見出し画像

【短編小説】Slow Happy

Slow Happy

ここ一年間、付き合ってもいない彼と三回別れた。春、夏、秋。季節ごとに一回ずつお別れをしたわけだ。そして、本当の最後となる四回目のお別れのために、ハンナは鏡の前に立って、一番色の明るいコートを着た。そう。いつの間にか冬になっているのだ。四季のある国だから四回別れるのだと、鏡の中のハンナが面白いことでも見つけたかのように笑っていた。
「あ、プレゼント!」
ハンナはしばらく前からキッチンボードに置いておいたプレゼントをカバンの中に入れた。これで準備完了!鏡の中のハンナにファイトのポーズをとってから、ハンナは出かけた。

待ち合わせ場所のある市内の繁華街はクリスマス雰囲気で盛り上がっていた。世の中の全てが光を発しようと決めたかのように、どこに目を向けてもなみなみと煌いている。きらきらな街中にクリスマスソングが響いて、クリスマス商品が並んで、クリスマス広告がはためく、今日はクリスマスイブだ。そう。世の中にはクリスマスイブにお別れをするために待ち合わせをする、付き合ってもいない恋人という存在が存在したりもするのだ。ハンナはなんだかそのことまで楽しく思えて、独り言のようにふふふと笑った。そう。世の中には付き合ってもいない恋人という存在とお別れしに行くのに、初デートのようにはしゃいでいる女の子という存在も存在するのだ。

「ね、僕たち、2120年12月31日お別れしない?」
と、先に言い出したのはジュンだった。そう。そのおかしい存在の名前はジュン。それは一年前、だから、2119年12月31日のことだった。付き合ってもいない男の子に「お別れしない?」と言われて、ハンナは「すると、私たちは2120年付き合うことになるの?」とふと思ったけど、そんなことは起こるわけがないと、当時のハンナは分かっていたし、結論的にもそんなことは起こらなかった。

なのに、なぜ、春、夏、秋、三回もお別れをして、冬、四回目のお別れを、しかも敢えてクリスマスイブにするのかと?ちょっと待って、今からその話をするから。別に特別な話ではないけど。

2119年12月31日ハンナは恋に落ちた。それはジュンだ。そして、ジュンは2119年12月30日恋に落ちた。それはハンナではない。ジュンはハンナの気持ちを知っていて、一生懸命に彼女を愛した。彼女はハンナではない。ハンナはジュンに近づくこともなく、離れることもなかった。
「好きならもっと伝えてもいいんじゃない?」
と首を傾げるのはジュンだった。
「何で私が?ジュンのことが好きだと言っても、ジュンに伝える義務はないよ、私に。」
と堂々としているのはハンナだった。
「なら、恋しないで。」
ジュンが言った。
「無理!それは思い通りにできるものではない。守られない約束はできないわ。」
眩しい日差しを見上げる猫のようにハンナが目を細めて言った。
「でも、頑張ってみる。」
ハンナがひらひら舞い散る桜の花を取って、ジュンに渡した。
「桜が散ったら、この恋を終わらせます!うふふ!」
ハンナが言った。それが春だった。春のお別れ。
こうやって、夏と秋も同じ感じでお別れをした。夏のセリフは「梅雨が終わったら」で、秋のセリフは「落ち葉が散ったら」だった。そして、冬がやってきた。2120年12月31日がかちかちと近づいてきた。ハンナはジュンに聞いたことがあった。
「なんで2120年12月31日なの?」
「きっちり一年だけ。僕に恋するのは一年だけにして。一年間お別れするんだ。ゆっくり、僕のことを忘れてね。」
ジュンの答えにハンナは
「お!カッコイイ!」
と返した。

そして、2120年12月31日の一週間前となる2120年12月24日、ハンナとジュンは冬の最後のお別れのためにデートをすることにした。なぜ2120年12月24日かと言うと、現実的には二人とも家族と年末を過ごすために実家に帰るから12月31日に会えないからで、12月25日にはジュンが彼女とデートをしなければならないからだ。また、気持ち的にはクリスマスイブのいきいきとした雰囲気がこの変なお別れの儀式にはピッタリと思ったからだ。

「わぁ~ほんとうだ!」
ハンナは街に溢れる優しい光と暖かい恋人たちと幸せな家族たちを見ながら思った。赤い帽子をかぶったちびっ子がよちよち歩いて、赤いセーターを着たママに手を伸ばすと、赤いマフラーをかけたパパが子供を抱っこする。オレンジ色に染まったカフェの窓越しにその姿を見つめていたハンナは微笑んだ。ハンナは思い出した。ジュンをゆっくり離していくこの一年間、何度も何度も想像していたある風景を。
いつかハンナはママになる。ジュンが私の子供のパパならいいなと思いながら、同時に顔にハテナマークを付けた想像のできない男の人を想像してみた。とにかく、一つだけ変わらない事実は、「私は私の子供のママになる」ということだった。それは不思議に思える位ハンナを落ち着かせた。いつ生まれるかも分からない、まだ会ってもいないその子を想像すると、ハンナは木漏れ日が暖かい朝の森の中を歩いているかのように穏やかな気持ちになった。

変なことを思い出して、約束時間に5分遅れたことに気づいたハンナは、カバンを取り上げて急いで待ち合わせ場所まで走っていった。大きいイチョウの木が立っているショッピングモールの前。真冬なのに黄色いイチョウの葉がクリスマスのイルミネーションより鮮やかな光を散らしながらたくましく立っていた。その下にジュンが立っていた。まだハンナの登場に気づいていない男の子、世界の誰でもなくハンナを待っている男の子、もうすぐ本当のお別れをしなければならないハンナが愛している男の子。ハンナは胸がいっぱいになって少しジュンの背中を見つめていた。そして、遠足に行くおてんばの少女のようにジュンの目の前にぺろっと顔を出した。寒いからかジュンの顔がほんのりうす赤い。暖かい所にいたからかハンナの顔もほんのりうす赤い。温度は違うけど、二人ともほんのりうす赤い。
「どこ行こうかな?」
聞いてくるジュンに、ハンナは
「ちょっと歩かない?」
と言ってみた。ジュンが少し寒そうだったけど、今日だけはハンナがやりたいことをやりたかった。
「いいよ。今日はやりたいこと、全部やろう。」
ジュンの答えにハンナは
「お!カッコイイ!」
と返した。
ハンナとジュンは歩いた。ずっとずっと歩いた。どの街を通り過ぎてきたか分からない位、どの街に着いたか分からない位、とぼとぼ歩いた。ずっとずっと話をした。何の話をしたか分からない位、何の意味があるか分からない位、ひそひそ話をした。

「5分前だよ!」
いつの間にか着いた知らない街の人通りのない小さな広場の時計塔を見上げてジュンが言った。12時になる5分前。かちかち時計の針が明日に変わるとハンナはジュンを彼女に返さなければならない。
「うわ~本当に最後だ。」
微笑むハンナに
「今は、約束できそう?」
とジュンが聞いた。
ハンナは答える前にゆっくり頷いてから、笑って言った。
「うん!約束できそう。」
「よかった!」
「よかった!」
「変!」
「変な一年!」
ハンナとジュンは顔を合わせて笑った。
「ね、ありがとう。一年間ジュンを愛することができて、私はとても幸せだったよ。」
「ありがとう。一年間僕を愛してくれて、僕はとても幸せだったよ。」
ハンナとジュンはもう一度顔を合わせて笑った。
「最後にお願いがあるんだけど。」
ハンナがちらりと時計を見ながら言った。
「一年間愛してくれた人のお願いなら何でも。」
ジュンが迷いもなく答えた。
「これから、きっちり一年だけ。私のことを覚えて。一年間忘れていくんだ。ゆっくり。」
「人のセリフをぱくるな!」
ジュンが大きい犬のように笑った。そして言った。
「そうする。僕を愛してたハンナを、ハンナが僕を愛してたことを、覚える。そして、2121年一年間ゆっくり忘れていく。」
「ありがとう。」
「ありがとう。」
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
誰の言葉か分からない同じ言葉を交わすハンナとジュンの間に、ひらひら白い雪が降り始めた。綿雪がすぐ二人の頭の上に同じ太さの白い帽子を作った。
「わぁ~楽しい!」
「わぁ~宇宙の贈り物!」
ハンナとジュンは暗い夜を通り抜けて降り注ぐ真っ白のきらきらな雪を見上げた。
「この雪が止んだら、ジュンを忘れるね。」
「この雪が止んだら、ハンナを覚えるね。」
時計の針が1分前を指した。ジュンが丈夫な長い腕を伸ばしてハンナをぎゅっと抱きしめた。初めて抱かれたジュンの胸の中は暖かかった。ハンナの背中にジュンの暖かい手のひらがあった。その大きくて暖かい手は「一年間お疲れ様。ありがとう。」と言っているようだった。
「暖かい。」
ジュンが言った。
「暖かい。」
ハンナも言った。
12時になる5秒前まで、ハンナとジュンはそのままそっと抱きしめ合っていた。白い雪が二人を隠していった。雪の降る知らない街の時計塔の前で、ハンナとジュンは最後のお別れをした。

*
空いている深夜の電車の窓の向こうに、空いている反対側のプラットホームに立っているジュンが見える、と思ったら、電車は待つこともなく馬蹄の響きを鳴らしながら雪の道を走った。雪の中にジュンが消えていった。ハンナはカバンの中に、渡し忘れたプレゼントがおとなしく待っているのを見つけた。海に向かって咲いている異国の大きな赤いお花。そのお茶のパッケージの絵は、この季節にあまりにも似合わない位眩しかった。ハンナはそっとカバンを閉めた。着々と、夜の電車は真面目に自分の道を走った。白い夜を渡る電車の窓に映る自分の顔を見ながら、ハンナは静かに「さよなら」と言った。

*
2120年12月31日の夜、ハンナは家族みんなが寝ている実家のキッチンのテーブルの前に、寝間着のまま一人で座っていた。すっぱくてまっ赤いハイビスカスティーを飲みながらハンナはかみ締めた。最後に、ジュンを精一杯精一杯かみ締めた。ハンナが愛したジュン。

この一年間、ハンナは本当に幸せだった。そして本当に胸が痛かった。ジュンにばれないように、一人で悲しいんでいた時間を思い浮かびながらハンナはにっこり笑った。嘘を付いたわけではない。ただ、ジュンに会うと、嬉しすぎて悲しい顔を見せるチャンスがなかった。心臓が止まるほど幸せで、痛くて、いったいジュンがどれだけ好きなんだろうと思っていた春、夏、秋、冬。そして、季節の流れと共に、ジュンとの約束の通り、ジュンを少しずつ離せるように頑張った。バカのジュンは時々「ちゃんと忘れてる?頑張って!」とメッセージを送ってきた。そんなバカでよかった。「もちろん!頑張って忘れているよ!」と返事を送って、胸がいっぱいで眠れなかったりした。そして、本当にジュンを忘れようと頑張った。そんなバカだから大好きだった。バカのジュンが好きなハンナでよかった。

一年前、ハンナとジュンが一日早く会えたら、ジュンはハンナを愛してくれたのだろうか。それは分からない。とにかく、ここ一年間、ジュンは一生懸命に彼女を愛した。ハンナは彼女を愛するジュンの幸せを壊さないように少しだけ一生懸命にジュンを愛した。変わることならすでに変わっているはず。一年間、ハンナとジュンはお互いの選択を守ってきただけ。

ジュンに聞きたいことがあったのに、その夜、クリスマスイブ、言えなかった言葉は胸に潜めておくことにした。
「ね、2121年1月1日の朝、少しは寂しくなりそう?」
と。

少しは寂しく思ってほしいと思う。ハンナはその小さな願いまで忘れることにする。ゆっくり時間をかけて恋をして、恋を見送って、ゆっくり時間をかけて愛した記憶と愛された記憶を忘れて、ゆっくり時間をかけて幸せになろうと思う。大切だから。すごくすごく大切だから。すごくすごくゆっくり。時間をかけて。
ハンナはまっ赤い花が作り上げたまっ赤いお茶をふうふう吹いて一口飲んだ。南国のまっ赤い真夏の花がハンナの身体の中に咲き始める気がした。すごくすごくゆっくり。時間をかけて。


201512



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?