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キッチンドランカーを経てノードランカーになった話

わたしのお酒遍歴について。

20代前半。
梅酒とかカクテルとか、甘っちょろいお酒を飲んでいました。
ビールの味なんかわからずだったので。

20代半ば。
あるメーカーのショールームに勤務し、接待飲みが増えてきました。
しかも紅一点で参加することが多く、
「とりあえずビール」
で始まる宴に、ひとりだけ
「カシスオレンジをください」
とか言える空気でもなく、仕方なくビールを飲み始めます。

「おいしくないなぁ」と思っていたけれど、1年後には効きビールができるくらいビール好きに。
キリンの一番搾りが大好き。
スーパードライは辛くてちょっと苦手。
エビスとかプレミアムモルツもおいしいけど、ふつうのモルツはちょっと味が薄い気がする。

外でも家でも飲むようになったので、独り暮らし女子は経済的にキツくなりました。

そこで発泡酒へ。

発泡酒は「淡麗」一択。
第3のビールはちょっと…あまりに人工的な味がして飲めませんでした。

焼酎に手を出した時期もあったけれど、飲み過ぎて3回連続記憶を飛ばしたことがあったため、そこから禁酒。(←焼酎のみ)

日本酒はあんまり飲めなくて、上善如水(じょうぜんみずのごとし)だけはおいしいと思った記憶がある。

チューハイはいろいろ飲んだけど、結局、レモンチューハイに落ち着く。
甘ったるいのは邪道だな、と思ったりなんかして。

よって30前後のわたしは週4くらいで飲みに行き、生ビールを飲んだあと、レモンチューハイを7杯くらい飲む、という生活をしておりました。

そんな呑んべえは32で結婚。
33で1人目(息子)の妊娠・出産。
断酒の時期がやってきます。

「くるし~」てほどではなかったけど、ちょっとツラかった。
妊娠6ヶ月のときにダンナと温泉旅行へ行き、その際に出た食前酒の梅酒だけ飲みました。

産後、怒涛の眠れない育児がやってきて、あまり記憶がありません。
お酒を飲みたいと思っていたのかどうかも記憶にないまま、あっという間に2年が経ちました。

そして忘れもしない、息子が2才のとき。

「あ、そうだ、お酒飲みたい」

すっかり忘れていたことを突然思い出したような、降って沸いて出た感情でした。

久しぶりに飲むと止まらなくなり、キッチンドランカーの出来上がり。
早かった早かった。
久しぶりに飲んだ次の日にはもう、キッチンドランカーになっていたんじゃないかな?
と思うくらいのスピードでした。

そんな感じで飲まないと料理ができない身体になったのですが、この生活も2年で終焉を迎えます。
2人目(娘)を妊娠したのです。

そこから現在、すっかりノードランカーになりました。(娘7才なので約7年)

外食したときやイベントのときに少し飲むくらいで、特にアルコールを欲さなくなった。
夜、外に飲みに行きたいとも特に思わなくなったし。
行けば行ったで、たのしいんだろうけどね。

そういえばわたし、かつて焼酎で記憶をなくしたとき、車道の真ん中を堂々と歩いていたそうです。
地元の友達が慌てて引き戻し、家まで連れて帰ってくれました。
すると今度は、
「ウチの家のカギ、これで開くね~ん」
と言い出し、ウォークマンのリモコンを扉に向かって「エイッ!エイッ!」と振りかざしていたらしい。
「死ぬほど笑った」
と言ってくれた地元の友達に、今も深く感謝しております。

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