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好きになって、溺れていくのが怖いの


わたしは「好きなもの」に対しても、
距離を取りやすい。



推しているグループ、
好きな文房具、
ハマりだした韓国ドラマや韓国料理、
友達に対してすらもときどき距離感がわからず
遠くなってしまうことがある。


それはなんでか。
自分が溺れて溺れて、
目が覚めたときが怖いのだ。


だから、趣味は?と聞かれたときに、
素直に答えることができない。


好きだけれども、知識は浅いから。
でも、それだと知識をたくさん持っていて、
すべてをわかっているような人にしか
「好き」といえる権利は持てないということになる。


それならきっとわたしは趣味と
呼べるものはないだろう。

だから、すこしでも好きなら
好きと言いたいなと思った。


深く溺れることは、ほどほどにしたい。
一人暮らしだから自分の生活もある。
すべてを趣味には捧げられない。

そういう割り切った好きもあるのだと思う。


趣味は自分をご機嫌にさせるための手段だ
と思っているから。


自分が知りたいと思ったものを調べて、
ぜんぶを買うのではなく、
自分が本当に欲しいと思ったものを買う。

周りが買っているからとか、
周りが行っているからではなくて、
” 自分が " 行きたいから、欲しいからで選ぶ。


それでいいのだと思う。
好きだからって、
自分の首を絞めてまで愛してほしいとは
相手も思っていないだろうから。


こういう好きがあるということも
ちゃんと受け止めてくれる人たちを好きになった。
そう思っている。


もちろん、多くを望まなければそれでいいのだと思う。
相手に覚えてもらいたいとか少しでも思うのなら、
それでは相手にはされないだろうから。


覚えてもらえなくてもいいから、
その時間は一緒に共有できているということを
大事に出来たらいいな、といまは思ってる。


好きだと思うものを素直に好きと言えない、
大人のひとりごとでした。


ありがとうございました。


きょうのつぶやき
風もあって、いいお天気。
こういう日が続けばいいのにと思う。


*

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