父と「Dancing In The Dark」
大学時代にバンドをやっていた。いろいろなバンドを、かなり無節操にコピーしていた。なかでも思い出深いのがブルース・スプリングスティーンだ。ぶっちゃけ、まったくと言っていいぐらい好みではなかった。でも、やった。音楽性よりバンド仲間で騒ぐのが楽しかった。
1984年にリリースされたアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』。これを機に日本でもブルース・スプリングスティーンの名前が広がった。全米第1位、84週連続でトップ10入りした、とんでもないアルバムだ。翌年には初来日も果たした。
コピバンで選曲したのも『Born In The U.S.A.』が中心だった。「Cover Me」「No Surrender」「Glory Days」、無謀にも「Born In The U.S.A.」もやった。この曲を知っている人には伝わると思うが、ボスと呼ばれているブルース・スプリングスティーンだからこそ成立する曲だ。へたくそな日本人が演奏する曲ではない。ただ、いちばん覚えているのは「Dancing In The Dark」だ。アルバムでは最後から2番目に収録されている。トリ前だ。ビョーク主演の鬱映画……それは「Dancer in the Dark」。ちょっとちがう。
こんな曲だ。
サビのラストは"たとえ、俺達が暗闇で踊っているだけだとしても"みたいなフレーズで締めくくられている。詳しい歌詞の説明をするつもりはない。当時、カバーはしていたけれど、英語の歌詞なんてまるで気にしていなかったのだから。ただ、ブルース・スプリングスティーンの魅力は歌詞抜きでは語れない。らしい。
選曲のために、ブルース・スプリングスティーンのアルバムを何枚か聴いた。スタジオ盤だけでなくライブ盤も。ブートレグにも手を出した。あくまでも選曲のためだ。いくら聴いても、それほどいいとは最後まで思えなかった。ただ、1980年にリリースされた『The River』だけはしっくりきた。趣味とか好みとかを超えて、いいアルバムだと思った。
この場合の「いい」は、アーティストの内面が音に刻み込まれている点で「いい」という意味だ。音にアナログな魂が憑依するかどうかは別として、優れたアルバムにはアーティスト自身の生霊が見え隠れしている。それは音楽に限らず、小説でも絵画でも彫刻でも映画でも、すべての創作に言えることだ。『The River』の根底にはブルース・スプリングスティーンが自分の父に対して抱いていた複雑な確執が流れていた。
こんなコラムがある。『The River』の翌年、ブルース・スプリングスティーンがステージ上で語った内容をめぐるコラムだ。口も聞かなかった父が入院したと知るブルース・スプリングスティーンがその気持ちをさらけ出している。そして、そのMCのあとに歌った曲「Independence Day」が染みる。アメリカで強く支持されている理由がわかる気がする。
忘れていた。話を戻す。
「Dancing In The Dark」を覚えているのは、あるアマチュア向けのコンテストでひとりの審査員に褒められたからだ。その審査員は来日コンサートに行っていて、ブルース・スプリングスティーンの大ファンだった。審査のあとに紙に書かれた講評にこんなことが書かれていた。「スプリングスティーンの曲をザ・カーズがイギリス風に演奏したみたいだ」と。
いやいや、ブリティッシュ好きがバレていたとは……。
それを読んだバンド仲間と一緒に大笑い(半分苦笑い)した。その印象が残っている。演奏したことよりもこちらのほうが記憶に残っている。ザ・カーズ? ピクサーが制作したアニメ映画ではないよ……あれは「カーズ」。ザ・カーズはアメリカのバンド。リック・オケイセックのボーカルが一癖ある、いわゆるニュー・ウェイヴ系のバンドだ。
たとえば、こんな曲。「You Might Think」は第1回MTVビデオミュージック・アワードで「最優秀ビデオ賞」をとった。マイケル・ジャクソン「Thriller」を押しのけて。シンディ・ローパーとポリス、それにハービー・ハンコックを蹴落として。そういえば、この曲、「カーズ2」でウィーザーがカバーしていた。
父親と確執していたブルース・スプリングスティーンも父になった。娘は馬術の選手で、2020年東京オリンピックを目指しているらしい。息子が消防士になったというニュースが流れたこともあった。奥様がInstagramで制服を着た息子の写真をアップしている。もうひとり、長男は父と同じ音楽の道を歩んでいるようだ。
2018年、ブルース・スプリングスティーンは第72回トニー賞で特別賞を受賞した。授賞式のスピーチで、ブルース・スプリングスティーンは3人の子ども名前を呼んで、愛していると言った。「親の心子知らず」ということわざがあるが、これは万国共通なのかもしれない。ブルース・スプリングスティーンが結婚して子どもを授かってからの音楽は「父」という呪縛が薄れたような気がする。まあ、政治的なメッセージ性は相変わらずだが。
また、話を戻す。「Dancing In The Dark」の話だ。
当時、よく聴いていた音楽は、たとえばT・レックスやデヴィッド・ボウイなどのグラム・ロック、セックス・ピストルズに代表されるようなロンドン・パンクだった。でも、だれも一緒にやってくれない。バンド仲間が集まる選曲会議にテレビジョンやプラスチックスを持っていってたら、あっさりボツにされた。
「スプリングスティーンの曲をザ・カーズがイギリス風に演奏したみたいだ」みたいな「Dancing In The Dark」がないかと探してみたら、あった。ゴーカート・モーツァルトのカバーだ。決してこんなにうまくはなかった。味もなかった。練習スタジオ後に麻雀したり、ポテチと飲み物を買ってだれかの部屋でゲームをしていたり、朝までぐだぐだと喋ったり、そんなことのほうが楽しかった。大学の単位を落としたりして親には心配をかけていたが、親がどんなふうに自分を見ているかなんて気にもしていなかった。
ゴーカート・モーツァルトは、80年代にイギリスのネオアコ・シーンを牽引していたバンド、フェルト(Felt)に在籍していたローレンスのユニットだ。ゴーカート・モーツァルトという名前はブルース・スプリングスティーンの楽曲「Blinded by the Light」の歌詞にからとられている。「光で目もくらみ」なんて間抜けな邦題はほんのご愛嬌だけれども。
カバー曲はこんな感じ。
小さな頃、母があるTV番組を見て涙ぐんでいるのが不思議でしょうがなかった。「はじめてのおつかい」だ。今ならちょっぴりその気持ちがわかる。ぼくも父になった。一応だが、やはり父親だ。娘はそこそこいい歳になった。iPhoneの待ち受けに幼いときの娘の写真を設定していたら、それを見つけた娘に「あほちゃうか~」と京都弁で笑われた。
大好きな小説家のひとり、スティーヴン・ミルハウザーの作品に「J・フランクリン・ペインの小さな王国」という中編がある。主人公は新聞漫画家のジョン・フランクリン・ペイン。彼は秘密の仕事、手書きのアニメーションをつくろうとしていた。ただ、それに没頭するあまり、日常がおろそかになっていく。ミルハウザーはそんな様子を優しげな視線で緻密に描いている。
翌年の春に、娘のステラが生まれた。娘に小さなソックスをはかせてやり、足の裏に自分の口をあてて、唇が熱くなってくるまで息を吹きかける。そうやって娘の足を暖めてやることをフランクリンは好んだ。時おり夜中に目をさまして、娘が眠っている最中に死んでしまったのではないかと心配でたまらなくなった。そんなときは、娘の部屋にそっと忍び込み、身をかがめて寝息を確かめた。聞こえたあとも長いあいだじっと娘を見つめ、やがて、毛布を顎まで上げてやってから自分の部屋に戻った。
引用:スティーヴン ミルハウザー「J・フランクリン・ペインの小さな王国」、訳 柴田元幸
単行本の28ページ、なんてことない場面の、なんてことない描写だ。でも、この作品を読み返すたびにこの一節で胸が少し熱くなる。もちろん、娘が生まれたあとの話だ。とても気に入っていて、黒い栞ひも(スピン)をこのページにはさんている。いつでもその文章が読めるようにと。
娘には何も言い返さなかった。
父、あほでええねん。しゃーないやん。しゃーない、しゃーない。
そう思っているんだよ、父は。
Atsushi Yoshikawa
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次代のプロ作家を育てるオンラインサロン"「私」物語化計画"の本編。前回の「隠された父の発見」補足として、今までの講義とは異なり、オンラインサロン参加者2名からのメールに応える形をとっている。
ロジックで説明しても伝わりづらいのかもしれないので、今回は講義テキストと言うよりも、エッセイを書くつもりで語りたいと思います。
なので、講義に挙げられていたブルース・スプリングスティーン、そして父をモチーフに、このテキストもエッセイ形式をとってみた。いつもは序文に置いている部分をうしろに回している。ヘッダ画像も通常のフォントのみから変えてみた。
Webサイト上に講義の冒頭部分が特別公開されている。
Text:Atsushi Yoshikawa
(注)このテキスト(特に前半)はあくまでも、わたし個人のテキストです。決して、"「私」物語化計画"の講義に対する正答や正解ではありません。よって、お好きに感想などのコメントはご自由にカキコミしてください。
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