タクシードライバーの話~1~

 一台のタクシーが1台分の駐車スペースの白線の枠内にゆっくりと近づき、すっぽりと収まる。車のエンジンを切り、ドアを開けて外に出ると左手を太陽に向けてかざす。


 「今日も暑いな・・・」


 今日の天気予報では晴れ。南の太陽の光が今日も周辺に強く届いている。
 自動販売機に近づいていき、缶コーヒーを一つ買うと再びタクシーの運転席へと戻る。
 

 人口五十人ほどの島に赴任してきて三カ月。私は本社に勤務していたが、上司から辞令命令を受けてこの島に向かう事となった。しかし、こちらに赴任してきたものの、三カ月を経ても未だに実績はゼロだった。


 つまり、お客さんを一人も乗せていないのである。まずは本社へ戻るために実績を上げなければいけないと考えたが、お客さんが乗らなければ実績も上げられない。
 

 ふぅーとため息をつくと、誰かが車の助手席のドアを小さく叩いていることに気付き、見上げるとそこには顔を覗かせている一人の女性が荷物を持ちながら立っている。初めてのお客さんだ。

 慌てて右の金属棒に指を掛けてサイドレバーを引き、後部座席のドアを開ける。助手席の窓を開けてすいませんで――――と謝ろうと口を開いた時、その女性から出る一言に驚いた。
 
「今日、一日貸し切りに出来るかしら。」
「えぇ・・・」

 少し困惑したが島に赴任してきて初めてのお客さんということもあり、やる気になる。


 タクシーに持っていた荷物を預かり、荷台に置き運転席に戻ると、後ろから女性の透き通るような声が届いてきた。
 「それじゃ、まずはここに行きたいの。宜しくね。」
  

 女性が手に持っていた地図を預かるとそこには赤い丸のマークの箇所が所々に記されていた。その女性が指差した一つのマークは菜の花畑が咲いている旅行客に有名な場所だった。
 

 そこは季節を通して、四季折々にそれぞれの旬の花が咲き、海と花のコントラストの絶景に訪れている人々を魅了すると本社で聞いたことがある。結婚式場にも使われており、若い人にも人気がある場所なのである。

 駅から目的地まで行くとなると、現在の場所からおおよそ三十分で目的地に着きそうだ。そこに行くためには森を抜ける必要があり、標高が高いので上り坂になる。
 

 わかりました、と一言その女性に言うと、エンジンを掛け、サイドブレーキを外し、ギアをドライブに入れる。左右後方を確認し、フットブレーキを離しながら、ゆっくりとタクシーを前進させる。 

 


 ・・・二十分くらい経っただろうか。タクシーは道路に沿って緩やかな坂道を登っていく。生い茂る木々の隙間から太陽の光が線状に伸びており、線状の先は地面を優しく包み込んでいるのを見る。

 バックミラーを見ると、先ほど張り切っていたように見えた女性の顔は少し悲しんでいるように見えた。話しかけるか否か考えたが、会話を始めようという気にならなかったので開けた口を閉じる。




 しばらく二車線道路に沿って車を走らせていくと、今まで道路の両側にある木々が少なくなっていた。それまで線状に伸びていた木漏れ日は、だんだん車に近づいていき、周辺を包むように明るくなる。

 目の前の視野が広がっていく。バックミラーを見ると、後ろのお客さんは今までの表情とは違い期待に満ちた目で窓の外を眺めていた。道路に当たっている明るい境界線を通り抜けた途端、目の前は一面に黄色い菜の花畑が咲いていた。
「わぁ―――」


 思わず漏れた透き通った声が後部座席から聞こえてくる。
駐車スペースを――と周辺を見回すと木の看板が駐車場のスペースの入り口の隅に置かれているのを見つけた。
 







 「はーい!次!ここで写真撮ってー!」
 気づけばカメラのシャッター画面を見ながら菜の花と女性をその画面に収めていた。タクシーを停車すると、その女性は写真を撮って欲しい、と任されたので車内で待っていようと思ったが、断る理由が見当たらなかったためその依頼を受けたのだ。

 
「はい、撮りましたよー」
「ありがとうございます。それにしても今日は暑いですね。少し休憩にしませんか。」


 写真を撮り終えると、その女性は近くにある丸太のベンチに座り、持っていたカバンを膝に置き、カバンを開けると二つのジュースの缶を取り出し一つを渡してくれた。
 そして隣をどうぞ、と示唆されていることに気付きベンチに腰を掛ける。

 今は午後二時くらいだろうか。少し雨粒の汗がじわじわと出てきていた。横目でその女性の顔を見ると、その女性は何か思いつめたように遠くを見つめていた。タクシーのバックミラーで見た表情に似ていたので、どうしていいか分からず、とりあえずリラックスした姿勢になり彼女が口を開くのを待ち続けた。

 


 しばらくの沈黙が続いた後、少し冷たい風が顔を横切っていくのを感じる。ここは傾斜地で港から少し標高の高い場所に位置しているからだ、と考えた。菜の花の周りは空の青さと海の青が水平線まで一直線に続いていた。
すると、彼女の口が少し開き、ぽつぽつと話し始める。


「私は小さい頃読んでいた絵本の景色がとても印象に残っていて、ずっと行きたいって思っていたの。たまたま雑誌の特集に載せている景色が似ていて懐かしいなぁって。」


「仕事で大きなミスをしちゃって落ち込んでいた時、その景色を見て少し外に出てみようって家の外に出る決心が着いて。」


「今まで仕事で貯めていたお金を使って一度区切りを付ける。そしてここから始めようって思ったの。それが私の再出発点。」
 そう言うと彼女はすっとベンチから立ち上がり、こちらを向いて笑顔を見せた。
 
「さぁ、次いこ!時間がもったいないわ!」
 
 駐車場に向けて歩いていく彼女の背中を見ながら、息をついて立ち上がり同じ方向に歩き出す。






 島全体を包み込んでいた太陽は月に交代し、優しく太陽の光を島に届けていた。タクシーは女性と初めて出会った駅の一台分の白い枠内の駐車スペースにすっぽりと収まっている。タクシーの運転席で地図を広げながら全部のチェックが付いた印を眺めていた。

 

 海と空に映える菜の花畑、島の伝統のある釣り方を教えてくれた歴史の長い漁業の卸売を営んでいる職人の家、島の灯台・・・、チェックの付いた印を見ていると、今日のタクシーで回った場所を振り返っていた。

 今日はとても疲れたが、島についての歴史、文化、食事など自分も初めて知る情報もあり、仕事をしながら楽しい一日を過ごすことができた。
 

「これで行きたい所は行きましたね。他に行きたい所はありますか?」
「ありがとうございます。私は大満足です。貸し切りとはいえ、長い間付き合ってくれてありがとうございました。」
 

 その女性はお礼を言うとタクシーの料金画面を見てお財布を取り出し私に渡してくれた。私はちょうどの金額を受け取ると、そのお金をじっと見つめて少し間を置くと、その半分を渡してくれた女性の元に手渡してゆっくりと口を開いた。


「お代は半分で良いですよ。割引サービスです。私も観光気分を味わえましたし、島のことを知ることが出来ました。」
「えっ…でも…」
と口ごもっているが、私は続ける。
「その残りのお金はあなたのやりたいことに使って下さい。応援していますよ。」
 その女性は戸惑っていた様子だったがそのお金を受け取り笑顔で答える。
「ありがとうございます。もし私の夢が叶ったら、あなたに一番に見せます。見ていてくださいよ。」


 その女性が外に出ることを確認すると、すぐに運転手席のドアを開けて荷台に載せた荷物を降ろして女性に手渡す。
 


「またのご乗車をお待ちしております。」
 そう言うと、私は帽子を取り、その女性を見送るとタクシーに乗り夜の道路を街路灯に照らされながら走り抜けていった。
 つづく




※この物語はフィクションなので、実際の人物・建物・名前等関係ございません。


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