東西と歴史の谷風その4〜インド ラダック〜

-インド編5-

ラダックに着くとまず宿探しから始めた。とりあえずジープをシェアしたイスラエル人と部屋もシェアした。その日は高山病予防のためにも1日動かずにおとなしくして、持って来たナンを食べ、バター茶を飲み、そのまま眠りに着いた。
次の日からラダックを散策し、チベット密教のお寺を回った。
ラダックはヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた美しい所だ。朝起きて外に出て見渡すと勇壮なヒマラヤ山脈が青々と白い雪の筋に太陽を反射させながら、まばゆいばかりに輝いている。日が登る時から日が沈む時まで、神々が暮らすという天空の山々は、優しく人々に、時に語りかけ、時に問いかけ、ある時は諭し、またある時は癒している。そこに暮らす人々も優しく慎み深く愛に溢れて暮らす。そして子ども達もそういう環境の中で、そうやって育っていく。バスで街中を移動中、年長のものがいると、子どもがすかさず立ち上がり席を譲る。年老いた高齢者や障がいのある人がいるとすかさず手を貸して、その歩行を手伝う。異邦人が困っているのを見るとすかさず隣人のように接し、必要なものを差し出す。
そんな人々が暮らす広陵としたヒマラヤとカラコルムの隙間に広がる大地に、難攻不落の城のように、チベット密教の寺院は聳え立つ。
チベット人は本来、鳥葬であるとのこと。ヒマラヤの最も高い所に暮らす彼らは、魂をさらにより高く昇華させようとする。
そしてチベット人は元来ヤクの放牧を行う遊牧民であるが、家族全体で移動せず、家族と妻を残し、男が一人遊牧に出る。その間もう一人の男が家族と妻を守るという。つまり一妻多夫制で男二人が交代で遊牧と家庭を守るそれぞれの役割をこなす。これは実際には一夫一妻制のインドでは禁じられている。しかし、彼らはには一妻多夫制という概念すらない。地域社会にいる時は、地域社会の法則に則り、家族を守りその役割を果たす。家と地域社会から離れて遊牧の旅に出れば悠久の大地と天空に吸い込まれ別の次元で生きるのだ。どこまでも広がる紺碧色の天空を突き刺すヤクの角を眺め、大地に滴り落ちる途中で凍って光輝く、剣のようなヤクの毛先のつららを確認して暮らすのだ。
チベット人は産業革命以降の技術革新により全てが変わる生活を繰り返す西側諸国とは最も遠いところに存在する。西側が海を渡って東方の果てまで来てから、今や中国もインドも技術革新の最先端を行く国の一つである。そしてその中国のカラコルムの向こう、インドのヒマラヤの向こうの神々が住む地に暮らすチベット人は、隣接しながらも支配されながらもその流れの最も遠いところにある!
そして天に、宇宙に生命系に最も近いところで暮らす。
拡大資本を基盤にする世の中も拡散し切って、新たな市場をもはや開拓できなくなり、技術革新がもたらすパラダイムシフトにより移り変わり広がり続ける世界ももう限界に来ていると言われる。そしてその象徴でもある大都市で暮らす人々は、生命が網の目のように織りなす繋がり(ネイティブアメリカンの言うweb of life)に対して閉ざされた社会を形成し続け、バベルの塔のように、高く積み上げたコンクリートの中で閉じこもってエネルギーを異常なまでに搾取し浪費している。しかしチベット人は変わらず天空と大地の間に立ち、最も低いエネルギー摂取率で最も詩的で持続的かつ効率的な生活を送り、1日に何度も感謝の祈りを捧げる。

その中でもチベット密教の僧達は、さらに低いエネルギー摂取で効果的に生きている。陽だまりにあたりながら縫い物をし、ヒマラヤを眺めながら水をくみ、地球上で最も美味しい空気を吸いながら薪を割り、しなやかに食事の支度をし、ゆっくり誰よりも美しく誰よりも楽しく食事をし、終えるとたおやかに食器を洗って後片付けをする。誰よりも綺麗に掃除して、困っている人がいると誰よりも早く駆けつける。その身のこなしは軽やかで、まるでカリオストロの城に幽閉されたお姫様を助け出しに行き、城の屋根を飛び回るルパン3世のようだ。時間があると砂でこの世のものとは思えない美しく荘厳な楽園の曼荼羅を描き、描き終わると吹き消す。
チベット密教の寺めぐりの途中で日本人に何人か会った。一人はジャーナリストで、私がカシミールからヒッチハイクでヒマラヤ越えの運送トラックで来たことを伝えると「確か前にそれで日本人の学生が崖から転落して死んでるよ」と親切に教えてくれた。確かにこれヤバいなと何度も道の途中で考えていたところだった。また別の日本人は、ここまで来る途中にダライラマに会って話ししてきたと教えてくれた。誰でも会えて誰でも気さくに話ができるのだという。その日本人に「大きなブロッコリーをもらったので一緒にたべないか」と誘われた。そこで彼の宿に行って、外で鍋に火を焚いて、熱湯にブロッコリーを入れて塩と茹でた。ちなみに標高が高く沸点が低いので、何度で茹でていたかはわからないが、箸を刺して食べられるようになったのを確認して食べた。ヒマラヤの広陵とした大地のせいか、味は非常に濃く強く、濃厚で美味しかった。きっといろんな栄養が詰まってるのだろうと想像させた。特に男一人の貧乏旅行で、肉と炭水化物中心の生活が続く中での久しぶりのビタミン補給に、体中が歓喜に湧いているのが分かった。
夜になって部屋に戻るとルームメートのイスラエル人が連れて来た友達で溢れていた。どうやら何かの儀式を行なっていたらしい。「今ちょうど儀式が終わったところだよ」と部屋をシェアしていたルームメートの男が言った。私もその中に入りしばらく話し込んで、夜が更けて皆が帰る頃に眠りについた。

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