客観的人生の過ごし方
この人生は誰のものなのか。
紛れもなく、自分の人生。でも、どこか他人事。ぼくは常にそんな世界で生きている。
ディズニーランドで城の前でジャンプして写真を撮る人。自分の夢に向かって路上ライブをする人。
こんな人たちを見ると僕は「楽しそうだなー」と思う。
じゃやればいいじゃないか。
と成功者の自己啓発本ばかり読んでいる人からは揶揄されるだろう。
ぼくが言いたいのはそんなことではない。
なぜみんな夢中になれるのだろう。
ぼくは何をしていても俯瞰的なぼくが存在する。頭の上ぐらいにいる感じだ。天使と悪魔みたいに。
ディズニーランドではしゃいでいるとき、「何はしゃいでんねん」と俯瞰的なぼくが言う。
「いや別にええやん」と頭の上に返す。
「手なんかあげてから」と思考のスプーンで心をえぐる。
会社で必要になる資格試験の勉強を始めた。
会社の事務所で勉強をしていると、「なんでそんなに一生懸命勉強してんの?」と質問してくる。
「勉強しないと合格しないでしょ」と頭の上に返事をする。
「合格しないと恥ずかしいでー」と煽ってくる。
俯瞰的なぼくはその場で冷静という世界に引き戻してくる。
そんなことを繰り返していると、本来楽しいはずであるイベントがまったく楽しくない。
そんなこんなで、ディズニーランドでジャンプして写真撮っている人を見ると「どうせインスタという彩られた世界でしか生きられない人たちなんだろ」と嘲笑するようになった。
「その心は?」となぞかけみたいに問われると、恥ずかしい、一生懸命はださい、天才は努力しない、などというなんかよくわからない思考にとらわれているだけなのだろう。
俯瞰的なぼくがいる割には視野の狭いぼくをぼくが見ると、胸が締め付けられる。
夢中になれることを探した。
本を読むこと。パソコン作業をすること。デザインを考えること。
結局一人でやることばかりだなーと考えながら今日もまた、夢中になれることを探す。
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