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短編小説 「シャバのメシ」


タイシが警察署の扉を押し開けた時、夕暮れの柔らかな光が彼の顔に降り注いだ。笑顔は浮かべていたが、目の下には深い影があり、疲れた表情がその内側に刻まれていた。彼は一歩一歩、足を引きずるようにして駅前へと向かった。風が肌を撫でる感触が心地よかったが、その感覚は疲れた体には届かない。

午後の出来事を思い返すと、苦笑いがこみ上げてくる。スーパーで緑茶一本買いに立ち寄っただけだったのに、何の前触れもなく外へ出た瞬間「万引き犯」として逮捕されたのだ。店員の見間違いが原因だと聞かされたが、誤解であることが判明するまでに8時間も拘束された。無実が証明されて釈放されたものの、時間の無駄と疲労感はひどかった。

夕闇に包まれ始めた駅前の居酒屋「たぬき屋」のネオンが目に入ると、心は少しだけ軽くなった。小さな引き戸を開けて店内に足を踏み入れると、居酒屋の活気に溢れた空気が迎え入れた。カウンター席に腰を下ろし、タイシは店主に「生ビールを一杯ください」と注文した。店主はにこやかに頷き、慣れた手つきでビールを注ぎ始める。

店内の壁には、今日のおすすめメニューが手書きで書かれたボードがかかっている。焼き鳥や枝豆、厚焼き玉子の写真が美味しそうに並ぶ中、タイシは「どれもうまそうだ」と小さな声で呟いた。鉄の格子と無機質な取り調べ室から解放されて、この普通の居酒屋の賑わいが何よりも貴重に思えた。

運ばれてきたビールの泡が溢れそうになりながらも、タイシはそれを丁寧に受け取った。喉を潤す冷たいビールの感触は、今日の長い一日をやっと終わらせたという感慨を彼に与えた。店主が気遣うように「今日は何かあったんですか?」と声をかける。

「ちょっと災難に遭いましてね、警察署にいたんですよ。でも、ただの誤解で……まあ、こうして今ここにいられるのはありがたいことです」とタイシは笑顔で答えた。その笑顔には、自らの不運を笑い飛ばす強さがあった。

ビールの次に注文したのは焼き鳥盛り合わせだった。香ばしい匂いが漂い、ジュージューと焼ける音が耳に心地よい。ひとつひとつの串を頬張りながら、タイシは食べるたびに幸せを感じた。「シャバのメシはうまい」周りのテーブルでは、仲間同士が楽しそうに談笑している。そんな光景を眺めながら、一人飲みの寂しさよりも、自由の美しさを噛み締めていた。

やがて、おすすめの日本酒も追加注文したタイシは、徐々に心地よい酔いに包まれていった。警察署の堅苦しい空間とは対照的な、暖かく賑やかな居酒屋の雰囲気に癒されながら、彼は自分の明るさが一層輝きを増していることに気づいた。嫌なことがあっても、笑顔を絶やさない。そんな自分の生き方を再確認する夜だった。

店を出る頃にはすっかり夜の帳が下り、駅前のネオンがきらめいていた。タイシは小さく息を吐き、もう一度空を見上げた。日常の中にこそ、小さな幸せが潜んでいるのだと改めて感じた。彼は再び笑顔を浮かべ、家への道を歩き始めた。





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