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今朝

 今朝、目が覚めて、驚いた。
 私が、昨日のままの私だった。
 天井の色も染みの位置も変わっていない。ベッドの右側の本棚に並んだ本もその配置も同じだ。左側の机の上のPCがスリープしていてディスプレイが何も映していないのも寝る前のままだ。少し体を起こして足元の方を見ても、掛け布団の柄も見慣れたものだった。
 夢を見なかったからだろうか。もう、夢を見なくなってから随分と経つ。しかし、夢を良く見ていた頃にはどうだっただろう。同じことだ。夢の内容を丁寧に記録して分析などして何か変化の兆候を見つけるといったことをする向きもあるが、そこで大事なのは、夢の内容ではなく、誰が分析しているか、或いは誰が分析を聞いているかであって、それは、夢見る前と同じ当人だ。

 同じ。それはどういうことだろう。
 昨夜寝る前と同じ情報が私の脳に保存されていて、今朝目覚めた時に、それが再起動したということだろうか。しかし、そうだとすると、その情報を何か他のもの、PCでも良い、にインストールすれば、そこに私が出現するはずだ。だが、それは期待できることだろうか。いや、データよりもOSの方が大事であって、私とPCではそれが違うのだ、と言ってみたところで変わりはしない。OSもデータと同様にコピーすれば良いだけだから。

 寝る前の私と目覚めた時の私が同じであると、私に、納得させる仕組みがある。差し当たって、それがあらざるを得ないことを覚えておく。それが私の脳の中にあるのか、私の外にあるのかは、どちらでも良い。誰かが上手く面白く説明してくれれば良い。

 枕元のグラスの水が減っているのだけが変わっていた。途中で起きた時に飲むためにいつも用意している。確かに昨夜も飲んだ。だが、それは夢の中でだったかもしれない。

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