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それでも私が「人と組織」に向き合う理由

はじめまして!
株式会社スタメンのえりーです。よろしくお願いします🎵

株式会社スタメンが開催するnoteリレーの企画に参加し、個人でnoteを発信させていただくことになりました!

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この記事で書きたかったこと

私は、これまで、人事やHR系サービスのカスタマーサクセスという「人と組織」にさまざまな角度から向き合ってきました。

「人的資本経営」という言葉が注目され始めたりと、経営目線でも「人」への関心は年々高まっていますし、そうでなくても人事は採用〜自分の処遇にまで関わってくるので単純に面白そうだな、どんなことしているんだろう?と思う方も多いのではないでしょうか?

この記事では、その「人と組織」に向き合い続けてきた理由や、向き合ったからこそ見えてきたもの(これからも挑戦し続けたいこと)について書いていきたいと思います。

思い先行型の内容なので、読んだら即役に立つ記事!ではないですが、「こんな気持ちで仕事に向き合っている人もいるんだ〜!へ〜!」と思って読んでもらえたら嬉しいです。
本文は、急に文体変わりますが、そういう芸風なのでご容赦ください(笑)

ではスタート!
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人と向き合うとは?

実は人と付き合うのはそんなに得意ではない。
周囲からは「明るい、元気」といった印象を持たれることが多いらしいのだが、実際には話すのも苦手だし、できれば静かにしていたい(笑)

でも、私は「人と組織」に向き合う仕事をし続けている。

それは、人と付き合う、と人と向き合うは違うことだからなのではないかと思う。

前職ではいわゆる大企業で「人事パーソン」として人と組織に向き合ってきた。現職では、その経験を活かし、エンゲージメント向上を支援するサービスTUNAGの専門コンサルタント的存在である「カスタマーサクセス」として働いている。
その仕事の性質上少し向き合い方は違うけれど、やっぱり根底は同じだし、「人」がいかに大事であるかということは日々感じる。

「人事」という仕事

「私は人事担当です」という人はこの世の中にたくさんいると思う。

その仕事内容は本当にいろんなものが含まれていると思うし、私も10年以上人事という領域で仕事をしてきた中で、本当にたくさんのことを経験させてもらった。

ただ、表面的に「○○業務」の種類はたくさんあれど、それがどんな仕事かといわれたら、私が最初に人事領域に配属された時に研修で聞いた「人事の仕事は従業員を幸せにすることです」これに尽きると思う。

いや、でも「幸せにする」っていうけどさ、給料も上がらないし、思ったように評価もしてもらえないしさ、いつも忙しいし全然幸せじゃないんだけど…って言いたくなる人もたくさんいることもわかっている(笑)
ただ、私が思う「幸せ」はそうではないところもある。(もちろんお給料があがったらまず間違いなくうれしいけども)

じゃああなたが思う幸せって何よ?

端的にいうと、自分が仕事を通じて自分らしさを表現できる環境を選択し続けられるということではないかと思う。

自分らしさはかならずしも「個性的」「すごい成果を出し続けられる」だけではない。今は頑張れる時じゃないな、と思うことがあってもいい、私は目立つのは苦手なんだ、と思う人がいてもいい。

それも込みで「自分らしさ」だと思う。

ただ、「じゃあなんでもありなのか?」というともちろん「組織」である以上、貢献できているものが少なければやっぱり評価は下がるときもあるかもしれないし、相対的に目立つ・目立たないみたいなことはやっぱりあるな、とも思う。

なので、過度に「人」だけを見すぎるとそれもやっぱりよくないし、何よりなんでもあり、にしてしまって組織が崩壊してしまえば、結局、その組織はつぶれてしまったり、自分らしさを表現できるための選択手段(例えば、柔軟な働き方を許容できるだけの組織としての体力があるとか。)もめぐりめぐって狭まってしまうのだと思う。だから私は、人事の文脈で話すときは「人と組織」はセットにして話したり書いたりするようにしている。

もうひとつ、「自分らしさ」で私が大事にしたいと思うことがある。それは、今できていること、今保有している能力だけではなくて、可能性を信じること。

そんなのちょっと無理じゃない?どうせできないよ、といいたくなるようなことでも「可能性」は信じてみる。結果できないかもしれないけど、でもやってみたら結構いいかもしれないよ、また違う道が見つかるかもしれないし、ということをいつも信じ続けられる組織だと従業員のみなさんに思ってもらいたいなぁ、とずっと考えてきた。

向き合うっていうけど何をしてきたの?

上に書いたようなことは、割と誰もが考えたことがあったり、そうなったらいいな、と思うようなことなのではないだろうか。
むしろ、それってきれいごとじゃん。って思う人もいるかもしれない。

確かに、私もいつも100%自分らしさを大事にしてもらえるように行動してたか、信じているかといったら、正直自信はないし、周りから見たら「それってどうなの」みたいなこともたくさんあったかもしれない。(私の伝え方も拙くて、単に伝わってないだけのこともあったかもしれない。いや、あったかもしれないじゃなくて心当たりも具体的にある(笑))

だけれど、心の底では結構真面目に信じて取り組んできたつもりでいるし、実際にそれが表れてたかな、と思った経験がある。

数年前、ある職種の人事制度の変革を任されていたことがあった。自分自身の職種でもないし、正直、いわゆるアシスタントの職種だったこともあり、制度の変革や日頃の人事課題も後回しにされがちになっていた。
しかし、とてもラッキーなことに、最初の課題発見から、実際に導入しきるところまで全部を任せてもらうことができた。課題発見は、結構「よく言われていること」から対策を考えがちだが、私はここにこだわりにこだわりぬいた。

もし、正確に課題を発見することができたなら、自分とは職種は違えど本当にその職種の従業員の人たちの声を代弁できるようになれたなら、その従業員の人たちにきちんと光があたるのではないか、と考えたから。
もちろん、最初の一歩目からそんな高尚なことを考えていたわけではないけれど、でも少し動き始めるうちにそれが最も必要なことではないかと確信するようになった。

課題を発見、というけれど、とにかく伝手がなかった。
なので、社内のありとあらゆるその職種の人のいそうなコミュニティに「仲間に入れてくださーい」なんてやってみたり(簡単そうなことなのだが、閉鎖的な組織だったこともあり容易ではないし、人事の人として信頼を得ることも正直とても難しかった)、もっともっとその人たちのことを知りたいと思って、数千名分の過去のサーベイのデータあるだけ自由記述欄を片っ端から読んだり、登録してある業務内容を読んで何をしているか知ったり…。

とにかくその職種の人たちという超巨大な主語の「〇〇職種のあるある10選!!」ではなく、一人一人が一体何を考えているのか、どんなことは嬉しくて、どんなことは悲しいのか迫れるだけ迫りたかった。

その結果出来上がった制度は一つひとつ具(つぶさ)に見れば、きっとある人にとっては良かっただろうけれど、誰かにとっては幸せではなかったかもしれない。不満をとてもストレートにぶつけられたことも正直ある。

ただ、一つだけ確実に成功したと思えることがあった。
「私たちのことを真剣に考えてくれる人が人事にいるとわかった。制度がどうあれ、上司がその制度を理解しているかどうかはどうあれ、それだけでも私たちの大きな勇気になった」と言ってくれた人たちが、一人ではなく、何人もいた。
この制度を作った前の会社は辞めてしまったし、制度が運用され始めてもう何年も経つけれど、つい先日「制度変更の担当をしてくれた人、辞めてしまったんですね。とても残念」という声を聞いたと前職の仲間が教えてくれた(その方とは全然面識もないのに、ずっと密かに応援してくれていたらしい。企業のサイズを考えると奇跡みたいな話だ(笑))。

正直、制度がやっと展開できた時よりも嬉しかった。

なぜ、そこまで頑張れたのか?

なぜ、そこまで頑張れたか。
それは、今できていること、今保有している能力だけではなくて、可能性を信じることを自分自身が諦めたくないと思ったから
その職種は相対的に中心となる職種ではなかったかもしれないけれど、そこにいるN人の従業員の皆さんは一人一人、どんな可能性でも持っているし、もしかしたら制度を変えることで、光が当たることで、その可能性を本当に活かすことができるかもしれないと思ったから。

だけど、こんなカッコいいこと書いておいて、結局いろいろな理由から、自分がいた組織の可能性を信じ切ることができなくなって今違う会社にいる。

「今までの文章はなんだったんだよ!」
という強烈なツッコミを喰らっても仕方ない…。
でも、人間ってそんなにずっと一貫したことができるほどスーパーマン・ウーマンなわけでもないし、弱いところもある(だけど、今やっていることも含めていつか何かの形で前職にも恩返しできたらなという希望は捨ててない。)。

誰だってそんな弱いところもある「人」だけれど、でも可能性はいつだってゼロじゃない。
だから、少し違った角度から、もう一度、今「人と組織」に向き合いたいと思って、ここにいる。新しい角度から見た「人と組織」にもう一度可能性を感じたいなと思うし、可能性ってあるんじゃないかと思う今日この頃だ。

自分らしさを表現するとは?

だいぶ長くなったので、この辺りで終わりにしようと思うが、この記事の中で、私が答えきれていない質問が少なくとも一個ある。

”可能性を信じられる「人と組織」が存在すれば自分らしさを表現できるのか?”

この問いは今向き合い続けている。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、と思うことが半々だ(何で半々かというと、誰かや何かが悪いわけではなく、自分自身も結局「自分らしさ」ってそんなによくわかっていないから)。

例えば、冒頭に「実は人と付き合うのが苦手」と書いたが、それって「人と組織」の文脈で自分らしさとして許容するのか、一方で、振る舞いとして矯正すべきなのか結構迷う。本気(マジ)で迷う。
もちろん0か100かじゃないこともわかっているが、その塩梅は相当に難しいところだ。

でも、それももしかしたら乗り越えられるかもしれない、と思うことがスタメンに来てからよくある。
こんなに弱くて、迷う人間であるけれどもそんな私に対してでも
「好きです!」
「興味があります!」
を素直に表してくれる仲間がたくさんいる。
…勘違いだったら全力でごめんなさい。
だから「まぁいいのかもしれない」と思うことも増えた。

”好き”を表す。

それだけで救われる人(=私)がいるから、苦手だけれど、私もあなたにもう一歩踏み込んでみよう、が今の目標だ。
壮大な人事制度の話から、急に超個人的な話で
「スケールちっちゃ!」
なのだが、結局どんなに良い人事制度・組織の箱があっても、やっぱり結局は、個々人の総和なのだな、と大きな組織で大きな箱を作ったからこそ感じる。

自分らしさ、もずっと一定のものではなく、色々変わっていくのと同じように、目標とすることも色々なサイズ、目線があっても
「まぁいいのかもしれない」


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