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遊びと他者貢献こそが人生のメインコンテンツだ

唐突ですが「自己満足」って言葉のイメージ、なんか悪くないですか?

子供の頃からずーっと「自己満」ってなんとなく「自己中」と同じくくりというか、とにかく人のことを考えていない自分勝手なイメージがあります。

「ただの自己満じゃんw」とか、「結局私の自己満だからw」みたいな嘲笑的、あるいは自嘲的な文脈でよく使われているというか。

でも自己満足って本来、「自分自身、または自分の言動に、自分が満足している状態」のことらしいんですよね。

・・・え、それって普通に最高では?

自分が満足できない人生ってなんなの?


私たちはおそらく散々耳にしてきたであろう「人間誰しも人生は一回しかない」ことについて、普段は忘れてますよね。

言葉を変えると「人間は絶対に、いつか必ず死ぬ」という圧倒的事実について、無意識に目を背けながら私たちは生きているということ。

仮に死ぬ時の自分の姿を想像したとしても、私にとっては遠い未来の80代くらいになってからベッドの上で死ぬ自分の姿しか想像できない。

でも本当は明日にでも、極端に言えば数分後にも自分次第でないこと、例えば大災害なんかで死ぬかもしれない、そんな世界に私たちは生きています。

そんなことを事あるごとに常に考えていたら身も心も持たないからこそ、無意識に私たちはその事実に対してぼんやりと心にフィルターを掛けてるわけです。

で、そんな明日をも知れない短い人生、たった一度の自分の人生で、自分ですら満足できない人生に、一体どれだけの価値があるでしょうか。

他人を喜ばせることも自己満足になる


特殊相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタインが1922年に来日した時、京都大学の学生から「人は何のために生きているんですか?」と質問され、「他人を喜ばせるためです。そんなこともわからないんですか?」と答えたという有名なエピソードがあります。

※画像はAI生成のイメージです

さすが人類に多大な貢献をしたアインシュタインだと頷くエピソードですが、この話の解釈は人によって様々でしょう。

私の解釈では、なぜ他人を喜ばせる(他者貢献する)のかというと、他人を喜ばせることは自分にも自己満足という大きな見返りがあるからだと思います。(他にも他人を喜ばせるとお金が貰える、社会生活や人間関係が上手くいく、宗教その他道徳や倫理的な理由などが挙げられます)

誰かへのプレゼントを選ぶとき、なぜか渡す側の自分が妙に嬉しかったり楽しかったりしませんか?他には見ず知らずの人に対する小さな親切をしたとき、ボランティア活動をしたときなど、心がじんわりと充実感で満たされているのを感じたことはありませんか?

この心の動きを、私は日々家族や他人を喜ばせるために行動し、充足感や充実感をとても大きな見返りとして日々感じています。自分にお金を掛けるよりも家族や人へのプレゼントによっぽどお金を使ってますが、非常に満足感が高くてしかも持続します。

でも、一口に「他人を喜ばせる」と言っても、相手が本当に喜ぶかはわからないし、それは相手の受け取り方次第であって、自分次第のことではありません。

相手のことを考え抜いてした行動であっても、私が相手にしていることは(ネガティブな意味での)自己満足かもしれないという疑念は晴らせません。本当に嬉しいかどうかは他人の心の中を覗けない以上、絶対に知りようがないからです。(言動はいくらでも取り繕えるので)

それでも、私の心の中に広がる充足感(ポジティブな自己満足)だけははっきり感じることができます

結局は他者貢献も自己満足の一種たり得るわけです。他人が関係することは自分も相手も満足できるに越したことはありませんが、相手が満足出来ているかはどうやっても相手にしかわからない。

であるなら、相手には最大限配慮しつつも深く考えずに一度きりの人生、他者貢献をすることで感じる自己満足という自分次第のことに集中した方が有意義でしょう。

遊びこそ生きる目的そのもの


また、人生においては「遊び」が非常に重要です。平安時代の日本人が「人は遊ぶために生まれてきた(遊びをせんとや生まれけむ)」と梁塵秘抄の中で歌っているのはあまりに有名ですね。

遊びをせんとや生まれけむ たはぶれせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ

社会的責任や社会への奉仕が賞賛される今の日本で公言すると眉を顰められそうな言葉ですが、私は非常に重要な考えだと思っています。

もともと「遊び」は生物学的にも非常に重要な活動です。動物も遊びを通して生きる術を学んでいきますし、そんなことを抜きにしても、私にとっては短い人生の中で、遊びは生きる目的のひとつです。

私の生活にも遊びがたくさん含まれています。家族と一緒に出かけたり旅行したりゲームしたりも、他者貢献を兼ねた遊びであり幸福そのものです。もちろん個人的な趣味も、気の合う人達との飲み会なんかも大切な遊びです。

私が静かで穏やかな生活を努力して維持しているのも、この人生のメインコンテンツである遊びと他者貢献を可能な限り満喫したいからに他なりません。

日々の努力は幸福のために向けられ、幸福とは平穏で静謐な心と生活であり、その中でどれだけ遊び、他者貢献し、人生を味わえたかが私にとっての人生の価値になります。

もちろん仕事などでの社会的責任や社会奉仕も大切です。そこを軽視せよと言いたいわけではありません。何事もバランスが大切です。極端に遊びや自己満足に偏ることも、社会性を重視しすぎて自己犠牲に偏ることも避けなければなりません。

それでも人生の価値を下げないよう、日々のどうでもいい雑事や仕事のための仕事や、不必要な物事を可能な限り減らし、そのかわりに人生を楽しむことは誰にとっても価値があると思います。

もっと人生の重荷を減らし、遊び、人を喜ばせましょう。


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