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舞台「メディスン」観劇の記録

舞台「メディスン」を観て参りまして、ずっとそのことを考えていたいなと思う内容、とても興味あるテーマ、ということでどうしても書き留めたい!があふれ出しまくってしまったのでその記録をします。全ては私の個人的解釈なので、外しているとかそうじゃないとか、多々あること請け合いですが、悪しからず・・・

ありったけの感想です

舞台はおそらく精神科のある病院。壁の張り紙に「ドラマセラピー」とあるので、精神疾患を抱えて入院しているジョン・ケインがドラマセラピーを受けるという劇中劇ということなのでしょう。
劇中劇で演じられているものについて「ジョン・ケインの身の上話」であるはずと無意識に思い込みながら鑑賞していて、そういうことでいいのかどうかはわからない(そう断定されていないので)けど、そうだということにすると、これはドラマセラピーかつサイコドラマともいえるなと思いました。
ドラマ内のジョンの愁訴から、ジョンの疾患は統合失調症※なのではないかと推察できるのですが(私の個人的な見解です)このドラマはジョン自身に自分の物語を語らせるという、ナラティブアプローチになっています。

「ずっと監視されている(妄想)」「ノートたちが難しい質問を始める(幻覚・幻聴)」「考えるのをやめられない(思考障害)」これらは陽性症状のみではありますが、全て統合失調症に見られる症状。
あと、おやっと思ったのは、フィリップに、セーラのことを話して、話を盛り上げたいばかりにセーラには失礼な形で脚色してしまったことを嘆いています。これは過剰適応かな・・・ 周囲に溶け込めない苦しさから逃れたいあまり、二次障害とも思えます。

パンフレットより、「精神を患っているとみなされた人たちとこの国の何十年にも渡る複雑で不穏な関係」「アイルランド社会の施設へ収容したがる志向」という事柄がこの作品に大きな影響を与えているというので、まさにテーマとしてはそこなんだろうなと。
精神疾患とみなされて長期入院を余儀なくされているジョンも、もしかしたら周りと少し合わなかっただけで、病気というものではなかったのかもしれません(統合失調症っぽいとか書いてしまったが)
施設に長期間収容するということは、その人物から「経験の機会」を奪うことです。「ドラマセラピーであると同時にサイコドラマ」というのは、メアリーとメアリー2は物語の登場人物というよりはジョンを構成する要素たちなのではないかとも考えられるからで、メアリーは「普通の人間の生活をしていない私たちが芝居で何を表現できるというんだ」という問いかけをしますが、それはジョンは長期間の入院によって、人間として社会生活を送る上で経験できるはずだった様々な機会を得られておらず、そのジョン自身から何が生まれるというのか・・・という悲痛な叫びなのではないかと。

ジョンが台本をそっと抱きしめるところ(これ可愛すぎて内心のたうち回りました)、台本にはジョンが語った物語が書かれているので、台本=ジョンの物語であり、ジョンはそれを大切に想い、慈しんでいます。周囲からは軽んじられ否定されてきたとしても、彼自身の物語。大事なんだろうなというのが伝わってきます。しかしそれもドラマセラピーの進行の中でメアリー2により削られるシーンがあるわけですが…

統合失調症を簡単に説明すると、周囲の情報を認識する、感情をコントロールするという、心や身体の働きを統括する人間の脳の機能のバランスが崩れてしまうということなのですが、「どうして自分はここにこうしているのか(→情報の認識)」「愛情の不在と、僕らがどんなに愛情を求めそれを必要としているか(→感情のコントロール)」というテーマに照らし合わせることができるかなと思います。しかし、こういった精神疾患は客観的な値や境界線によってこれより先は病気、これより手前は正常、と断定されるものではなく、アナログでグラデーション的なものです。
ある一部の人たちだけの問題で、多くの人には関係ないということでは全くないということ、ひとりひとりの物語を軽んじて施設に収容してしまうことの罪深さ、蔑ろにしていい物語などひとつとして存在していないということ・・・そういうメッセージも込められているのかなと感じました。

ジョンの怒涛の叫び(幼少の頃に投げかけられた言葉の反芻や、19歳の崩壊の記憶などがまとまりを失った走馬灯のように彼の中で渦巻き、あふれ出す)から終盤にかけて、ジョンが誰とも共有できなかったものたち、長い孤独に想いを馳せるほど苦しくなります。「僕の頭は僕のじゃなかった!」
メアリーの歌(言葉)も印象的です。人生は短い、苦しんでいる時間なんてない、というような(正確に思い出せないので誰かレポってくれてないかなと検索しまくっているのですがそうそう都合よく見つかるものでもなく・・・もう一回あのあたりから見返したい)

なので、愛の詩を経て、最後にメアリーに一緒にいてほしいと伝えて手を握ったのは、ジョンの中でばらばらになってしまっていたものがひとつに「統合」した瞬間だったのでは、あの静寂はその安らぎがようやく訪れたのではないか・・・と思いました。サイコドラマにより一定のカタルシス効果を得られたのだなと思います。
「風に乗せた愛が来る」、なんて素敵な愛の静寂なんだろう、ずっとずっと鳴り響いてジョンを苦しめ続けると同時にここにいると叫べと生にしがみつけとジョンを生かし続けた頭の中身・・・それさえなければよかったのか?それがジョンをジョンたらしめるものだったのか?穏やかな心でただ腰掛けて夕日を眺めることがこんなに豊かで、こんなに難しいことだとは。何歳となってもジョン・ケインの物語は輝き続けます。

「今、ここに生きる」というのは案外難しいことで、そこに加えて「今ここで、あるがままを受け入れて自分を生きる」ということは大変稀有なことだと私は思います。シンプルなことこそ難しい。色々飾り立てて理由をつけて寄り道をしてそれっぽく存在してるのは寄り掛かるところがたくさんありますが、取り繕わずあるがままで自分の足で立ち、平気で生きるというのは相当強くなければできないこと… これを「お話としてはそんなに難しくない」と言い切る田中さんの、取り繕わないのにすごみがあるというか、分厚いなあと思わずにはいられないわけです、私は!
舞台メディスンの着地点のひとつとして「今ここで自分が生きる」があるとすれば、田中さんはもうそこに立っている人なのかもしれないなと・・・
(たしかに、話の内容はそこまで遠まわしではなく直接的という意味合いでは私も「そんなに難しくない」に同意です。しかし、この答えの示すところを腹落ちさせるにあたっての葛藤のあるなしは人によるんだろうなあ、という)

ジョンの苦しみの始まりや根源がなんであるのかということ、それがどういう道をたどって統合に行きついたのかは人によって汲み取りやすかったり、そうでなかったり、重要だと感じたりそうは思わなかったり、色々だと思いますが。ゴールに辿り着ければ彼がいるのか~~(?)

これが生命力ですね。ねちねち語らずあっさりしてる人が好きです。
(自分がねちねち系だから)

「ジョンと田中」だから、そうなんですねー、憑依する方ではないですよね。
わかります(何様)解釈系かなと勝手に思っています。

うちわ、作るぞー!←急なオタク心

ところで、メディスン観劇後、ミッドサマーを見終わったあとの、「ダニー、よかったね」という感覚に近いものがあったのですが、「内面世界と共感」みたいなものって人間の普遍的なテーマなのかもしれないですね。僕はここにいていいんだ!おめでとう!

メディスン、とても楽しく観劇できました。ありがとうございます。

観劇に至る話

愛知公演(東海市芸術劇場)にはせ参じました。
色々とあって、某ドラマリターンズ後にあ~やっぱり見たい!と頑張ってチケットを入手し、ちょっとした遠征でしたがこの機会を得られたことに心から感謝したいと思います・・・
メディスンのFC先行などは終わったあとのタイミングでしたが圭モバ様についに入会しまして、なんとファンミーティングにも参戦します。なので、上でうちわがどうとか言っているというわけでした。
2018年頃から(何がきっかけなのかは言うまでもない)私が好きなのは春田創一さんなんであって、、、あれは役であって、、、、、と謎の意地を張り続けていたのですが、今現在箍が外れたように田中圭さんに沼っているようです!

ご本人のアクスタがまだないので春田さん

名古屋体験

遠征と観光の両立は難易度高いと自分の中で勝手に定義づけてしまっているのと、マチソワということもありわりとパツパツだったのですが、帰る前に洋食屋ロンシャンへ行くことができました!
迷った挙句、なかなか普段お目にかかれない「味噌デミグラスハンバーグ」をいただきました。味噌のコクが感じられて大満足でした。

味噌デミグラスハンバーグ(洋食屋ロンシャンJR名古屋駅店)


昼に立ち寄ったくらそっとという喫茶店も綺麗でコンセント、Wi-Fiがあり快適空間でした・・・ありがたい限りです。パンケーキにあんこをつけて食べたのは初体験でした。

あんこ🥞(正式名称忘れた)(くらそっと ユウナル東海店)


お土産に赤福もゲットし、尺がないわりに観光面でも充実した遠征になったかなと思います。


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