英国Canterbury_055

世界をシンプルに捉えたい ホヤ 通過していく粒々

ホヤという生き物は、「動物」というくくりの中で、もっとも単純なかたちをしている。

よく「人間といえども、もとをただせば単なる筒にすぎない」という話を聞く。口から食べて、お尻から出す。複雑なつくりに見えても、生命体と、外界との接地面は、外側の表皮、それから筒の内部のみ。

ホヤはまさに、これを体現している。海水を、筒のなかへ通過させ、たべものを漉しとって、身にしていく。

「人間だって、口から食べて、栄養を漉しとって生きているじゃないか」

いやいや、今回わたしが言いたいのは、人間が行うすべての生産活動がこういう仕組みだ、という意味で、だ。

生産活動というと、ものを作る、お金を稼ぐ、というイメージがあるが、栄養を摂取してからだを成長させること、また、そのからだを健康的に維持することもまた、りっぱな生産活動だ。

つまり、その逆も、生産活動だ。もとに戻っただけだけど、ものを作る、お金を稼ぐ、もまた生産活動だ。つまり、ホヤのやっている漉しとり行動と、まったく同じなのだ。

そんな単純なことだっけ?

どんなに偉大な芸術家も、お絵かきのすきな子供も、やっていることは同じだ。世界のなにか――見たり、聴いたり、触ったり、味わったりしたもの――を感じとり、それを、べつの形にかえて、キャンバスのうえに表現する。

なんの感覚ももたない人間が、なんらかの表現方法を持っているか?ときかれたら、そのような人のことをうまく想像できないが。少なくとも、なにかを表現するということは、その前段階として、世界のなにかを感じとっている。

その「なにか」は、世界を浮遊する粒子。実体のある物質であるとはかぎらない。「なにか」は、表現者の感覚器官から、脳へと入り、通過し、手や足や表現のための四肢などを通じて、また世界へと戻る。

化学の知識がないと、にわかには信じられない。世界のあらゆるものが、水素、ヘリウム、リチウム……ではじまる周期表の、たったあれだけの数の、あの元素たちの組みあわせによって成りたっている、なんてことは。世界のあらゆるものが。それこそ、鉛筆から、イヌから、石油コンビナートにいたるまで。

それとおなじことだったら、どうだろう?

人や時代により、千差万別の、絵画、彫刻、音楽、その他あらゆる表現物。それらの要素は、いまだ解明されていなくとも、じつは周期律表にある元素の種類程度のものたちの、無限の組みあわせによって、つくられたものかもしれない。

ホヤは単純だ。

複雑そうで、解決できないことばかりで、毎日こちらの頭を悩ませてばかりいるこの世界。この世界が、ほんとうは単純だということを、わたしたち人間に教えることができるほど、すばらしく単純だ。

化学が解明してきたように、この世界は、わたしたちが捉えるよりも、もっとずっと単純かもしれない。わたしたちの脳ですら、思っているよりも単純かもしれない。

単純すぎて、ただ、物質を通過させているだけ。そんなに悩む必要が、どこにあるのか。

といったことを書こうとしていたが、ホヤについて調べていて、驚いた。その幼生は、岩にくっついて動かない親とは似ても似つかない。目があり、筋肉があり、泳ぎまわる。

成長すると、岩などに固着し、植物のように動かない生活をするようになる。なんだか、省エネルギーでまじめな公務員みたいだな。かぎりある資源を有したこの星で、かれらはとても貴重な存在だ。

おいしいホヤで、日本酒が飲みたい。


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