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短編小説 「夏が終わり」


夏休みも終盤に差し掛かると、日差しが少しずつ和らぎ、空が夕暮れに染まるのが早くなった。ユマは、そのことに気づかないふりをしていた。まだ夏が終わるなんて信じたくない、そんな気持ちを胸に秘めながら、彼女は最後の思い出を作るために走り回っていた。

高校最後の夏休み。ユマは、この夏を全力で楽しむことを決めていた。友達とプールに出かけ、キラキラと輝く水面に飛び込む感覚が忘れられない。海にも行き、波と戯れながら日焼けした肌が少しヒリヒリするのを感じた。かき氷屋で涼を取り、冷たくて甘いシロップが染み込んだ氷を口に運ぶたびに、身体の中から夏が広がるようだった。

恋もした。クラスの男の子、アキトに心を寄せ、夏祭りの夜、浴衣を着て彼に会いに行った。緊張で手汗が止まらず、心臓が跳ねるたびに、自分の鼓動が耳に響く。打ち上げ花火が夜空を彩る中、ユマは一瞬の勇気を振り絞り、アキトに告白した。しかし、彼の返事は思い描いていたものとは違った。失恋の痛みが胸に広がり、花火の美しさが余計に切なく見えた。

それでもユマは、夏が終わる前にやりたいことを全部やり尽くすつもりだった。友達と公園で鬼ごっこをしたり、夜遅くまで映画を観たり、心の中で「これが最後かもしれない」と思いながらも、次々と楽しいことに飛び込んでいった。

そして、ついに夏休みの最後の日がやってきた。ユマは、どこか現実味のない感覚で、その日を過ごしていた。頭の中では、「もう終わりなんだ」という声が何度も響いていたが、心の奥底では「まだまだ終わりたくない」と叫んでいた。

夕方になり、ユマは近所の商店街に向かった。いつものアイスクリーム屋で、最後のアイスを買うためだ。涼しい風が吹き始め、夏の暑さが少し和らいでいたが、アイスクリームを口にすると思い出がよみがえった。すべてが、昨日のことのように鮮やかで、甘くて、そして少しだけ苦い。

「もう、終わりなんだね……」ユマは、アイスを一口かじりながら、小さくつぶやいた。頭の中に浮かぶのは、海辺で感じた砂の感触、失恋の痛み、友達と笑い合った瞬間。すべてが、一つ一つの出来事が、彼女の中で大切な思い出になっていた。

アイスが少しずつ溶けていくのを見つめながら、ユマはふと気づいた。夏はまた巡ってくるけれど、今年の夏はもう二度と戻ってこない。そして、そのことが何よりも大切なのだと。

「さようなら、今年の夏」ユマは最後の一口を食べ終えると、静かに立ち上がり、家に向かって歩き出した。涼しい風が彼女の髪を揺らし、これから始まる新しい季節の予感が、彼女の心を少しだけ軽くした。





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