった高校時代

高校に入ってからは、マネージャーとして野球部に入部。
小さい頃から野球が大好きで、よくお父さんに甲子園にも連れて行ってもらっていた。ずっと「野球部のマネージャー」になることが憧れだった。

野球部のマネージャーというと華やかしいイメージをもたれるが、実際は真逆だ。

マネージャーは、「裏方」だ。
洗濯をしたり、ご飯を作ったり、ドリンクを作ったり、ボールを磨いたり、スコアを書いたり、アイシングを作ったり……「部員さんや周りを見ていて気が付いたこと」すべてがマネージャーの仕事だ。

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(当時のメモを発掘。合宿の時のごはんのメニューを考えていた時のもの。)

休みなんて本当になかった。だから、引退するまで友達と放課後や休日に遊んだ記憶があまりない。覚えているのはほんの数回ほど。ひたすら自分にできることを探す日々だった。

「主人公」から「黒子」に

マネージャーは試合に出ることはできない。だって私は「主人公」じゃなく「黒子」だから。自分が主人公だった頃とはもう違うのだ。
だから、部員さんが感じた苦しみも喜びも、本当の意味で理解することも気持ちを共有することもできない状態が歯痒かった。
「プレイヤー」と「マネージャー」の間に大きな壁があるような気がして、なんだか、自分がマネージャーをしている意味がわからなくなってしまった。

辞めることも何度も考えた。だけど辞めなかったのは、同学年のある部員さんがいたおかげだ。
落ち込んだ顔をしていた私に気付いて「どうしたの?」と声をかけてくれた部員さんは、マネージャーの私なんかより人の表情を読み取るのが上手だったし、「プレイヤー」と「マネージャー」の壁を壊すきっかけをくれた。

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たとえ、自分が主人公じゃなくても

先輩が引退した2年生の夏。急に、いろんなことが見え始めた。
部員さんの表情がクリアに見えるようになって、次どうしたらいいのか、先読みして動くことができるようになった。そしたら、部活がものすごく楽しくなった。

マネージャーは公式試合ではベンチには1人しか入ることができない。
2年生の春の大会のとき、私ははじめてベンチに入った。

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(すでにベンチ経験のある同期のマネージャーにアドバイスをもらった時のメモ。当時監督に怯えていたことがよくわかる(笑))

ベンチに入って、いつも通り「裏方」の仕事をこなした。だけど、練習の時とは違って「みんなで一緒に戦っている」感覚だった。
それは、声をかけてくれた部員さんのおかげかもしれないし、仕事に慣れてきたおかげなのかもしれない。とにかくマネージャーというポジションに一生懸命向き合った結果だと思っている。

この時、自分が主人公じゃなくても、できることはあるし、自分なりの関わり方があるんだと、ようやく気が付いた。
あんなに「自分」じゃない「誰か」のことに一生懸命になったのは、初めてだった。

もう8年前の話だが、野球部で過ごした3年間は、今でも私の大切な宝物だ。

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