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学校教育と不登校について思うこと。

めちゃくちゃ久しぶりに日記?というか、記事を書く。
最近、めっきりキーボードを叩くことが少なくなって、その代わりに、ずっとLINEとマインクラフトをしていた。
それはなぜかと言うと、関わりを持ち始めた子どもと接点をなるべく多く持とうとしていたため。
多分、既存の学校教育現場だと、子どもとSNSで接点を持つのは忌避されがちだし、まあそもそも問題を避けようという意識が働いているので、つながりを持とうとすること自体禁止されているところが多いと思う。
とはいえ、昨今の情勢を見ると、家庭へ配布するお便りなんかもデジタル化の流れ?という話も聞くので、そろそろ学校と家庭のSNSのやりとりも見直したほうがいいと思う。
というか、学校だと、プライベートで繋がり合うと問題が生じるかもしれないリスクがあるというだけで、パブリックとして公的に繋がりを保つのであれば、何ら問題がないと思うんだけどね。
LINE公式使うとか?そうしないと、お知らせとかも大変じゃん。

ってまあ、それはいいとして。

最近、マジでLINEとマイクラばっかりやってて、正直通信の勉強はモチベーションがガタ落ちだったために、余計にその2つに時間つぎ込んでたっていうのはあるよね。
なんか、なんとなく忙しかったような気がしてるけど、なんだろう、単純に、ちょっと長期の休みがあったからっていう理由かもしんない。

まあ、LINEを通じてやり取りができるのは、正直、不登校の子どもにとってはめっちゃいいことだと思う。
こっちとしてもありがたい。
文字でのやり取りのほうが気軽にできる、という子もいるだろうし、チャット的なやり取りだからこそ、気兼ねなく自分の意見が言えるというのもメリットなんだろうな、と思う。
そこでしか自己開示できない部分もあるのだろうし。

で、まあ、なんだろうな~、一番最近痛感したのは、そりゃあ、不登校児童も増えるよな~、ってことかな。

だって結局、今の学校教育って、「不登校」になる子どもをわざわざ作り出してるような内容だもんな。
それも、そういう状態が20年前から対して変わってないっていうのがまた問題で。
自分たちで子どもを不登校の状態にしておきながら、「なんとかしないといけない」って、いや、なんとかしないといけないのは、「学校教育」の側であって、決して「不登校の子ども」ではないんだよね。
結局、「多様性」とか言いながら、学校や教師の側の考える型にはめる教育しかできないから、そこから抜け漏れてしまう子どもや、型にはまらない・はまれない子どもはうまく学校や教室に適応できない。
でもそれは、「子どもの側の問題」ではなく、そういう子どもを「包摂できない教師・学校」の体制の問題だろう。

なので、その体制をしっかりと変えていくことが重要だとしみじみ痛感した。
というか、やっぱり学校の先生って、「言うことを聞かせる」とか、「統制を取る」って考え方好きだよな。
まあ私の偏見も多分に混じっているところもあるだろうが、「包摂」という考え方を実践している先生にはほぼあったことがない。
といっても、自分が子どもの頃にはそんな「包摂」などという概念は知らなかったから、あとから振り返っての話ですけど。

まあ、今日は特に、(あー、もっと去年適切な関わり方をしておけば、この子ももっと笑顔が増えたろうになあ)などと思わされる子どもに会ってしまい、ちょっと悲しくなったのだ。
やっぱり、子どもの笑顔が増える教育を実践して、子どもの笑顔を増やしていくしかない。
私の教育哲学と言うほどじゃないけど、哲学は、やっぱ根底に「楽しくて面白くて、笑える」事が大事、という思いがあるんだよな。
「笑ってもらってなんぼ」という精神、別に私は関西人でもないのに、どこにルーツがあるんだろう。
まあでも、この「笑顔」を増やすってことと、やっていることに「そもそもの楽しさを感じてもらう」ってことが、私がすごく大事にしていることな気がする。
今も、それをやろうと思ってなんとか頑張っているわけだし。(とか言いつつ、今日は子どもの話が長すぎて、途中で「寝るな」って怒られたけど)

「笑顔を増やす」っていうと、マジで陳腐だけど、なんだろうな、現在の学校教育には「笑い」がすごい少ない気がしてて、「笑い」というのは、めっちゃ大事なことだと思うから、もう少し現場でも子どもにも、そして先生にも、笑顔が増えたほうがいいと思う。
てか、笑顔で働けない職場とか、苦痛じゃん。
そういう苦痛を減らしたいから、こんな仕事をやってるんであってだな……。

まあ、明日も頑張ろうという話でした。
なんかこれで整理できたんかな…色々考えすぎて、ちょっと疲れた最近でした。

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